一体どうしたことだろうか。頭の中がぐるっと回っても声をかけられると素直に落ち着けるし、呼吸が出来るような気持ちにもなる。
今まで魔術を使う時にこんなにもパニックになった事がないと言えば無いのだが、誰かの声でこんなに落ち着いた事だってなかったような、気が。
「"お前なら
「みえる……」
ジョンにそう言われると見える、気がしてくる。いやなんでだ。何も見えない。
眼の前に居るのは気持ちが悪い異形と、血を流している二人だけ。
アレンシールもアルヴォルもオレが何かをチャージしている事に気づいたのか一歩退いてより視界が広くなるけれど、だからといって何かが追加で見えるようになるなんてことはない。
はず、だけど。
「ぁえ……」
思わず変な声が出てしまって、不思議そうな顔でアレンシールが振り返るのを慌てて誤魔化す。
何も見えないはずだ。見えると言われたっていきなり敵の弱点がサーチ出来るようになるわけでもなし、その部分が光るわけでもなし。
なのに、「みえる」と言われたら「みえる」ような気がして、ほとんど無意識にチャージしていた【雷鳴】の大きさを縮小させて威力だけを強めていく。
名付けるなら【雷槍】とかだろうか。なんかそういう厨二っぽい名前をツケられそうなほどに鋭利で細くて、めちゃくちゃ強そうな魔力。でもそれをどこにぶつければいいかと聞かれたら、やっぱりわからない。
全体をぶん殴ればいいと思っていたのに、こんな細い魔術に切り替えて本当に、意味があるのか?
「エリスッ!」
躊躇は、一体どのくらいの時間だったのだろう。
アレンシールが叫びながらオレと【魔女の異形】の間に入り込み、異形が腕を振り上げた事でバラけたツギハギからこぼれ落ちた腕や足を弾き、切り落とす。
だが一度に人間の手足が何本も飛んでくれば彼一人で叩き落とせないのは当たり前の事で、何本かがアレンシールの頭部や顔面にぶつかって、落ちた。カバーに入ろうとしたアルヴォルが間に合わない一瞬の隙。
オレが躊躇をした、ほんの数秒の間だった。
人間の手足は、重い。当たり前だ、脂肪と筋肉の塊なのだから、例え元が女性のものであったとしても剣より軽いはずがない。
アレンシールが腹部をおさえて膝をつき、アルヴォルが両手から流れる血に構わずに彼の前に立つ。彼女の腕の傷も、アレンシールの腹の傷も、決して軽いものではない。
オレが余計なことを考え込んでいたから。
オレが、この空間に、あの【魔女の異形】に、躊躇をしたから。
「……ぶっコロ」
「っはは!」
いつだってオレは、スタードダッシュが遅い。
教師には大器晩成型だとか言われた事があるけれど、オレはいつだって最初からきっちり結果を出していく弟が羨ましかった。
最終的な成績ではオレの方が上でも、最初からちゃんと物事を理解して決断して選ぶ事の出来る弟の方が両親の評価が高かったというのもあるけれど、単純にすぐに行動に移せるその性格が羨ましかったのだ。
とっとと動け、馬鹿野郎。
むかっ腹が立った瞬間に、手の中で雷鳴が弾ける。バチンッとなにかを弾くような音をさせて目に見えるようになったソレはオレの髪を浮かび上がらせ、瞬きをする目蓋の間で静電気を起こすかのようにパチパチと音をたてた。
すると、オレにもたれてうなだれていたジョンが両手を上げて距離を取り数歩後ろによろけるように後退する。
「もう俺がいなくても
「みえてなくてもぶっ殺してやるわ!」
ジョンは言った。「
オレが落ち着けば大丈夫だと、そう繰り返した。
なら、よくわからんがきっとオレが今攻撃しようとしている場所は間違いじゃないんだ。間違ってたとしてもジョンのせいだからオレのせいではない!
アレだけ頭が混乱していたのに開き直るまではすぐで、オレは【雷槍】を持った手を振り上げると両足を大きく広げて【消音】を解除する。
【魔女の異形】が、ゴロンゴロンと横に倒れるようにして右に転がり、右側に垂れていた腕と足を模したものがひしゃげて骨の折れる音がいくつも、いくつも聞こえてきた。
ばきばき、ぱきん。
きっと今までも【消音】を使っていなければ聞こえてきていたかもしれない、聞きたくもない気色の悪い音だ。
そうか、あの音波は、悲鳴だ。
オレがハッと気付いたのと、転げて潰れて首の折れた口がばくりと開いたのはどちらが先だっただろうか。
バタバタとその場で動いているのと、横に転がるのとでは当然だが被害範囲はまるで違うものだ。当然、潰れる頭の量も、開く口の量も、違う。
オレは、今度は迷わずに【雷鳴】を投擲した。身体を捻って、前に出した足に強く体重を乗せて、前の世界の体育でやらされた野球を意識して大きく上から、投げる。
次に発現させるのは【雷槍】にかける【高速化】。
「耳をふさいでっ!!」
音と光とは、どちらが先に届くのだろうか、なんて、昔の人はどうして疑問に思う事が出来たのだろう。
少なくともオレの手から放たれた【雷槍】と【魔女の異形】の放つ悲鳴はほとんどぶつかりあうように干渉しあって、アレンシールたちが耳を塞ぐのを確認する余裕なんて当然、なかった。
勿論投擲をしたオレが耳を閉じるなんて事が出来るわけもなく、まるで目の前に落雷したような凄まじい音とまるでゴムを肌の上で弾くような甲高い音が脳を揺さぶった。
その音の中では、人間の発する声なんてものはか細い赤ん坊の泣き声のようなもの。
【魔女の異形】の球体のど真ん中を貫いた【雷槍】が背後の壁に激突した音は更に凄まじくて、オレは動く事が出来るようになってからやっと両手で耳を塞いだ。
それでも、両手を突き抜けて聞き覚えのある雷鳴のめちゃくちゃすごい版、みたいな音が目の前の空間で炸裂した。
音に吹っ飛ばされると思ったのは、初めてだ。しかも自分が撃った術で。
壁を殴りつけた【雷槍】の衝撃で床から足を離してしまったオレは、驚くほどに簡単に背後に吹っ飛ばされる。
「ぐえっ!」
「いだっ!」
「うっ」
しかしそれはオレだけではなかったようで、アレンシールも後方に飛ばされて背後の壁に背中を強かに打ち付け、それでもなんとかアルヴォルが壁に激突しないように腕を差し出して支える。
オレは、ほとんど不可抗力的に真後ろに立っていたジョンを巻き込んで転がって、二人揃って団子になって壁に激突した。
ここでも顔面偏差値が仕事するのか? というくらいに、無様な転がり方はそれなりに痛くて、最終的に下敷きにしたジョンからはデカいカエルを潰したような声があがる。
いや実際にカエルを潰した事なんかはないが、そんなイメージの声だ。
しかし、その場にあがったのはオレたちの情けない悲鳴だけで他に音は、ない。あの異形の発する悲鳴は聞こえなくなり、動く音すらも聞こえない。
反射的に自分たちの前方に【障壁】を展開しつつジョンの腹を踏みつけながら身体を起こしたオレは、しかし異形を見てしばし何も言えなくなってしまった。
異形は、両手足をだらんと垂らすような格好で沈黙していた。ピクピクと僅かな痙攣こそすれ、その痙攣も徐々におさまっていくのが目に見える。
オレの放った【雷槍】は、【魔女の異形】の根本である腹部のような部位を貫いて、デカい穴を開けて、その背後にあった壁にすらデカい穴を開けて消えていた。
こんなデカい穴を開けていたらそりゃうるさいな。キンキンとやかましい耳鳴りを振り払うように耳の根元をトントンと叩いて、【障壁】を維持しつつ近付いていく。
よく見れば、異形の穴の部分――肉体が折り重なって円形に膨らんでいる部分には、女たちではない別の何かが埋め込まれていたようで歪にネジ曲がっていて、その部分を【雷槍】が貫いていたらしい。
いや、別の何かじゃあないのか。
オレは反吐が出そうな気分になって眉間にシワを寄せると、【雷槍】の名残りでプスプスと煙をあげている異形から離れた。
「脳の集合体だ」
「脳……?」
「多分、材料にされた女の人達の脳を集めて……一個の脳にしていたんだと思う」
オレが踏み潰した時の格好そのままに、ジョンが言う。
脳。ってことはこの匂いは、脳を焼いた匂いなのか。
肉を焼いたような、匂いだけでなんとなくしょっぱさを感じるその煙に、「知りたくなかった」と思わず呟いてしまう。
知らなくてもいい事だったんだ。きっと、普通なら。
まぁ、今は普通じゃないんだけど。そもそも、この世界に来た時から普通の時なんかはなかったかと思うとどうにも疲れた気がして、はぁーと長い溜息が漏れた。