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第67話 魔女の首魁と謎の異形

 咄嗟に、この空間全てに【探知】の魔術を展開させる。場所を特定せずに全方位に向けて【探知】をかけるのは頭の中に入ってくる情報量的な意味でも無駄だし無謀でもあるのだが、この場合は仕方がない。

 倒れているジョンの側に倒れているのは、アレンシールの言葉を信じるのであれば「ラムス3」の下半身なのだろう。

 さっき階段で倒れていた「ラムス3」の身体は血に塗れていて、階段に帯状に血がこびりついていたからそこまで考えていなかったけれど、彼はここで身体を両断された上で何とか情報を外に送ろうと藻掻いたのかもしれない。

 だが、階段の上の扉は閉ざされていて彼はそこで無念にも事切れた――

 上半身だけで床を這いずって何とか階段を上がろうとしたアレンシールの影の責任感の強さに、オレはこの生臭さが一気に「海」のせいではなく「誰かの生命の匂い」だったと認識を改めた。

 擬似的な海を恐れている場合じゃない。

 ここには、アレンシールが育てた影を一刀両断に出来るほどの何かが居るのだ。

 でも、一体どこに?

 オレは、【探知】をかけながらも意識をジョンの方から離して少しばかり壁画の方に意識を向けて、周囲を伺った。


ギャリッ


 甲高い、鉄の上を硬質なものが滑っていくような不快な音が聞こえたのは、その一瞬の事だった。

 オレが意識をそらした瞬間に前に出ていたのか剣を抜き放ったアレンシールの剣が一瞬煌めいて、鉄を引っ掻いたような匂いがほんの少しだけ鼻をくすぐる。

 石が割れるような音がしたのは、その少し後だった。オレが意識するよりも先に音が駆け抜け、全ての情報が後から付いてくるような、感覚。

「アルヴォル! 皇子をこちらへ!!」

『はっ!』

「エリス、灯りをっ」

「はいっ!」

 もう【暗視】を使っているような場合ではないと、アレンシールの指示に即座に従う。

 先に【暗視】と【探知】を切断し、前に突き出した扇子の先端に大きめの【火球】を作り出し天井へと放り投げる。

 リリの作り出す【火球】よりはずっと小さな火の球だが、この空間を照らすだけならば十分の大きさの【火球】は天井の付近で停滞し、ゆらゆらと揺らぎながらドームの中を照らし出す。

 そうしてようやく見れたドーム内の全容は、さっきオレとアレンシールが笑っていた用途で作られているのだろうとわかる、あからさまに「そのまま」の空間だった。

 床に描かれている赤い液体で描かれた不完全な魔法陣に、天井は恐らく蓋でも開けば外からの光を取り入れる事が出来るのかもしれないガラス製。

 壁に描かれている絵画には良く見れば床と同じような液体で落書きのようなものがされていて、そのどれもが【魔女】の上にべっとりと描かれていた。

 嫌な空間……というよりも、ただただ気味が悪い。

 この匂いの源は魔法陣から少し外れた所に落ちているラムス3の下半身から流れたそれだけではなく、元々こうだったんだ。

『むっ!』

 一度作り出した【火球】を制御から外して次の魔術を思案したオレは、しかしアルヴォルらしきうめき声にハッとジョンの方を見た。

 一瞬ジョンの周囲の空間が揺らぎ、その揺らぎから出現した腕がジョンを掴もうとした瞬間に掻き消える。

 いや、消されたんだ。

 風を切るような音がして横薙ぎに振るわれた黒い何かが、ジョンを掴もうとした――恐らくはアルヴォルの腕を弾き飛ばした。

 そもそもアルヴォルがどうやって空間に溶け込んでいるのかもわからないが、アルヴォルを薙ぎ払った黒い鞭のようなものが出現したのにも驚いて、オレは咄嗟にアレンシールの前方に向けて【障壁】を展開する。

 果たして、天井で揺らいでいる【火球】の照らす範囲から僅かに外れている影の部分からコチラに向けて何かが投擲された。

 それが一体何であるのかの判断を付ける前にアレンシールが剣で投擲物を薙ぎ払い、あっさりと両断されたソレから溢れ出した内容物をオレの【障壁】が受け止める。

「…………!!」

「なっ……」

 ベチャベチャと見えない【障壁】に付着し、ズルズルと床に落ちていくのは、血液。そして、肉片。

 まさかと思ってアレンシールが斬ったものを確認すると、それは全裸の女の死体だった。

 身体のあちこちに不器用に縫い合わされたような痕跡のある女の死体には片腕がなく、全身に死斑が出ていてハッキリと死んでいる事が分かる。

 元々生きていなかったといっても防御のために両断してしまったアレンシールにとってはいい気分ではないだろうが、今はそちらを気にしている余裕はない。

 ジョンの更に向こう。壁にへばり付いているように何かが、居る。

 こちらからは影に隠れているようでハッキリと何かはわからないがズルズルとなにかを吸い取るような不快な音がして、さっきまではコイツもコチラの様子を伺っていたのだという事がわかった。

 つまりは知能がある奴だ。

 なんで女の人の死体をこっちに投げつけたのかとか、オレの【探知】にも引っ掛からないくらいに気配を完全に遮断出来る奴なのかとか、思う所はいっぱいある。

 けれど今はまずあの影から引きずり出す事と、それからジョンをアイツから引き離す事を考えなければならない。

 オレはもう一度奥義を前に突き出し、今度はさっきの【火球】よりも大きな【光球】を作り出した。

 光だけをボール状にまとめた【光球】は、【火球】よりも面倒でランクが高い魔術だとエリスの日記には書いてあった。維持を失敗すると爆発したり自分の視界を奪ったりと、そこそこ厄介な魔術であるという事も。

 しかしオレはあえてそれを作り出し、【火球】を消滅させてから【光球】を天井まで放り上げる。戦闘中に【光球】を作り出す余裕なんかはきっとないから、やるなら今しかない。


 しかしオレは、炎よりも白く、ハッキリと空間を照らし出す光の玉を生み出したことをほんの少し、後悔してしまった。


 真上に光が生まれたことで今まで空間に停滞していた影は足元にうずくまるだけになり、今まで隠れていたものをハッキリと照らし出す。

 その結果、口内に布を押し込められているジョンを出来るだけ早く救出してやらなければならないという事と同時に、見たくもないものまで照らし出してしまって――オレはこの世界に来て初めて、吐き気を覚えていた。

 アレンシールも愕然と言葉を失い、どこからかアルヴォルも息を呑む声が聞こえてくる。

 ジョンの向こうの影に潜んでいたのは、女だった。

 いや正確には「女たちだろうもの」、だ。

 幾人もの女の肉体を千切ってはツギハギに縫い合わせたようなソレは最早人間の形はしていなくて、ぐちゃぐちゃに折れ曲がった女の体が球体のような形状に圧縮されたような姿をしていた。

 その球体から三本の腕と一本の足が伸びているが、それも球体の大きさに合わせて女たちの腕をワイヤーのもので束ねたような歪な形状をしていて、指は一本一本の腕がその変わりを果たしていた。

 1本しかない足は勿論立ち上がる事なんかは出来ずに、床を這うようにしてジュルジュルと音をたてて少しずつこちらに近付いてきている。

 なんだこれは。

 アレンシールのうめき声に答える術はなく、オレもまた呆然とその異形を睨みつけているしか出来ない。

 アルヴォルはさっき、実験場のような部屋が、と、言っていた。つまりはきっと、この異形を作り出すための空間がこの地下だったという、それだけしかわからないからだ。

 でもあと一つ、オレは気付いた事があった。

 考えたくはなかった、けれど、今この場の不快さから察する事の出来た、出来てしまった、現実。

 オレは剣を振るう事を躊躇しているアレンシールの横に並ぶと、少しばかり逡巡してから口を開く。

 知りたくない現実だろうが、知らないまま戦って後で知るよりはずっといい……はずだ。少なくとも、アレンシールなら事実を知っても大丈夫だと、信頼して、異形を見つめながら、言う。


「アレは【魔女】です、お兄様」


 オレの言葉に、アレンシールが再び息を呑んだ音が、聞こえた。

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