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第49話 魔女は語る

 リリ・バーラントは、ほんの半月程前まで貴族という存在とはまるで無縁の生活をしていた。

 アカデミーの中では流石に貴族令息や令嬢を避ける事は出来なかったが、少数とはいえアカデミーには同じ平民の生徒も居たので彼らと一緒に過ごしていれば少しも気にならなくって。

 だから、エリアスティールが自分を探していたと聞いた時にも、あの時に助けてもらったのも、その日の晩は信じられなくて全然眠れなかった程だ。

 両親に「本当なの?」と問われても「多分……」としか言えなかったし、翌日もエリアスティールと会ってやっと現実だと受け止められたほどに、卒業式の直前からの日々はリリにとっては驚きの連続で。

 それから先の逃亡の日々も、リリは驚く事がいっぱいあったけれど概ね平穏に過ごしていたと自分では思っている。

 内容はちっとも平穏ではなくっても、アレンシールとエリアスティールに守られていた自分は「大丈夫」だとずっと思っていた。

 なんの問題もない。

 「大丈夫」と。

 彼らへの信頼感がそうさせていたのだろうが、恐らく本能的ななにかもあったのだろうとは自分でも思っている。

 リリは勘が鋭い方だ。付き合ってはいけない人を見つける事や、いつ雨が降るかなんていう事も結構な頻度で当てていたりもした。

 だから思ったのだ。この人たちに任せていれば大丈夫だろう、と。

 でも、だから、リリは今までずっと、今この瞬間すらエリアスティールに言われるままに動いていた。

 【火】の魔術は今の段階でリリが唯一即座に発動出来る魔術だったから言われるままに使うしかなかったというのもあるが、エリアスティールが足をドロドロにしながら戦っているのを見てリリは、「それだけではいけない」と初めて思ったのだ。

 リリは、自分に【魔女】の才能があるなんて最初は半信半疑だった。

 エリアスティールも「魔女にならなくてもいい」と言ってくれたし、アレンシールもそれには同意してくれていたからそれでもいいのかと納得もしていて。

 その選択肢があった事が何よりも安心を呼び込んで、だからこそ自分がしたいことを選べたのだろう。


『君が一緒に居てくれてよかった』


 けれど、この大神殿に来るよりも半日ほど前。アレンシールと一緒にフローラの街を歩いている時に言われた言葉が、頭の中でぐるぐるとする。

 エリアスティールを狙う酸の玉も、あの長い腕も出来る限り【火】で焼き払っているが、本当ならもっと強い【火】で焼き払えるはずなのにと僅かな焦りがリリの額に汗を浮かべさせた。

 キルシーが困惑しているのがわかる。

 大神殿に入る時にはあんなに簡単に大きく出来た【火】が、今はキルシーに制御を手伝ってもらわなくてもその時の半分以下の火力しか出ていないのだから、それはそうだろう。

 リリが集中出来ていないからなのか、それともダミアンの変貌にまだ動揺しているのか。

 分からない。


『私ではどうしてもエリスとは一緒に戦えない場面もあるだろうからね。君には申し訳ないかもしれないが……君が魔女の道を選んでくれてよかった』


 アレンシールは本当に申し訳無さそうにそう言って、リリはその言葉に咄嗟に返答をする事が出来なかった。

 【魔女】になるという事はこういう事なのだと、アレンシールは分かっていたのだろう。

 こうやって人の死を真正面から見て、自分からも戦いに赴かなければいけなくなるのだと分かっていたからリリに選択肢を与え、それでも「エリスの仲間になってくれてよかった」と言ってくれたのだろう。

 涙が出そうだ。

 リリは【火】を出来るだけ多く作り上げ、連続でダミアンに向けて投射した。半分は酸の流弾に阻まれてしまったけれど、半分は本体に上手く直撃した。

 しかし今のダミアンの身体は【火】に強いのかプスプスとうっすら煙が上がるだけでダメージになっているようには見えない。

 それならまだ、エリアスティールが斬っている表面の方が痛そうに見える。


『約束するよ、レディ・バーラント。私は出来る限り君を守る。君の方が強いかもしれないけれど、私の出来る限りの力で、君の心と身体を守りたい』


 そうだ、と、キルシーを見る。

 今のリリには【火】の向かう先を制御するのは難しい。

 けれど、使い魔キルシーに手伝ってもらえれば狙った場所に【火】をぶつける事は出来るかもしれない。

 リリが狙うのは、エリアスティールが表面を斬った、その場所だ。あの外皮が【火】の威力を弱めているのなら、外皮のない場所を狙えばいい。

 出来る限り大きく、大きく【火】を作る。その間にもエリアスティールはダミアンの表皮を削っていって――彼女の足元は、靴の底は、完全に酸で溶けて足の裏が真っ赤になってしまっていた。

 急がなければ。

 そう思うのに、なかなか【火】が大きくならない。キルシーを何度見ても、キルシーも困惑顔で何も出来なくて。


『そして、お礼に君の求めるものを教えるよ。これでも、君よりは少しだけお兄さんだからね』


 頭の中に過っていたアレンシールの言葉。

 その言葉を思い返しながら【火】をチャージしていたリリは、ハッと思いついて勢いよく振り返った。

 リリとエリスの背後。

 そこに立つ美しい女性。

 セレニア・エルデ。

 自分と同い年のはずの彼女は扇子を手にとても楽しそうに自分たちを見ていて、正直に言えばリリよりもずっと年上の女性のように見えた。

 その足元に座り込んでいる少年はリリの知らない人だが、時折セレニアが蹴飛ばしているような声が聞こえるのが痛々しい。

 セレニアは本当に、本当に楽しそうに、エリアスティールを見ていた。

 扇子で隠しているはずの真っ赤なルージュの口角がリリの場所からもハッキリと見えて、その表情は邪悪としか言いようがない。

 だから、だから、思い出したのかもしれない。

 アレンシールが馬車の中に居るリリに度々言っていた言葉。

 追っ手を始末した後にエリアスティールにも口酸っぱく言い聞かせていた、言葉。


『敵というのは正面に居るだけじゃないんだ。いつだって正面の敵を相手にしながら、後ろを気にしていないといけないよ』


「アイツだわ……キルシー! アイツが邪魔をしているの!」

「ケェッ……!」

「キルシー! お願い!」

 敵は正面にいるだけじゃない。

 それは正面のダミアンと背後のセレニア、今この状況に完全にマッチした状況だった。

 セレニアが意味もなく姿を現したとは思えないし、エリアスティールが一人の敵にここまで梃子摺てこずるのもおかしい。

 それならば、別の何かが邪魔をしているに決まっている。

 それしか、ない。

 リリの声に応じたキルシーがその大きな翼を広げて天井近くまで飛び上がる。その間に、リリはダミアンに向けていた【火】の標的をダミアンからセレニアに切り替えた。

 あの神官服の少年は一体どういう存在なのかは知らないが、多少血をかぶる事だけは我慢してもらうしかない。

 そうでなければ、

「そこの人! 逃げて!」

「…………!」

 リリが叫ぶのと同時に、キルシーがセレニアの真上から落下するように向かっていく。

 キルシーの存在には気付いていたらしいセレニアが扇子でキルシーを叩き落とそうとするが、そこにリリが【火の球】を連続で投射した。

 半分は、ハズレ。

 上手く身体を捻ってキルシーと【火球】を回避したセレニアは、もう半分も持っていた扇子で弾き飛ばした。

 その程度で消される威力ではなかったはずなのに、セレニアの扇子に触れた瞬間に【火球】の威力が一気に削がれて明後日の方向に弾かれてしまう。

 まさか、と思った。

 今まで己の力量を見誤った事はないリリだが、まさか力いっぱいの【火球】を放ってあんなにも簡単に回避されるなんて思わなかったのだ。

 自分では駄目なのかと、一瞬絶望が胸を埋め尽くす。

 自分ではやはり、エリアスティールの助けにはなれないのかと、膝が震えた。


「もう一度よ!」


 しかし、エリアスティールの声に一瞬で膝の震えが止まる。

「一度が駄目なら、もう一度!」

「はいっ!!」

 こんなにもアッサリと絶望感が払拭されたのは初めてのことなんじゃないかと、リリは思った。

 もう駄目だと思ったことは、今まで何度もある。

 つい最近では、家族を喪ったあの瞬間に、リリはもう自分は生きていく事は出来ないと心から絶望をしたものだった。

 でも今、リリは生きている。

 敬愛するアレンシールとエリアスティールの力になれるかもしれない位置に、自分は居る。

 それが何よりのリリの底力の根源となっていた。

 無意識に、母の形見の赤いリボンに触れる。

 エリアスティールも褒めてくれた、彼女に遺された唯一の母の痕跡。

「チッ! 面倒ねっ! ダミアン早く始末なさい!」

 最早自我のないダミアンが雄叫びを上げながらエリアスティールに突進する。ギリギリでそれを回避したエリアスティールは、しかし足のダメージが深刻なのか着地の瞬間に僅かに身体が揺らいでいた。

 急がなければ。

 リリはキッとセレニアを睨みつけると、再び【火球】を構築していく。

 セレニアの足元ではキルシーが甲高い鳴き声を上げて牽制し、リリの魔術の構築を助けてくれていた。

「なに、なによっ! この、醜い獣が! わたくしに触らないで!」

 引き金は、バシッと音を立ててセレニアの扇子がキルシーの翼を打った時だった。

 自分でも驚く程に怒りに脳を灼かれたリリは、チャージもそこそこに素早さだけを求めて【火球】を真っ直ぐセレニアに投射する。

 こんなものではまた避けられてしまう。わかっているのに、キルシーに乱暴をするあの女を放置しておく事なんか出来なかった。

「ハッ! 馬鹿ね、こんなもの…………ッ!!」

 セレニアも再び扇子を広げて【火球】を叩き落とそうと手を翻らせる。

 しかし、セレニアの動きはそこで止まった。

 彼女の足元に居た少年が、セレニアに飛びついたのだ。腰にしがみつき、力いっぱいに踏ん張ってセレニアの動きを抑制する。

 セレニアの驚愕の声と、キルシーがセレニアの扇子に食いつきながら上げた甲高い鳴き声が、リリの鼓膜を揺さぶった。

 直後、セレニアの頭部が半分、パァンと軽い音をたててあまりにも簡単に吹き飛んだ。

 【火球】を投げたリリもびっくりしてしまうくらいアッサリとセレニアの頭部に着弾した【火球】は、凄まじい速度だったからこそ凄い勢いでセレニアの頭部を吹き飛ばしたのだろう。

 しかしそんな事を予想もしていなかったリリはしばらくポカーンとしてしまって、ぐらりと身体を揺らして前のめりに落下してくるセレニアの身体を見守ってしまう。

 【火球】によって脳を焼き取られてしまったセレニアの頭部は、もう鼻から下しか残っていなかった。

 唯一、皮膚にでもくっついていたのか彼女の美しかった眼球だけが真っ白に白濁して彼女の身体と共に宙から落ちていく。

 頭部から落下したセレニアは残った下顎すらも落下の衝撃で首にめり込ませて、塞ぐものの無くなった気道から血液混じりの泡がゴボゴボと、痙攣に合わせて床に溢れ出していた。

 彼女の腰に飛びついたあの金髪の神官も、セレニアの肉体のその様子を見てそのままその場に座り込んでしまった。

 戦う時には上半身を狙えば死傷率が上がると教わったリリにとっては最早驚くべきことではないが、彼にとっては衝撃的な光景だったのだろう。

 彼の身体はもうぐちゃぐちゃで、セレニアの血と、多分彼本人の血で白い神官服がドロドロだ。頭に巻かれていたのだろうか、包帯もズルズルに解けてしまっていて元々の役目を果たせていなさそうで。

 だが、彼を見つめながらリリは自分の身体に、精神に、さっきまであった重苦しいものが消え失せているのを感じていた。

 今なら、フルパワーで【火】を放てると、そう思えるような身体の軽さだ。

「リリ下がって!!」

「は、はいっ!」

「わたくしの魔術は見ていたわね? 自分たちを守るために【障壁】を張りなさいっ」

 エリアスティールもそれを感じていたのか、ダミアンの触手を斬り落とし牽制しながらリリに向けて叫ぶ。

 【障壁】。教わってはいたがまだ一度も使ったことのない魔術だ。

 しかしエリアスティールの方に物凄い魔力の流れが渦巻いているのを感じる今、彼女の言う通りにしなければきっと危ないのだろうと思う。

 何よりエリアスティールは、リリが「出来る」と思って言ってくれたのだ。

 自分を信じてくれている。

 そう思うだけで、リリにやる気を出させるのは十分な事実だった。

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