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第71話 魔女の首魁と謎の本

 疲労なんて、そういえば今まであんまり感じていなかったな、なんて思いながら【魔女の異形】から離れ、すぐ近くに立っていたはずのブックスタンドを探す。

 こういう場所にあるんだから絶対なんか重要なモンだろって思っていたブックスタンドは案の定衝撃波で吹っ飛ばれていて、ボロボロになって反対側の壁の下に転がっていた。

 足元には魔法陣。

 生贄にされかけていたと思われるジョン。

 異形として作り変えられた【魔女】たち。

 そして、このよくわからない本。

 これ絶対変な儀式の痕跡だよなと思いながら本を拾ったオレは、もう一度小さい【雷槍】を作ってから今度は床に思い切り叩きつけた。

 バキンッ、と硬質なもの同士がぶつかりあったような音がして床が割れて魔法陣が砕け、このままでは儀式なんかは出来なさそうなくらいにバラバラになった。

 それでも床が抜けたりしないのはこの魔法陣の下にもちゃんと床というか地面というか、そういう所があるお陰だろう。これでデカい穴でも開いて真っ逆さま、なんてなったらシャレにならなかった。

「お兄様、お怪我は」

「……今のところは大丈夫……」

「止血しておりますが、出来れば早めに治癒されたほうがよろしいかと存じます、お嬢様」

「わかりましたわ」

 本を拾って、表面に付着した瓦礫や埃を叩き落としながらアレンシールの所に向かう。

 ジョンも倒れたままだし、アルヴォルの両腕から流れる血も止まっていない。これは出来るだけ早くフロイトと合流すべきだろうかと考えていたオレは、恐らくは焦りとこの空間への厭気から無意識に手に汗をかいていたのだと思う。不意にズルっと滑って、本を取り落としそうになってその手汗に気付いた。

 慌てて掴み直して落下は防いだけれど、そのせいで、そこでやっと、オレはこの本の違和感に気がついた。

 というか、気付いてしまった。

 この本、なんか手触りがおかしい。普通にハードカバーっぽい材質の表紙なのかと思っていたけれど、しっとりとしているようでカサカサしている感じで、でもなんとなくマットさもあるなんとも言えない感触だ。

 なんというか、革? というのが一番近いかもしれない。この世界に来てから日本で触れるよりももっと多くの革に触れてきたけれど、動物の革に近い……それでもちょっと違う感じの手触りがしている。

 革で作られた本か、なんかお洒落だな。

 雷の音でちょっと頭をやられていたオレはそんな事をぼんやり考えながら、割れた床石を踏み越えてアレンシールたちの所に戻る。

 そこでようやく本をひっくり返して表紙を見たオレは、思わず無言で本を床に叩きつけてしまった。

 バンッ! という派手な音にアレンシールがビクッとしながら顔を上げて、アルヴォルもどこからか短刀を出して構えている。

「お嬢様……?」

「あ、い、いえ。ごめんなさい……」

「どうしたんだい、エリス」

「えぇと……」

 本に対してやる事ではないのは分かっているけれど、どうにも再び手に取る事が出来なくてオレはモゴモゴと返答を曖昧にしながら足先で突っつきつつその本を引き摺った。

 あぁでもこんな運び方をしたらそれはそれで祟りでもありそうな気がする!!

 思わずグッと唇を噛み締めたオレは恐る恐るにもう一度その本を拾って、それでも両手で持つなんてことは出来なくって両手の中指と親指だけで支えて持ちながらジョンの所まで持っていく。

 それから、ジョンの腹の上に本を落とした。

「ん……?」

「あげる……なんか重要っぽいから」

「あ? ……あーあーあーこれか……」

 ぼんやりと天井を眺めていたジョンは腹に本を落とされて不思議そうな顔をしたものの、その本が何であるのかに気付いたらもう一度大の字になって天井に視線を戻した。

 なんつーか、よくあの本を腹の上に乗っけたままでいられるなと、ちょっとゾッとする。

「大丈夫かい、エリス……」

「大丈夫ですわ。それよりお兄様、わたくしの【治癒】では患部がすごーーーーーく痒くなりますが、よろしいですわね?」

「……ち、血を止める程度で……」

「さぁ、それはどうでしょう」

「うぅ……」

 腹に本を乗せたままぼんやりしているジョンを一先ず放置して、アルヴォルが必死に患部に布を押し付けて止血しているアレンシールの脇に座る。

 オレの【治癒】はフロイトみたいに生易しくなんかない。患部を蘇生させていく魔術だから、再生された部分がめっちゃくちゃ痒くなると有名なのだ。いや、過去にあんまり使ってないからサンプルは少ないけども。

 しかし人間は時に痛みよりも痒みで発狂するというし、アレンシールも痛みより痒みの方が嫌そうだ。

 これは、過去のループで何度かエリスに【治癒】を受けていると見た。そしてそのたびに痒さでのた打ち回っていたのだろう。

 気の毒だが、美形のそういう情けないシーンはご褒美なので全然やって頂きたい。

「アルヴォル……でいいのですわよね。今更ですけど」

「はい、お嬢様」

「貴方は大丈夫かしら? 女の子とは知らなくて……」

「大丈夫です。負傷部の周囲の筋肉に力を入れる事で止血をする方法は心得ております」

「なにそれ私は聞いてないよアルヴォル……」

「マスターの影となるには多少の怪我で動けなくなっていては果たせませんので」

 アレンシールの腹の傷を止血しているアルヴォルの手は、エリスと変わらないくらいに小さくて指も細い。

 それでもオレの手と交代で離れていった手はエリスのそれとは比べ物にならないくらいにゴツゴツしていて、歴戦の戦士といった感じだったから、彼女はアレンシールのためにすごく、すごく頑張ったんだろうなとそれだけで実感できた。

 彼女が手を離した瞬間に溢れてくる血を慌てて止血しながら【治癒】の魔力を流し込むと、痛みにかアレンシールが僅かに呻く。痛いのは一瞬だ。これからはジワジワ痒くなってくるから、頑張ってもらわないといけない。

 にしても、まさかアルヴォルが女の子だったとは……

 確かに話をしているだけでは女とも男ともつかない声だったし、そもそも性別を認識もしなかったような気もする。当たり前に話していたから意識もしていなかったけれど、まさかメイド服の女の子とは思わなんだ。

 ……なんかそういう、そういう小説とか、ありそうだな……

 現実世界でよく発行されていたライトノベルのことを思い出しながら、ちょっと不謹慎な事を考える。戦うメイドさん……かっこいいじゃないか。

「アルヴォル。ここはいいので、皇子の方を見てきて下さいますか?」

「かしこまりました」

「か、痒くなってきたよエリス……」

「頑張って下さいまし」

 痒みを訴える兄を適当にいなしながら、オレはジョンの元へ向かうアルヴォルの背中をなんとなしに見送った。

 あの本は、一体何なのだろうか。さっき見た本の表紙を思い出しながら、オレはどうしようもなくゾッとするのを感じていた。

 何しろあの本は、今オレたちの居る場所の対角線上の壁にある壁画――さっきの【雷鳴】で半ば砕けてしまっているその壁画に描かれている本にそっくり、だったのだ。

 裏表紙には何も描かれていは居なかったその本の表紙には目を閉じた人間の顔のようなものがへばりついていて酷く不気味で、だからだろうか、【魔女】たちはそれを封印しようとしている、ようで。

 それにあの手触り。

 革のようだと感じていたが、アレがもし人間の皮膚だったらと思うと恐ろしくてたまらない。その本にへばり付いている顔というのがまた、背表紙が額に当たる場所になるように横向きについていたのだからおぞましさもひとしおだ。

 なんというか、「表紙に顔が描かれている」のではなく「人間の頭部を表紙に使っている」と言われても違和感のない造形に、大きさ。そして顔面の凹凸がなんとも嫌で、恐ろしくて。

 今更ながらあの本に触れていた手の感触が夏の満員電車でむき出しの腕が他人と触れた時と似たような嫌さだったなと思うと、余計に嫌な気分が止められなかった。

 あの感触だってイイものではないのに、更にそれが何かに加工された顔面のものだったかもしれないのだから、嫌でないわけがないのだ。

 だがあの【魔女の異形】を見てしまうと、あの本はここにあるべくしてあったのではないかとも、思ってしまう。

 つまりは、まぁ……儀式用だから、と言うべきか。それしか考えられないのだが。

 だって壁画の【魔女】たちもあの本と杖を手にしながら顔を突き合わせているようにも見えるし、彼女たちがあの本をなんとかしようとも受け取れるから、仕方ない。

 もしこの部屋で行われようとしていたのが生贄の儀式であるのなら、ブックスタンドに厳かに置かれていたあの本もまた生贄の儀式に必要なものだったのだろうか。

 嫌だ嫌だと言っていないで中身を見るべき、だったの、かも……

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