「ふふ、それは私の事だね。覚えていてくれて嬉しいよ、フロイトくん」
「「「えっ」」」
オレ以外の全員の声が重なる。
無意識に腕を擦りながら、オレは笑顔のアレンシールを見ていた。
アレンシールがオレの味方で居てくれているのは、幼いエリスがアレンシールの病気を治療したからだと、オレはずっと思っていた。
実際エリスの日記帳にもそう書かれていたし、彼が「エリスの味方」であるのは間違いないだろうと、それだけは確信をしていた、のに。
なのに、今のアレンシールは何故か怖い。
明らかに身長差もあり、体格差だってあるヴォルガとの戦闘においても一切の怪我をしていない事
普段の戦闘においても「病弱だった」なんていう前情報が嘘としか思えないくらいに強かった事
……セレニアの殺し方を知っていた、事
そのすべてが、今更マトモに考え始めると恐ろしく感じる。彼が座っているのは宿屋に備え付けられているただの木製の椅子だっていうのに、その椅子すらまるで玉座かなにかのように威圧感を覚えた。
アレンシールはいつだって「エリス」の味方だった。
それが本当に「だった」になってしまうなんて事は、想像もしたくない。
無意識にかヴォルガが己の武器に手をかけ、オレも少しだけアレンシールを警戒する。一番敵で居てほしくなかった人がもしかしたら敵かもしれないだなんて、想像もしたくなかったのだけど。
だけど――アレンシールはオレたちのそんな気配を感じ取るとパッと両手を上に上げて肩を竦めた。
その目はただ、オレを見ている。
「勘違いしないで欲しいけど、私は君たちの敵じゃあないよ。ただ、私は同じ状況を何度か繰り返しているから、今の状況を予測できただけにすぎないんだ」
「……え?」
「同じじょうきょうを、なんども……?」
「そうだよフロイトくん。前回は君だけじゃなくエリスも、リリさんも私も……みんな死んじゃってね。今度はちゃんとやり直そうって思って最初から下準備をしていたんだ」
背筋が、ゾワッとした。
リリもフロイトもヴォルガも、アレンシールが何を言っているのかまるで理解出来ていないのか首を傾げるばかりだが、オレには彼の言っている事の意味がわかる。
転生者。
オレと――エリスと同じ、何度も同じ世界を繰り返している、死ぬたびに戻ってくるそういう人間。
「最初は自分でもただ夢を見ているだけだと思っていたんだけれどね。目が覚めるとこことは違う世界で、また目が覚めるとこの世界に戻っていて……って繰り返していて、でもある日一個だけ違う事をしたらその夢にいきなり変化が起きたんだ」
「夢の中で違う事をしたって事か?」
「そうだね。少なくとも私はその世界を夢だと思っていて、何度もやり直せるのはゲームみたいなものだと思っていたんだ。私は別の世界でも、エグリッドでも、どちらでも必ず途中で死んでしまって、何もしなければ必ず同じ日に死んでいたんだ。そうしているうちにどちらが現実なのか、本当に夢なのか……何度同じことを繰り返すのか分からなくなってしまったんだ」
「夢の中で夢を見るって……嫌ですね」
「そうだねリリさん。本当に、とっても嫌だったよ。だから……その繰り返しの中で一個だけ違う行動をとったんだ。本当に些細な、些細な事をね」
まだ状況を理解していない仲間たちの中で、オレは黙ってアレンシールの言葉を聞いていた。
だってアレンシールは、オレを見ている。真っ直ぐに、リリたちに聞かせているわけじゃなくてオレに聞かせているんだっていう事がハッキリとわかる目線で、オレを見ている。
あぁ、そうか。
アレンシールは、知っていたんだ。
エリスが、エリスではないっていう事を。
「夢の中でね、とある試験を受けた時に、試験会場で眠りこけている若者を、起こしたんだ」
「――――!!!!」
「とある仕事に就くための試験でね。多分私は何度もその試験を受けていて、同じ試験会場に居たその若者の事も何度も見ていたけど、いつもは放置をしてしまっていたんだ。なんで試験会場まで来て寝てるんだろうって、不思議でね」
だから、何度も繰り返される日々に飽きて、その若者を起こして一言試験が終わった事を教えて、帰ったんだ。
アレンシールの言葉に、「あの日」の出来事が凄い速度で頭の中で再生されていく。
あの日、オレは両親に指示をされるままに公務員試験を受けに行ったんだ。何の疑問も抱かなかった。ただ、両親が「受けろ」と言うから、受けにいって。
あの時会場には偶然同じ大学の別のゼミの奴も居て、緊張しきっていたからか顔見知りが居たことに安心したオレは何も疑わずにソイツが差し出してきた自販機の紙コップの飲み物を受け取って飲んで……
それから、記憶がない。
気付いたのは、ベンチで爆睡しているところを試験終わりの誰かに起こされた時だった。
そう。誰かが、誰かが起こしてくれたんだ。「もう試験は終わりましたよ」なんてありふれた言葉で、試験会場の外の休憩所のベンチで眠っていたオレの肩を叩いて「大丈夫ですか?」って聞いてくれた人が居て……
その人は、ある意味ではオレの、【北条ナオ】の絶望の始まりの人だった。
勿論その人が悪かったわけじゃない。ただ、公務員試験に落ちたから家を追い出されて、ブラック会社に入るしかなくて、その結果一人で死んだだけっていう、それだけの事なんだけれど。
でも、それがまさか、
まさか、そんなことが、
「最初の一回目はその人は起きなかったけれど……次の時、その人を"起こして"から、世界が変わったんだ」
同じことの繰り返しだった夢の世界に変化が起きた。
思春期だったからか、同じ侯爵家の中で婚約をしたせいか少し距離の出来ていた妹が自分を頼ってきてくれた。
死ぬはずだった日に死ななかった。
家を抜け出して旅に出る事になった。
「つまりは、何度も死んでいた日を生き延びて、今がある」
「そんな事って……あるんですねぇ」
「転生……? 時間の繰り返し? でも記憶を持ったままなんだよな?」
「お前が何言ってんのかオレにはぜんっぜんわかんねぇよっ」
不思議そうにするリリと、考察を始めるフロイトと、思考を放棄するヴォルガ。そんな三人に笑顔を浮かべながらも、やはりアレンシールの目はオレを見たままだった。
彼は、気付いているんだろう。
その時に"起こした"のがオレであるという事も、この身体の中に入っているのはエリスではなくてオレであるという事も。
どういう原理なのかはオレにはわからない。彼の言葉とエリスの書き残した事の齟齬をどう受け取っていいのかも、わからない。
でもわかるのは、エリスが毎回アレンシールやリリを助けようと藻掻いていた時間の間アレンシールも何らかの準備をしていたという事、だ。
アレンシールに助けを求めた事で、アレンシールはオレを信じて逃亡の手筈を整えてくれた。
アレンシールが助けに来てくれたから、オレはリリを連れてリリの家から逃げられた。
アレンシールが逃げる算段をつけてくれていたから、オレたちは行き先に迷わなかった。
アレンシールが強かったから、オレたちは安心して旅を続けていられた。
アレンシールがフロイトに「魔女の息子」であるという事を教えていたから、フロイトは【魔女】の味方だった。
アレンシールが、
エリスが「絶対に助けて欲しい」と言っていた、アレンシール、が、
「……マジかよ」
「ふふっ! 君が先にジョンくんに素を見せていたのを見た時はちょっと嫉妬をしちゃったよ。でも私は、ずっと、何があっても"君"の味方であろうと決めていたからね」
この人は分かっていたんだ。ある程度の未来を、何度か分岐したその先を。
エリスが試行錯誤していたのと同じように試行錯誤して、恐らくは剣の腕も磨いて、自分の知っている情報は全て「エリスたち」が生き残る事に使っていてくれたんだ。
それだけで、グッとくる。
彼が味方をしてくれていたのは、「エリス」じゃなくて「ナオ」だったんだと、初めて知った。
最初は「エリスの兄」だったのかもしれない。けれど、エリスが何度も世界をやり直す中で彼は別の世界を知り、その結果今ここに……「オレの味方」になってくれているんだ。
無意識に目頭が熱くなってくるオレの頭を、そっと椅子から立ち上がったアレンシールが抱え込む。
この世界に来たばかりの頃、「味方をしてくれ」と頼んだ時にも彼はオレを抱きしめてくれた。泣いてしまったオレの涙を拭いながら、優しく優しく、なだめてくれた。
「だから、ね。泣かないで、私の愛しい子」
その言葉を聞いたらもう、涙腺の我慢は限界だった。