『……如何なさいましたか。お二方』
「こほん、なんでもないよ。報告をお願いできるかい」
『はっ』
そうしてニヤニヤし始めて程なく、戻ってきたらしいアルヴォルがあえてオレたちが気配を察する事が出来るようにおずおずと近付いてきた。
この血塗れの階段から続いている明らかに怪しい地下室の入口でニヤニヤしている貴族の兄妹というのは、まぁやっぱりなんというか、怪しかったんだろう。
それはそうだ。オレだってそんな奴らが居たら警戒する。まぁ自分たちなんだが。
『この地下室は……恐らくは実験室です』
「……実験室?」
『はっ……この先真っ直ぐ行くと円形のドームが正面にあるのですが、その周囲の小部屋は恐らく元牢獄だと思われます』
「元」
言いにくそうにしながらアルヴォルが報告をしてくれた所によると、その「元牢獄」とやらには人体の破片とやらが保管されていたりまぁ、なんかそういう物が沢山あったのだそうだ。
実験ってあまりにもお約束すぎる、なんて思いつつも、アレンシールと目を見合わせて軽く首をかしげてしまう。
生贄はわかる。神殿なのだし、恐らくは何らかの神を喚び出すとかなんかそんなので生贄を求めているのもまたお約束だろう。
だが実験となると、また話は別だ。
実験という事は、何か人間か動物か……ソレに類するものを捕まえて何かを試していたという事になる。
一体何を試していたんだ? 何をしたくて、何を求めて人間を弄んだのだろう?
疑問ではあるが、そんな場所にジョンが居ると分かった以上ここで待機している時間は無駄だ。急いでジョンを助けてここを脱出しで、他のメンバーと合流しなければならない。
そうでないと、別れて行動をしている2人にも危険が及ぶ可能性がある。実験をしていたとなれば、尚更だ。
オレはグイッと髪を持ち上げて後頭部でキツく結い直すと、常に持っている扇子を手に取った。剣でも借りてくればよかったかもしれないが、今回の主な目的はジョンの救助だ。
魔術はそのために使うものであって、フローラの神殿で使ったみたいに攻撃に使う時じゃあない。
「行こうか」
アレンシールが手にしていた剣を数回振れば、再びアルヴォルの気配が消える。
眼の前のドームまでは歩いて10歩もかからない距離だ。その間に左右にはアルヴォルが「牢獄であり実験室」だと言っていた部屋があるが、やはり人の気配はしないので警戒はしないでも大丈夫だろう。多分。
何の気配もしない存在が居たなら、話は別だが。
ドームは、ハッキリ言って不気味だった。暗闇の中、真っ黒い壁がゆっくりとカーブして円形を作っているのか一瞬見ただけだとそこに部屋があるとはとても思えない、そんなぽっかりとした空間。
ドアだって「良く見れば」というくらいには黒くてハッキリしなくって、地下だからこそ誤魔化される類の空間なのが嫌でもわかる。
なんでこんな地下に、こんな変な円形の部屋を作ったのだろう。
疑問ではあるが、オレたちにとってしてみればラストダンジョンとも言えるこの場所の作りを深く考察している時間なんかはない。
再びオレが【探知】をして鍵はかかっているが罠はない事を確認すると、アレンシールが剣を使ってゆっくりと扉を開いていく。
その扉は木製なのだろうか重苦しく木が擦れる音がして、ゆっくりと開いていく。
と、その隙間から臭ってきたのは生臭い――血の匂いだ。
思わずハッと口元を手で覆って、この中で行われていたのだろう何かを想像してしまう。
さっきの木製の扉は重々しくて、中の音なんかはそこで遮ってしまいそうなくらいには重厚な作りだった。だから、まさかと、思ってしまう。
そんなはずはないと思いつつも、アレンシールが開いていく扉の隙間に身体を滑り込ませて、アルヴォルが止めようと声をかけてくるのにも構わずに中に足を踏み入れる。
その中の世界は、まるで水族館のようだと、オレは思った。
オレは海が嫌いだ。だから水族館に行ったこともなければ興味を持ったこともない。
波が怖かったわけじゃない。
だって波のプールは大好きだったし、そもそもプール自体は平気だったから泳ぐのだって得意な方だ。
温泉もお風呂も平気。
でも海は本当にだめで、海となると途端に泳げなくなって泣き喚いて両親をイラつかせてばかりだった気がする。
それ以外は親の言う事を素直に聞いていた優等生だったのに、とにかく海だけはだめで、怖くて、ある程度の年齢になって臨海学校へ行く事になった時も、海への恐怖のあまり具合を悪くして新幹線で先に教師と帰宅するという、完璧主義でエリート思考の両親にとっては頭の痛い事件まで起こしてしまった事もあった。
特に夜の海が駄目で、夜闇から聞こえる波の音にすら泣いてしまったこともある。
ここはまるで、その夜の海そのままだった。全身を包みこんでくるような黒い圧迫感に、今まさに魚が泳いでいるようなレリーフの絵。そして、生臭さ。
オレはよろめいて扉にぶつかりそうになり、その直前にアレンシールに抱きとめられて何とかその場で踏ん張った。気持ちが悪い。なんだって地下室で海を思い出さなければいけないんだ。
数回深呼吸をして、廊下よりも一段暗いように思える室内をぐるっと見回してから自分とアレンシールの目に【暗視】をかける。この部屋には、蝋燭の類はついていないようだった。
そうして見えたのは、床いっぱいに広がる血液の痕跡。それもつい最近広げられたものなのか、あと一歩先に進んでいたらびしゃっ音を立てて踏んでしまいそうな量と生々しさだった。
それに、よくよく見てみれば壁画の一部には見覚えがある。今でもハッキリと思い出せる、オレが衝撃を受けたあの絵。
「これは……エルディさんの所で見た……」
「……そのようだね」
間違いない。あの廃神殿でエルディが見せてくれた壁画に描かれていた【魔女】の壁画だ。
壁画の【魔女】は黒い衣装を纏い、綺麗なアクセサリーをたくさんつけて光り輝く杖を手にして肩にはカラスを乗せていた。
彼女の周囲にも同じような衣装の【魔女】が何人もいて、けれど服の色と杖が放つ光の色はどれも違う。
それでも同じなのは、彼女たちが沢山の人々に施しを与えているのだろう事だった。
一人は傷を癒やし、一人は死者を墓から起き上がらせ、一人は手のひらから落ちてくる稲穂を人々に与え、一人は輝く杖で世界を照らし……
けれど、この壁画にはその先がある。
【魔女】が照らしている大地のその先にあるのは、海だ。オレがさっき「水族館に居る」と思ったのは、この海の絵を見て感じたものだったのだろうとわかる魚たちの泳ぐ青と黒の水面。
だがドームの中をぐるりと見回してみれば、その海も途中で途切れて再び【魔女】なのだろう女性たちが絵画に登場してきている。
【魔女】なのだろう女たちは何かの本を囲んでいた。その本には人間の顔のようなものがへばりついていて酷く不気味で、だからだろうか、【魔女】たちはそれを封印しようとしている、ようで。
なんだあれは。そう思いながらぎゅっと眉間にシワを寄せてよくよくその絵を見ようとしたオレは、しかし一歩を踏み出す前に血塗れの地面に転がっている黒い影に、気が付いた。
一瞬死体かと、この血痕の主かと警戒したその黒い影を見て「人だ」と直感する。背中で腕を拘束され口の中に布を詰め込まれて呼吸すらもが苦しそうで。生きている、と気付いた瞬間に、ボサボサの髪で顔が隠れていても、一言も発さなくても、それが誰なのかを理解する。
「ジョン!!」
後ろ手に拘束されているジョンはぐったりと床に倒れ込んでいて、その身体の半分は血なのだろう黒い液体に塗れていた。
怪我をしたのかと一瞬焦るも、【暗視】で色がハッキリとしない世界で見えたそれは明らかにジョンのものではないとすぐにわかった。
彼のすぐ近くに転がっているのは、人間の下半身だ。
思わず息を呑むオレの横で、アレンシールが歯を噛みしめる音がする。
「ラムス3は、ここまで来ていた……だが、」
ここで殺された。
アレンシールの噛みしめるようなその言葉と共に身体に叩きつけられる生臭い匂いに、オレはまた目眩がしたような心地がした。