リリが落ち着いてからフロイトとヴォルガにも【認識阻害】の魔術をかけたアイテムを渡して宿を出てみると街の入口に向けて歓声をあげている人々の背中が見えて、どうやら辺境伯たちはあちらに居るのだという事がぼんやりとわかる。
流石に兵を連れて祭りの最中の街中に入るなんてことはしないか、と納得をして、オレたちも荷物を全部マジックバッグに入れてからコソコソと裏路地から街の出口を目指す
あんなに街の出口を封鎖するみたいに沢山の人が居るとそこを突っ切るのは骨だし、目の見えないフロイトを連れて人混みを抜けるのは現実問題無理がある。
ヴォルガにはしっかりフロイトを抱いていてもらってから、オレはリリと手を繋いで裏路地を急いだ。
この裏路地だって凄い人だったが、表通りよりかはまだマシな方だろう。何しろ裏路地からじゃあ街の入口を正面から見る事は出来ないのだ。近付く目的以外でこの路地に居ようなんて思うヤツは居ないだろう。
「あ、アンタ! そこのお嬢ちゃん!」
しかし、そんな路地裏を走っている時にオレは聞いたことのある声にピタリと足を止めた。
誰かと思えば、昨日ジョンと一緒に食べ物を買った串の屋台の女将さんだ。今日の屋台用のものなのか沢山の荷物を抱えた彼女は、一緒に居た男性に荷物を全部押し付けてオレの方に小走りでやってくる。
「アンタ、大丈夫だったかい? 一緒に居たあの眼帯の人は?」
「……彼は……」
思わず言葉に詰まると、察したのだろう女将さんの顔がくしゃりと辛そうに歪む。
よく見れば、彼女と一緒に居た男性は昨日ジョンと一緒に神殿に連れて行かれていたはずの屋台の旦那さんの方だ。アレンシールとヴォルガが「一般人たちは大丈夫」と言っていたが、本当にきちんと救助して外に出してくれていたらしい。
残念ながらその「一般人」の中にジョンは入っていなくって、女将さんも旦那さんもそれには気付いてしまったのだろう。ある意味、お布施を求める神殿騎士から屋台の人を守ろうとした存在なのだから、彼らの表情も無理はないかもしれないが。
「……大丈夫ですわ。王都に移送されたそうなので、これから追う予定なんです」
「お嬢ちゃんたちだけでかい?」
「えぇ。でも、心強い味方も居るから大丈夫です……絶対に」
絶対に、取り戻しますから。
なんでそんな事を言ったのか自分でもよくわからないがハッキリと女将さんに告げれば、女将さんはちょっとばかり安心したような顔をして笑ってくれた。
昨日はオレたちにとっては文字通りの激闘の一日だったが、彼女たちにとっても心配の勝る一晩だったのかもしれない。
旦那さんがいつ頃家に戻ったのかはオレにはわからないけれど、気が気ではなかったはずだ。
無事で良かったと、思う。本当に、一人の犠牲者も出なくってよかった。
神殿なんぞのために犠牲者が出てしまうのはやっぱり、違うのだ。
にっこり笑って見せると女将さんもオレのやる気を受け取ってくれたのか、人数分に一本を追加した串肉をくれた。焚き火の側で焼けばすぐに食べられると、そう言って渡してくれたそれを断らずに受け取る。
この追加の一本はきっとジョンのものだろうけれど、食べるのはアレンシールなんだろうなとちょっとだけ笑いがこぼれる。
アイツがこの串肉を食べるにはいつかまた――来年またここに来ればいいだけだ。勝手に居なくなったのが悪いのだから、悔しがらせてやろう。アレンシールならそのくらいは言いそうで、オレはぎゅっと串肉の入った包みを抱きしめてから女将さんたちに手を振って別れた。
串肉は女将さんたちと少し距離が出来てからマジックバッグの中に入れて、改めてリリと手を繋いで街の入口を目指す。
もうこの手から誰も取りこぼしはしないと、リリの手をぎゅっと握りながら、思う。
リリは勿論アレンシールも、キルシーも、ジョンも……今日からはフロイトとヴォルガも、一度懐に入れたのならばきちんと守らなければいけないのだ。
「エリス、こっちだよ」
「アレン兄様っ」
「辺境伯は少し離れた場所に移動したから、裏から行こう」
「あれ? でも今、あっちに人だかりがありますよぉ」
「アレは奥方のイングリット夫人だよ。私たちが合流しやすいように表に出てくれているんだ」
裏路地を真っ直ぐ街の入口まで走ると、それを予知していたようにひょっこりとアレンシールが顔を出した。
アレンシールに合流してみればもう表通りの歓声は凄まじくって、その歓声の隙間から見える馬上の麗人を思わず拝んでしまいそうになる。
朝日のような赤い髪に、全身鎧を身に着けた女性は「伯爵夫人」というポジションに居るだなんて思えないくらいには雄々しく、美しかった。
彼女は、自分に向けられる歓声にたまに手を振って返したりしながらせわしなく動いている騎士たちと会話をしている。なんだかまるで仕事の最中であるかのようだ、と思ったオレはすぐに「あぁ」と思ってしまった。
神殿だ。
先にアレンシールが何かを伝えてくれていたのだろう、彼女に指示を受けた騎士たちはキビキビと動き回っている。
その向かう先のひとつは確実に神殿で、それに気付いたヴォルガがフロイトを抱きしめ直した。
今ここにフロイトが居る事は、誰にもバレてはいけない事だ。フロイトもヴォルガも、自由になるためにはここで「死んだ」という事実を作っておく必要がある。
バルハム大司教がどういう意図でフロイトをここに送ってきたのかはわからないが、本人が望まない限りはフロイトもヴォルガも神殿に戻す気は、オレにはない。
オレたちは、何となく複雑な心地になりながら騎士たちに伝達を飛ばしているイングリッド夫人を横目に、路地ひとつ分離れた場所にある裏口からフローラの外に脱出した。
勿論そこにも騎士たちは居たけれど、アレンシールを申し合わせていたのかオレたちの姿を見ても驚くことはない。
まるでオレたちは存在していないかのような、というのが正しいのだろうか。街を抜け出しても何か言う事もなく、ただ自分の役目を全うするためだけにそこに立っているような……
それでも、それとなくオレたちを隠そうとしてくれるような、導いてくれているような仕草に彼らなりの配慮を感じて少しだけ笑ってしまいそうになる。
「おぉエリス! 美しくなったな!」
「叔父様っ」
そうして騎士たちの流れに逆らわずに進んだ先には、一際豪華な鎧を着込んだジークムント辺境伯が地図を睨みつけるようにしながら待っていた。
アレンシールやリリも居るのに一切構わずにエリスを抱きしめる偉丈夫にリリはびっくりした顔をしていたが、アレンシールはもう「慣れっこ」という表情だ。
エリスの日記にも書かれていた。エリスの父フィリップの弟であるジークムンド辺境伯グウェンダルは、一族の中で唯一の女子であるエリスを溺愛していてエリスを可愛がっている時の彼の姿はエリス本人もドン引きしてしまうくらいだったそう。
オレはあえてフルアーマーでのハグというただただ苦しくて痛いだけでしかないものを甘受すると、自分からもそっと身体を寄せてやった。
サービスってやつだ、サービスサービス。
案の定、ジークムンド辺境伯はたったそれだけの動作でも「姪っ子可愛い」が爆発したのか、ぎゅっと抱きしめ返してきてくれた。
別に、別に……元の世界では結構血縁関係がボロボロだったからこのくらいのハグであればオレとしては全然構わないのだが、フルアーマーは流石に痛くなってきた。しかも辺境伯のものだけあってボディ部分には模様まで刻み込まれている鎧なのだ。
ぶっちゃけ、ゴリゴリして痛い。頬が削れてしまいそうだ。
「叔父様、エリスが潰れてしまいます」
「おぉ! すまんすまん、あまりに美しく育っていたものだったからつい、な!」
「ほんの3ヶ月前に新年のご挨拶に伺いましたが?」
「3ヶ月でも斯様に美しくなるのだ! さぁこちらの馬車へ乗ると良い。友人たちもな! 詳しい話を聞かせておくれ」
詳しい話を。
そう言った時の辺境伯の瞳はほんの一瞬だけ何かを睨みつけたかのように見えて、オレは本能的に察する。
この人を敵に回してはいけない。
ドワッと額に溢れてくる汗を前髪で誤魔化しながら、オレはまたパッと笑顔に戻った辺境伯の馬車に粛々と案内された。