こういう場面だと、しばらくメソメソと泣いて兄に抱きしめてもらうのがよくある光景だろう。
でもオレにとってはアレンシールは同性の兄のようなものだったし、メソメソと泣き続けていられるような場面でもない。
オレは唇を噛み締めて涙を引っ込めると、「もっと早く言え」という意味を込めてアレンシールの腹に一発パンチを食らわせてから「エリス」では絶対にしないような笑みを見せてやった。
アレンシールは一瞬目を丸くしていたが、しかしすぐに元の優しい笑みに戻って頭を撫でてくれる。
あぁ彼は――彼はきっと、日本にいる時もこんな感じだったんだろうなと、思う。
あの試験の時、起こしてくれた人がどんな人だったかなんて全然覚えていないけれど、誰もが眠っているオレを放置していく中起こしてくれようとしてくれただけでも、その優しさがわかるだろう。
彼の行動は結果的に、今まで繋がっていなかった「北条ナオ」と「エリアスティール」を繋げる最後の一手になったのだろう。何故、どうしてその行動が切っ掛けになったのかは分からないままだけれど本当にその行動が、アレンシールの声でオレが起きたという事が、この世界の何かを変えたのは多分間違いない、と、思う。
謎はまだまだいっぱいだ。
だからこそ今は徐々に謎を解き明かして、納得をするために知っている人から情報をもらわないといけない。
「セレニア……だったものを倒した時も何か知っていそうでしたが、アレも前々からの知識で?」
「まぁ、そうだね。セレニア嬢本人を殺したことはなかったけど、何回目からだったかな……神殿は魔石っていうものの開発に成功しているんだ。それで、その魔石を取り込むとあんな風になってしまって、魔石を壊さないと本当に死ぬ事はない」
「魔石ぃ? 坊っちゃん、聞いたことあるか?」
「……無い。でも、何となくはわかる。神聖石の事だと思う」
「そちらではそう言うのか。やっぱりタチが悪いな、神殿は」
にっこり笑顔で言うものだからちょっとだけ、今のアレンシールは怖い、気がする。
つまりそれだけ怒っているという事なのかもしれないが、兄が妹を宥める手をそのままに頭を撫で続けてくれているからなんだか、凄く複雑というか、胸の中がギューッとするから、困った。
「フロイト、神聖石というのは何ですの?」
「神聖石というのは
「……坊っちゃんが作った、って事か?」
「分からないんだ。真っ暗な中で……いつも最後に殴られたり何かで切られたりしてて、そんな事が続いていた時に【治癒】が使えるようになってね。【治癒】を覚えてからは何かを握らされて、それに魔力を込めろ、って宝石だとは、今聞いて知ったんだけど、多分【治癒】が使えるようになるまでは血か涙か汗か……そういうのを石にかけてたんだと思う」
「……なるほど。魔力は血や体液に巡ると聞いたことがあるよ。君の想像は、きっと間違っていない」
「……ひどいわ」
リリがキルシーを抱く手にぎゅっと力を込めた。
オレから見てもフロイトの言葉には嘘はないように見えるから、きっと彼は真っ暗な部屋の中で色々とされてきたんだろう。ただ、【魔女】の息子であるというだけで。
もし彼が【治癒】を覚えなかったら、身体中の血を抜かれて神聖石とやらにされていたんだろうか。
あの目も、もしかしたら長年の暴力が原因で見えなくなったのかも。そう思うだけで、めちゃくちゃに胸糞が悪かった。
日本に生きている時、ウチの両親もクソみたいな親だったのは覚えてる。でも暴力だけはほとんどなかったし、学校内でオレがいじめられるような事があれば「暴力は別だ」と学校にも抗議に行くような親だった。
だから、親が――例え養い親だとしても親と名乗っている者が自分の子を傷つけていたという事実が、許せない。
「わたし……私は、貴方がそんなめにあっている時に、お母さんたちと普通に生きていたんだね……」
リリの声は必死に絞り出すようなそれで、危うく聞き落としてしまいそうなくらいには小さかった。
しかしすぐ側に居たフロイトにはちゃんと聞こえていたのか、リリの居る方向を見たフロイトはぎこちなく手を動かしながらなんとかリリの手にそっと触れた。
「……君の手は働き者の手だね。家族を守って、両親を手伝ってきた人の手だ。君の手がそういう手で良かったって、僕は思う」
「でもっ……!」
「あんなふうに扱われたのが君じゃなくて、本当によかった」
キルシーを抱くリリの手をそっと撫でながらのフロイトの言葉に、ついにリリの目から大粒の涙がいくつもいくつも溢れて落ちる。
初めて知ったとはいえ自分の双子の兄弟が、自分の知らない所で家族から引き離されて一人でつらい目にあっていただなんて本当に、本当に辛い事だろう。
リリのように心の優しい少女ならば自分のことが許せなくて仕方がないはずだ。
全員死んだと思っていた所に唯一の血縁者が現れた喜び、なんてものを噛み締められるような状況じゃあない。母に守られて逃げて、母に愛されながら生きてきた自分を許せる事なんてきっとこの先ないのかもしれない。
その溝を乗り越えられるかどうかは、この双子の絆にかかっている。二人ともいい子だからきっと乗り越えられるとは思うけれど、今すぐにとはいかないだろうというのが、どうにもしんどいものだ。
「……あの、アレン兄様」
「あ、やっぱりそっちで呼ばれるんだね」
「今更変えるのも難しいですわ」
「ジョンには普通だったのに」
「アレは……本当に、なんでなんでしょう。自分でもよくわかりません」
茶化すでもなく微笑んでくれるアレンシールにちょっと照れくさくなりながら、オレはふいっと視線を外した。
なんというか、日本でのオレの素性は知らなくとも一番人に知られたくなかったシーンを知っている人、というだけでなんか、微妙に恥ずかしくてたまらん気持ちになる。
でもアレンシールにはまだまだ聞きたい事がいっぱいある。
神聖石についてもそうだが、彼が一体どこまで知っているのか――今まで彼は、どこまで長生き出来ていたのか。
この先は、どうすればいいのか?
「……多分ね、君がジョンくんに対して素のままでいられるのは、彼が"今までの人生"に関わってきたことがない人だからだと思うよ」
「えっ……」
「今まで、それこそ数え切れないくらいやり直したけれど、ジョンなんて人に私は出会った事がないんだ」
「ジョンが……今まで居ない、人……?」
思わずアレンシールを見上げながら問えば、アレンシールは笑顔を消して神妙な面持ちで頷いた。
エリスの日記には、彼女は何度も「やり直した」と書かれていた。それでも駄目で、どうしようもなくなってオレに頼ったのだと。
それが、アレンシールが日本に居た時にオレの存在に気付いてオレを……多分オレの魂的なそういうものを起こした事で可能になったのだとしたらアレンシールの言葉にもエリスの日記にも納得が行く。
彼らは試行錯誤して、きっと何度も死を回避しようとして、様々な事を繰り返してきた事だろう。アレンシールがこれから頼ろうとしていた人も、その中で「大丈夫だ」と判断した人なのかもしれない。
リリを連れて行く事に関して反対をしなかったのも、あの廃神殿でエルディたちをあえて殺さなかったのも、アレンシールにとっては「通ってきた道」だからなのかも。
なのに、そんな「通ってきた道」の中に、ジョンは居なかった。
セレニアに「あの方」と呼ばれ、捕まった直後に王都へと送られるような扱いを受けていたジョンを、今まで何度も同じような状況を繰り返していたのだろうアレンシールも知らなかった、んだ。
それって、どういう意味なんだろうか。
ジョンは、本当に一体、何者なんだ?
「明日の朝にはジークムンド辺境伯がフローラに到着されるはずだから、彼については叔父様にも報告をしよう。ダミアンのことといい、神殿が何かを企んでいるのは間違いなさそうだからね」
「……はいっ」
最早、神殿がただの善意で信仰を集めてきたというのはただの幻想なのだろうと、オレにはわかってしまった。
いやずっと知っていたけれど、ここまでとは思いたくなかったのかもしれない。
だがダミアンのあの変貌と、セレニアの謎の力、神聖石という名の魔石――そして王都へと連れて行かれたという、
もう戻る事はないと思っていたけれど、結果的に戻るべきは王都でしかないのかもしれないと、オレは兄の手を甘受しながらぎゅっと唇を噛み締めた。