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第72話 魔女の首魁と妙な恐怖

 いや、見たくねぇーーー……

「エリス? 大丈夫かい?」

「えぇ……ちょっと、考え事をしていただけです」

「さっきの本の事かな」

 止血が完了した手を離すと、ムクリとアレンシールが身体を起こす。腹部の大きな傷は【治癒】で塞がったが、目に見える赤い傷跡からして完全に塞がりきってはいないだろう。

 よくもまぁフロイトは酸の中うろちょろしているオレが痛みを感じる間もなく治癒をし続けられたものだとしみじみと思ってしまうくらいには、エリスの【治癒】は速度と止血特化のようだった。

 様々な呪文を、他の【魔女】たちよりもずっと速くに。それはわかるけれど、こう、何となくもどかしい気持ちになるのもまぁ本当だ。言ってしまえば器用貧乏。まるで死ぬ前のオレのようだ。

「酷く不気味な本でしたわ。人間の顔がついていました」

「そんなものを皇子の腹の上に落として放置したんだね君は……」

「お兄様は、過去にそういう本を見たことはございますか?」

「そうだね、あるよ」

 腹の傷をバリバリと掻きながら頷くアレンシールの額に触れてまた【治癒】を流しながら、アレンシールの見つめる先を見る。

 ジョンはまだ横になったままぐったりと目を閉じている。

 己の腕で目元を隠しているところを見ると意識を失ってはいないようだが、さっきまで失神をしていた男だ。また体調の悪さがぶり返したのかもしれない。

 アルヴォルが脈をとったり様子を見ているようなので大丈夫だとは思うが、その姿を見るとさっきまでの口に布を押し込まれたまま伏していた光景を思い出してもやっとする。

「アレは、何なのです?」

「残念ながらそこまでは知らないんだ。ただ、エリスはその本を酷く警戒していたと思う」

「警戒……?」

 額からの血が止まった所でやんわりとアレンシールに【治癒】を止められて、オレは仕方なく先に立ち上がってアレンシールが起きるのを手伝った。

 腹を掻いているところを見ると相当痒いようだ。自分で自分の治療をするのだけはやめておこう。

「ループをする原因というか、その前後というか……その辺はよく覚えていないんだけどね。警戒をしていた気がするっていうのだけは覚えているんだよ」

「という事は、お兄様が亡くなる前後にあの本を見たことがある、という事ですか?」

「……多分」

「曖昧ですわね」

「そう言わないでおくれよ。私ももう何度も死んでいるからね、いつ何が何回目かというのも曖昧なんだ」

 立ち上がってアルヴォルとジョンのところに近付きつつ、兄妹でコソコソと話し合う。

 アレンシールの記憶の中に残っているのは、あの本が「怪しい」という事と「エリスが警戒していた」のは間違いがないという。そして、恐らくはアレンシールの死の直前にもあの本に接触した事があり、つまりはそれだけ「やばいかもしれない」本、という事になる。

 アレンシールがもう何回死んでいるかというのは本人もわからないと言うが、そんなアレンシールが死の直前に見ているという事は、ひっくり返せば「あの本に遭遇した直後に死んでいる」という事だ。

 それが一体何を示しているのかはわからないが、それだけでもエリスが警戒していたと確信するのには足る事実だろう。

「ジョン」

「あー……悪い。ちょっと、目眩が……」

「頭を打ったかい?」

「いや……多分、薬だ……ここに運ばれる時になんか……なんか、打たれた」

 ジョンの腹の上に乗せた本はいつの間にか彼の脇に退けられていて、アルヴォルがやったのかジョンの足先はマントを丸めたのだろう布の塊で少しばかり上にあげられている。

 これ知ってる。貧血対策だ。

 日本でも見たことがある対処に感心しつつ、ジョンが見せてきた腕を確認する。と、そこには確かに何回か注射を打たれたような赤いポツポツが出来ていた。

 同じような箇所に何度も打たれてるということは、採血の時みたいに失敗したとかじゃなくて適当に何度も打ちやすい所に打ち込んだという事だろう。

 薬とか、怖すぎる。この世界の医療技術がどの程度か知らないせいか、得体のしれない薬を打ち込まれる恐怖にゾッとした。

「エリス、解毒とかそういう魔術は……」

「あるにはありますが、どういう系統の薬を打たれたかで違うのです。毒か、薬か……効果が違うものを使ってより体調が狂う可能性もある――らしいのです」

「そうか。では迂闊には使えないね」

 解毒という呪文は、あるにはある。

 しかし【解毒】という呪文については1ページに渡ってびっしりと解説が書かれており、ただ治癒するのとは違う注意が必要なのだとエリスは何度も何度も重ねて書いていた。

【解毒】というのは、血の巡りをよくするものであったり血の中に混じっているものを浄化するものであったりと、作用は違うのだと。間違ったものを使えばそれが即座に死に直結する場合もあるのだと、実際に聞いていたとしたら「しつこい」と感じてしまうのではないかと思ってしまうくらいには繰り返し繰り返し、エリスの日記には書かれていたのをオレは読んでいたのだ。

 だからつい、警戒してしまう。

 生命に関わらない薬であるのなら今は様子を見るべきなのではないか、と。

 そういう部分はフロイトが専門だろうから彼に任せるべきなのではないか、と。

 警戒するのであれば一度に違う種類の【解毒】を重ねてかければいいだけなのに、どうしてか慎重になってしまって、オレは躊躇してしまった。

 オレの中にある迷いに気付いたのか、アレンシールはオレをしばし見つめてから、

「よし、わかった。じゃあエリスは皇子とここで待っていてくれるかい。私はあの壊れた壁の向こうを調べてくるよ。アルヴォル、君はエリスに治療を受けたらイングリッド様たちの様子を見てきてくれるかい。ここの音が聞かれているかもしれないから、気を付けて」

「え、あ、はいっ」

「かしこまりました」

「皇子は大人しくしてて下さいね。いいですね」

「は~~~~~……い……」

 じゃあ行ってくるね、と言いながら、アレンシールはサッサと割れた床板を飛び越えてさっき【雷槍】で破ってしまった壁の方までスタスタと行ってしまった。

 気付けばアルヴォルも居なくって、音らしい音といえばアレンシールが壁の残骸を蹴飛ばして破壊している音だけになってしまう。

 ジョンの呼吸は未だに少しおかしくて、けれどきちんと息をしている事にどこか安心してしまって、変な感じだ。

 時間にすればほんの数日なのにやっと、ようやく、という気持ちになってジョンの横に膝を抱えて座り込んでしまう。

「……頭ボサボサだぞお前」

「あんたに言われたくないんだが?」

「そりゃそうだ」

「……どこか痛む所は?」

「頭。と、背中がいてぇ……馬車の中でもほとんど板の上みたいなトコに寝かされてたから」

「頭……」

 頭痛は、怖いものだ。

 ジョンのしっとりと汗をかいている額にかかった前髪を上げてやるとヨレてしまっている眼帯が剥き出しになって、折角顔半分はイケメンなのにな、なんて思ってしまう。

 気圧の変化で頭痛がする、なんてことはよくあるけれど、薬を打たれて頭痛がするのは決してイイことではないだろう。でも、今のオレには何かをしてやる事は出来ない。

 例えば【鎮痛】を使ったとして、魔術がかかっている間痛みを感じていなかったら本当にやばい時に気付けない事だってあるからだ。

 ぎっくり腰だとか、筋肉痛だとか、そういう場合ならいいけれど頭痛は駄目だ。良くない。

 ……なんだか、折角取り戻しても何もしてやれないんだなと、ガックリしてしまう。戦っている時にも、祭りで遊んでいる時にも、ジョンはいつだって変に元気だったからぐったりしている今の状態が不安で心配で、なんだか嫌な感じだった。

「なぁ」

「うん?」


「聞いたか? 俺の事」


 その問いには、即座に返事をすることが出来なかった。

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