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第56話 魔女の首魁と聖者の決意

 結局その日、オレたちは今いるメンバーの中に「敵」が居ない事だけを確認してから眠りについた。

 ヴォルガに関してはオレもリリも少しだけ不安に思ったりもしたけれど、彼女のアレンシールを見る目を一度見てしまうと疑うのも馬鹿みたいな気持ちになってしまう。

 フロイトがこっそり教えてくれた所によるとオーガという種族は「自分を負かした相手」に強い執着を抱くようになるらしく、つまりはまぁ、そういう事だろう。

 それでもまだ今は落ち着かない感情もあるので元々とっていた2部屋をオレとリリとアレンシールで一部屋、フロイトとヴォルガで一部屋と振り分ける事になった。

 もう少しフロイトとリリに交流を持って欲しい気持ちもあったけれど、リリの方が眠そうで限界だったので今日はもう無理だったのだ。

 魔力は体液に浸透する。

 アレンシールはそう言っていて、中でも血液には一番浸透率が高いのだそうだ。

 それを考えると、フロイトの【治癒】で常時回復してもらっていたオレや、ずっと魔術を使い続けていたリリは出来るだけ早く休むべきだろうとも、思ったし。

 風呂には順番に入った。流石に高級宿というだけあってヴォルガが入るだけの余裕もあったので彼女には一人で使ってもらって、フロイトの事はアレンシールに任せて時間をかけて、その間に宿に食事を用意してもらって……としていると、もう全員眠くなっていたんだから結局はオレたちは疲れ切っていたんだと思う。

 それでもすぐに眠れなかったのは、神経が昂っていたというのもあるんだろうがやはりジョンの事が気になって、というのが強かった。

 アレンシールはきっとジョンの本当の姿というか、身分というか、そういうのも知っているのかもしれない。

 今まで「エリス」に関わってこなかった唯一の存在であるジョンは本当に、何者なんだろう。そうは思うのに、彼が味方である事を疑う事がないのが不思議で、不可解だ。

 そんな事を思っていたらとろとろと眠りにつけたけれど、目が覚めた時にはまだどうにも身体に怠さが残っていたから熟睡までにはいかなかったのだろう。

 きっとそれは他のメンバーも同じで、特にアレンシールは気付けば最初に起き出して身支度を整えて何かをしていたようだった。

 もう少し休んでくれればいいのに、とは思うけれど、彼なりに思う所は沢山あるんだろう。この、今の状況に。

「おはよう、エリス。もうすぐ叔父様たちがつくそうだよ」

「え?」

 しかし朝起きた瞬間の第一声に目を瞬かせてしまう。お陰様でぼんやりしていた頭は即座に覚醒したけれど、それと同時に「どうしたもんか」なんて気持ちも出てきてしまう。

 だってオレたちはまだ神殿をぶっ壊した後の街の様子を確認していない。

 ヴォルガとアレンシールが「一般人の人たちは先に逃がしておいたよ」とは言っていたのでそこは心配していないけれど、実際に目にしたわけじゃないからだ。

 そこに、突然の辺境伯夫婦のご到着。

 街の人パニックになりゃしないだろうか。ちょっと心配になって無意識にリリのベッドを見ると、ベッドサイドの止まり木に止まっていたキルシーが「かぁぁ……」と力ない声を出した。

 そうだよな。うん、当たって砕けないと、結局はわかんないんだ。

 そう思いながらベッドを出て衝立の裏でササッと身支度を整え、隣の部屋の扉を叩く。こっちの部屋はヴォルガとフロイトが居るはずだが、すでに話し声が聞こえているから起きてはいるはずだ。

「フロイト、ヴォルガ。おはようございます。ちょっとよろしくて?」

「あぁ、構わない。起きているよ」

「失礼しますわね」

 ノックをしてからすぐのフロイトの返答に油断したのはちょっとあるかもしれないけれど、即座にドアを開いたオレはせめてヴォルガの返答も確認してから開けばよかったとちょっと後悔した。

 部屋の中ではヴォルガがフロイトの着替えをさせている最中で、少し汚れてしまっている司祭服を着せている途中のヴォルガにはめちゃくちゃ睨まれるし、危うくフロイトの尻まで見えるくらいに無防備な背中を見てしまって頭を抱える。

 中身としては同性なので気にする所ではないのだが、一応エリスは淑女であるわけだし、と慌てて扉を背中で閉じた。

 流石にリリには、彼の背中を見せるのは憚られた。本人が気付いているかもわからない、明らかに戦闘でついたものとは違う……誰かによってつけられたのだろう傷を見せるのは、ちょっと。

「……すみません」

「なにがだ?」

「坊っちゃん、動くなって」

「すまん」

「えーと、これからジークムンド辺境伯がフローラに到着されるそうですの。わたくしたちは彼らと一緒に移動するつもりなのですが……あなた達はどうなさいます?」

 ジークムンド辺境伯、という名前に、ヴォルガの手がピタリと止まる。

 まだ目の周りに包帯を巻いていないフロイトは不思議そうに首を傾げるが、ヴォルガが固まったら固まったで自分で服を整え始めたので結構ある事……なんだろうか? 知らんが、ヴォルガの目は段々と見開かれて爛々と輝き始めている。

「あの軍神ジークムンドか……!?」

「えぇ、そうですわね。叔父ですの」

「はっはぁ! おもしれぇ! 一戦やらしちゃくんねぇかな!」

「到着してすぐに攻撃仕掛けたら流石に軍をけしかけられると思うぞヴォルガ」

「お兄様より強いとお兄様が仰ってましたけど……」

「おもしれぇじゃねぇか!」

 あぁ、オーガが戦闘種族っていうのは本当なんだなぁ。

 フロイトの面倒をすっかり放置してジークムンド辺境伯の方に意識がいっちゃってしまっているヴォルガを見て、乾いた笑いが出る。

 フロイトはそんなヴォルガの様子にはもう慣れっこなようでちゃんと一人で司祭服に着替えきったが、その服はどこか薄汚れているし首元がヨレてしまっている。

 オレはワクワクが止まらないと言いたげなヴォルガに好きに語らせたまま放置する事を決めて、フロイトの方へ足音を立てて近付く。

「触りますわよ。ちょっと、襟元が」

「あぁ、すまない」

「……貴方の新しい服も必要ですわね。ちょっと、汚れてますわ」

「はは、そりゃ元々だろうな。染み付いてしまっているんだろうな」

「……はぁ」

 そういう所でも扱いは雑だったわけか、と思わずため息をついてしまったオレの声は、外から膨れ上がった歓声に突然かき消されてしまった。

 ヴォルガも正気に戻ったのか反射的に武器を手に取っていて、フロイトの身体が無意識にか緊張で固まる。

 しかし少しその声に耳を傾けていると、その歓声は決して悪いものではないという事が分かって全員の緊張が徐々に解れていった。


「ジークムンド辺境伯様だ!!」

「御夫婦でいらっしゃるわっ、今年は来て下さったのねっ」

「イングリッド様~!」

「辺境伯様、万歳!!!」


「……めちゃくちゃ人気なんですのね」

「辺境伯の事は僕でも知ってるくらいだからなぁ」

 こんな朝っぱらに、恐らくは少なからず兵だって連れているだろうに辺境伯の到着を祝福する声が物凄い。ちょっと窓の外を覗いてみたかったけれどまだ完全に油断は出来ないからそれは我慢して、隣の部屋に居るアレンシールを呼んだ。

 すると、少しだけ間を置いてからアレンシールはリリと共にこちらの部屋にやってくる。

 ――勿論オレは、見逃さなかった。リリの髪が軽く結われていて、恐らくアレンシールが彼女の髪をアレンジしてやっていたのだという事を。

 そしてリリが照れ臭そうにしつつ新しい服のスカートを握ったり離したりと落ち着かない事にも。


 イケメンこえぇーーーー

 美形マジこえぇーーーー

 妹補正で女の子に優しいのもマジこええーーーー


 もしこれでエリスが妹じゃなかったらオレもヴォルガやリリみたいにもじもじしちゃってたんだろうかと思うと恐ろしい。

 この世界はもしかして、アレンシールが主人公のギャルゲーの世界だったんじゃないか? とまでちょっと思ってしまう。

 もしそうなのだとしたらオレのポジションはアレンシール目当ての女子たちの邪魔をする悪役令嬢で決まりだ、絶対に。

「ちょっと外に出て、叔父様たちに挨拶をしてくるよ。後を任せていいかな、エリス」

「構いませんが……何をすれば?」

「荷物をまとめていつでも出れるようにするのと……」

 彼らの事かな、と、アレンシールは口元だけを動かして声を出さないまま、軽く視線をフロイトとヴォルガに向けた。

 あぁ、まぁ、そうか。

 納得して頷いて、オレたちを残して外に出るアレンシールの背中を見送る。リリがキルシーをアレンシールにつけたのは護衛の意味だろう。うん。そうに違いない。

「フロイト、ヴォルガ。貴方がたはどうなさいますか?」

「どうって、なんだよ」

「わたくしたちは、辺境伯に神殿のことを全て告発するつもりです。この街に残っている神殿騎士ももうほとんど居ないでしょうし、神殿はわたくしたちが使い物にならなくしました。その中で、聖者と呼ばれた貴方がどうするのか、今聞いておかないといけないと、思ったのですわ」

 フロイトが小さく「あ」と言ったのを聞いて、オレはリリを部屋の中に招き入れてから扉をちゃんと閉めた。

 昨日の話し合いの中で、フロイトがオレたちの敵ではない事はハッキリしている。

 それでも、彼は【聖者】だ。フローラのような大きな街の神殿が動きを止めれば彼のような立場の人間が神殿を守る事を希望する声も出るだろうし、領主ではないとはいえ侯爵家と同等の地位を持つ辺境伯が介入すれば神殿は様々な意味で揺れ動く事だろう。

 フロイトは選ばなければいけない。

【聖者】か【魔女】の息子か。

 バルハム大司教の息子のフロイトか、リリの双子の兄弟であるフロイトか、を。


「僕も君たちと一緒に王都に行きたい。ジョンという人の事についても、僕が出来る事もあるはずだからね」

「ッハハ」


 しかしフロイトの言葉に躊躇はほとんどなく、ヴォルガも「言うと思った」なんて言いながら笑っている。

 フロイトはもしかして待っていたんだろうか、こういう日が来ることを。

 真っ暗な闇の中で、いつか外に――神殿から解き放たれるのを、待っていたんだろうか。

 ならば、言う事は何もない。

 オレは、フロイトに抱きついていくリリの背中を見ながら歓声の溢れている窓の外に視線を向けた。

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