転移魔術で宿に戻ると、オレたちはフロイトによる【治癒】の厄介になった。
彼の【治癒】の力は本物で、本人はどこまで凄いことなのかは理解出来ていないようだったが、その場に居る全員が負っていた大なり小なりの傷を一度に治し切るっていうのはそう簡単に出来ることじゃあない。
なんでも出来る【魔女の首魁】であるエリスだって治療の痕跡とも言える痒みだとかそういうのを残さずに治すのは不可能だ。
でもフロイトの【治癒】にはそういうものは一切なくって、徐々に閉じていく傷口や再生されていく火傷をじっと見ているとただただ不思議な気持ちになる。
これだけの力があるのなら自分の目だって治せてしまいそうなのに、というのは、禁句だろうか。
「さて、聖者様。少々伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
オレたちの中で唯一無傷だったアレンシールが、オレとリリの着替えを持ってきながらいつもの笑顔を浮かべながらフロイトに声をかける。
目の見えないフロイトはいきなり声を掛けるとビクッとするクセがあるようだったから、わざと足音をたてて「近付いてきているぞ」というのを示すのを忘れないのは流石の配慮というか、何というか、だ。
とりあえずアレンシールから着替えを受け取ったオレとリリは、いつの間にかアレンシールが立てていた衝立の向こうに押しやられて服を着替えさせられた。
まぁ確かに、裾が焼け焦げて足が思いっきり出ている服をいつまでも着ているというのは少しアレだったかもしれない。
オレは自分とリリに【清浄化】の魔術をかけて身体を綺麗にすると、すっかり原型を留めていないワンピースをバサッと一気に脱いで床に捨てた。
ジョンが褒めてくれたワンピースだ。少し惜しい気持ちがないわけでもないが、流石に服一枚を修復するために魔術を使うのも……なんか、変だろうし。
「聞きたいこと……とは」
「まずは、何故貴方がエリスの味方をして下さっていたのか、ということです」
あぁ、それは知りたいかもしれない。
床に捨てたワンピースだけを燃やしながら、衝立の向こうで話をしている男2人の話に耳をそばだてる。
同じようにリリも半端に服を脱いだまま衝立にへばりついていて、視線が合った時には何となく二人で笑い合ってしまった。
「それは……簡単なことだ。僕は、最初から【魔女】が敵だとは思っていなかったから」
「……君は、神殿の聖者なのでしょう?」
「そうだけど、それはただ僕に治癒のちからがあるから
フロイトが、ぎゅっと己の腕を掴んで力を込める。
何かを言おうとしているのに言うのを躊躇しているような、そんな素振りだ。
オレたちを信用していないわけじゃないのだろうし、本人としては「言おう」と思っているはずの動作。そんな彼の口から出ようとする言葉を引き止めているのは、きっと、ただただ「恐怖」が彼にあるからだ。
一体何が、何に対してフロイトが恐れを抱いているのかは分からないけれど、フロイトはまず間違いなく何かを怖がっている。
目が見えないのにあの祭りの中で一人でウロウロ出来るようなフロイトが、ただ言葉を吐き出すだけの事を、恐れている。
「……僕は、自分が魔女の子供だっていうのを知っていたんだ」
えっ、と声を上げたのはヴォルガだろう。
同じようにリリも顔を上げて、ただアレンシールだけが無言で腕を組んで椅子に座っている。
オレは急いで服を着替えるとさっきアレンシールがしていたようにわざと乱暴に足音をたてて衝立の外に出た。
足元の振動と足音に気付いたフロイトは一瞬だけ顔を上げて、それからまたすぐに顔を下ろす。それから少し躊躇をするように唇を噛み締めてから、今まで自分にあった事を話してくれた。
「デヴィド・デ・バルハムというのが養父の名前なんだけど……何歳頃か忘れたけど、気付いたら神殿に居て……そこで、家族がみんな火事で死んだって、言われたんだ」
「大司教直々に?」
「そう……その時は僕祖母の家に居て……祖母も、火事に巻き込まれて死んだって聞いた。だから僕は母さんがいつも首に巻いてくれていたスカーフだけしか形見もなくて……火事の跡地にすら連れて行ってくれなかった」
それからの日々は、悲惨というより他なかった。
神殿に引き取られた幼いフロイトは、窓すらない地下の部屋でひたすら神殿の経典を覚えさせられ、勉強を叩き込まれ……時に暴力すら受けながら外に出されることはほとんどなかったと言う。
しかも経典を読み上げる時には誰かが読み上げたのを復唱するばかりで部屋にはろくな灯りもなく、フロイトの目は段々と光を忘れてしまったのだと。
「火事……ですか……」
「リリ、覚えはある?」
「えぇと……私が凄く小さい時に故郷で火事があったとは聞いたことが……それで、王都に出てきたんだって、母が言っていました。父とは、その王都で出会って結婚したんだ、って」
「じゃあ、リリさんとお父さんは血がつながってなかったのか」
「そ、そうです。でも、実の娘みたいに……育ててくれて……」
話しているうちに家族のことを思い出したのか、リリの深緑の瞳に涙が浮かび始める。
オレはリリの肩をぎこちなく抱いてポンポンと叩いてやりつつも何となく話が見えてきたなと、思っていた。
リリとフロイトは恐らくは本当に双子なのだ。リリの母は一人で二人を産み、地球で言うシングルマザーとして二人を育てていた。
だが【魔女】は断罪するものであり、見つけたら殺すものであるという認識はこのエグリッド王国では小さな子供だって知っている事。きっと何らかの事情があって【魔女】である事がバレたリリの母の家は放火され、それを知った祖母までもが殺され……その時のドタバタでフロイトは現場に置き去りにされてしまったのだろう。
フロイトが殺されなかったのは、単純に「男」に【魔女】の力の継承はないと思われていたからなのか、それとも大司教には別の思惑があったのか……
皮肉にも本当に「形見」になってしまったスカーフが今手元に無いのが惜しい所だが、多分そのどちらかで間違いはないだろう。
その結果、【魔女】を断罪した側の人間に連れ去られて今日までこうして【聖者】として祀り上げられていたのだと思うと、胸糞でしかない。
「それで、貴方はバルハム大司教の養子になって育てられたのね?」
「……そうなるね。本人の顔は、見たこともないけど」
「その目は……いつからなの?」
「いつからなんだろう。ずっと真っ暗だったから、そもそも最初から見えていたのかも覚えていないんだ」
「チッ! クソ野郎が……っ」
ヴォルガの拳を打つ音が激しく部屋の中に響き渡る。
クソ野郎。バルハム大司教の事を言い表すのにこれ以上的確な4文字もないだろう。
ただ【魔女】であるというだけで家に火を付けて住民を殺し、そこに唯一残されていた幼子を連れ去り洗脳しながらいつか来るだろう【魔女】との戦いに備えていたのだと思うと、反吐が出そうになる。
バルハム大司教がリリの母が生存していた事を知っていたのかどうかは分からないが、【聖者】が対【魔女】のために動員された事だとか、そもそも【聖者】という【魔女】とは対極の呼び方だとかを考えると本当に、本当に腹が立ってくる。
もしもフロイトが自分の事を【魔女】の子供だと知らなかったら、本当にそうなっていてもおかしくはなかったのだ。
もしかしたら、リリとフロイトの双子で戦っていた可能性だって、ある。ヴォルガは、その可能性に思い至って怒りをあらわにしたのだろう。
「誰が貴方に親のことを教えてくれたの?」
「どんな人かは分からないけど……多分、当時の僕よりも少し年上くらいの男の子だよ。なんか、その日は神殿が酷くバタバタしてて、僕も大司教の息子として僧服を着せられて、出迎えに立たされたんだ」
「という事は、貴族、とかですかね?」
「さぁ……でも、その神殿がバタバタしていた時期に偶然その男の子と会って、神殿に泊まってるって話をしてから本当に唐突にそんな話を聞いて……いつかきっと運命が来るから、それまでは頑張って、って、言われたんだ」
「運命ぃ?」
ヴォルガが怪訝そうな顔をするのもまぁ、無理からんことだろう。運命だとか宿命だとか、そういうのはオレもあんまり信じていないし、何より恐らくは貴族なのだろう家の子供がピンポイントでフロイトにそんな事を言う意味がわからない。
神殿がバタつくくらいの家、となると、それこそノクト家だとかダミアンのレンバス家くらいのものだと思うが、あいにくとオレは大神殿に泊まったりした記憶なんかない。
大神殿に泊まるのは、主に療養だったり神の教えを受ける神官候補の信心深い家の子供くらいのものだ。
だから貴族の間で一般的なのは……身体の弱い子供の療養目的……
オレは、反射的にさっきから黙って話を聞いているアレンシールに視線を向けていた。
アレンシールは椅子に座ったままニコニコしながらオレたちを見ていて、自分の服が少し汚れている事なんか少しも気にしていないような顔で足を組んでいた。
まさか、と、背筋がゾッとする。一気に色々なことが頭の中を巡り、なんで、とか、どうして、とか、そんな言葉が途切れなく頭の中をグルグルと回り始めて。
そんなオレに気付いたのかふとオレの方を見たアレンシールは、オレが今まで見た中でも一番綺麗な表情で――笑った。