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第47話 魔女の首魁、共感する

 頭から血をかぶりながらダミアンは笑っていた。

 くすんだ茶色だった髪はすでに黒ずんだ赤になり、血に混じって黄色い脂肪の塊や内臓の破片のような赤黒い何かがこびりついている。

 だというのに、ダミアンがずっと顔をガリガリと引っ掻いて裂けた傷からは血は溢れては来ずただ真っ黒な隙間が出来ているだけだった。

 隙間、隙間だ。

 皮膚が裂ければその下から見えるのは肉や脂肪や、もっと削げれば骨が見えてくるはずなのにダミアンの傷からはそんなものは見えてこない。

 見えるのはただ、その黒い隙間からギョロギョロとコチラを見るいくつもの眼球だけ。

 あまりにも異様なその姿に気付いたのかリリが小さく悲鳴をあげ、キルシーが威嚇をするように高らかに鳴いた。

 アレは、何だ?

 ダミアンのはずなのに、ダミアンではない。

 何かが取り憑いているとか、そういうものなのか?

 フロイトはこの世界には人間以外にも色んな種族が居ると言っていたが、アレも、あのダミアンの隙間から見えているものもそうだというのか?

 あんな風に内側に寄生するような種族なんかも、居るというのか?

「俺は! 俺は! お前よりもずっと偉いんだ! 父上だって、ノクト家なんか! 貴様らなんかが居るから! いつもいつも俺を見下しやがって!!」

「何を、言っているの? ダミアン!」

『ハハハハッ! 欲深い、欲深いな人間! 地位も金も未来の妻も得ながら貴様が望むのはそれでも玉座か!』

「うるさいうるさい!! 王になれば! 俺が王になればあんな王太子なんぞに下に見られることもないのだ! あのエリスにも! アレンシールにも! 誰も、誰もだ!」

 ダミアンは最早オレのことも、リリのことも見てはいない。

 己の顔を掻き毟りながらその『中』に居る誰かと会話をし続け――叫び続けている。

 アレがアイツの本心だったとしても今更驚かないけれど、愚かだなといつものオレなら思ったことだろう。

 侯爵家が玉座に座るには、何らかの理由で王族が全て居なくなって他に血縁が居なくなった後に遠くてもいいからとにかく血族を集めてその中で一番有能な者として貴族会議で選出されなければならない。

 ダミアンのレンバス家とエリスのノクト家は、遠く遠くに王族の血を持っていると聞いたことがある。

 だがそれは過去に一族から王妃になった者が居るというだけで王族が降嫁してきたとかそういう話ではないし、それはレンバス家だって同じはずだ。

 公爵家のない今のエグリッド王国においての王位継承権があったとしても、ダミアンは二桁は後。

 それよりも前にノクト家が居るし、万一今の国王と王太子が居なくなったとしても王位継承権の筆頭はノクト侯爵だろう。

 あぁ、でも、あぁ、そうか。

 ――そうか。

 だからダミアンは、オレを【魔女】だと断罪しようとしたのか。魔女が居る家となればノクト家自体が廃絶される可能性だって十分にあるから、どうしてもオレには【悪い魔女】でいてもらわなくてはいけなかったのだ。

 そしてきっと彼がそう思うように、そもそもエリスが【魔女】であると教えたのはあの中のヤツだろう。もしかしたら、もし本当にリリが魔女の子どもなのだとしたら、それもアイツが教えてダミアンを唆したのかもしれない。

「俺は! おれは!! 魔女を殺す! 魔女を殺せば、おれが王に最も相応しい男になるのだ!!」

「馬鹿なことを……」

「貴様を殺せば誰も! 誰も!! おれを馬鹿に出来なくなる!! 誰も!! 父上すらもだ!!」

「レンバス卿……」

 上半身を仰け反らせて騎士たちの噴き上げる血を全身に浴びながら高笑うダミアンを見て、リリも絶句して動けなくなっている。

 馬鹿だ、この男は本当に馬鹿だ。

 オレはここに来る前のあの男のことは知らないけれど、きっとエリスや、アレンシールや、ジークレインに対してとても大きなコンプレックスを持っていて、その心の隙間をアイツは突かれてしまったんだ。

 さっきまではまだ話し合える余地もありそうだったのに、オレを……エリスの姿を見たことでその感情が爆発して、内側に居るヤツが表に出てきてしまったのだ。

 なんだか、昔のオレを思い出してしまう。

 オレも大学で恋人が出来て、成績も良くて浮かれていて、自分を邪魔に思ったり自分を排除したいと思っている人間が居るなんて思っても居なかった頃があった。

 彼女はオレを見捨てないと信じたかったし、大学では失敗しても公務員試験は受かるだろうと――まさか誰かに邪魔なんかされないだろうと、そう思っていた瞬間も、あったんだ。

 だからこそ、そうではないと思った瞬間の絶望感は言葉には出来なかった。

『いいぜぇダミアン! 力を貸してやる、好きなように暴れろ! みんな殺しちまえ!』

 【魔女】の血はうめぇんだ!と、ダミアンの中のヤツは大きく口をあけて血を飲みながら笑った。

 その身体は段々と膨れていき、さっきまではピッタリだった服が段々と張り裂けそうになってきている。

 内側から膨張しているようなその姿に、「ダミアンの中」に居るヤツが何かをしようとしているのだということだけはハッキリとわかった。

 そして、騎士たちを殺した理由もわかった。

 アレは生贄だ。

 ダミアンの中に巣食っている者は、騎士たちの命を対価としてダミアンの内側から出てこようとしているのだ。

 アレはもうダミアンじゃない。ダミアンではなくなってしまった。

 オレの認識で言えば……例えば、そう、悪魔。心の隙間を無理矢理開いて願望を剥き出しにさせる、悪魔だ。

 もしもあの時の絶望感でいっぱいだったオレがここに来ていたなら、もしもエリスに転生していなければ、もしかしたらダミアンと同じような存在になっていたんじゃないかと思ってしまう。

 全てが憎くて、復讐したくて、世界のすべてを、とにかくすべてを嫌う男。

 エリスが居なければきっと、悪魔になんかすぐに負けていたんじゃないだろうか。エリスが居なければ、オレだって。

 だからダミアンをただ情けない男だなんて言えない。どんなに小さな悩みでも、どんなに小さな苦しみでも、その人にとってはとてつもなく大きい時があるんだ。

 その瞬間、そのタイミングの問題かもしれない。いつもなら小さな悩みが、苦しみが、偶然大きくなっていた時に悪魔に出会ってしまったのかもしれない。

 だがそれでも、そうだったとしても、オレに出来るのはダミアンを憐れむことだけだ。

 悪魔が一体どういう存在なのかは分からないが、ここまで心を侵食されていたらもう、コイツを放置しておくことなんかは出来ないだろう。

 ダミアンが玉座を求めているとわかった以上、同情心で生かしておいてアイツの中のヤツに下手に暴れられれば、今この惨劇がいつ王都で起きてもおかしくないのだから。

 ダミアンの身体はもう、服の中におさまってはいられずに仕立てのいいはずの服もビリビリと破れて人間の皮膚の色とは思えない紫色の肌がどんどんと露出していく。

 ダミアンの顔の隙間からはまるでイソギンチャクみたいな小さな触手のようなものがはみ出ていて、それが波打つように蠢くのが酷く不気味で、触手が唾液っぽい液体を隙間から吐き出すのも気持ち悪くてたまらなかった。

 よく見れば紫色の肌はダミアンの皮膚を内側から引きちぎって表面化したかのようで、まるで木の皮のようにボソボソとしている。あれではもう、ダミアンの肉体は元に戻らないのでは、ないのか?

「……いやっ」

 リリが小さく悲鳴を上げて、その声でオレもあのボソボソとした木の皮のような隙間からも触手が蠢いているのに、気付いてしまった。

 まるで蟻の巣でも覗き込んでしまったかのような、本能的なおぞましさ。ダミアンだったものの肉体はすでに彼の元のサイズよりも遥かに巨大になっていて、さっきのオーガ種の女傭兵よりも大きい。

 何より、この匂い。

 血ではないのに生臭くって、魚みたいな匂いがして、なんだか今自分が海の底にでも居るような、そんな気がして、

 目眩が、した、


「あら、ダミアン様。早速始めていらっしゃるのね」


 オレとリリが何も言えずに立ち尽くしていると高い位置からコツリと軽い音と人がその場に倒れ込むような音がして、オレはノロノロと顔を上げて声の主を探していた。

 声の主が誰なのかは、すぐに分かった。

 オレたちの丁度背後。2階席と建物の奥を繋ぐ廊下の入口に、金髪の女が居る。

 やはり一緒に居たのか、セレニア・エルデ。そう思ったけれど声をかけるだけの元気はなくって、黙って睨みつけることしかできない。

 セレニアはこんな場所のこんな場面だというのにまるでウェディングドレスみたいな真っ白な綺麗なドレスを着て、髪も綺麗に巻いて整えてあって、血で真っ赤に染まっているダミアンとは対極のその姿に一瞬脳がバグを起こしてしまいそうな感覚がした。

 酷い頭痛がする。

 思わずセレニアから視線を少し外すと彼女の足元にも人影があり、その人影は神官服を着ているようだと気が付いた。

 さっきの人が倒れるような音はあの人なのかと、ぼんやりとセレニアと同じ金色の髪を見る。

 一見すれば兄妹か何かだと勘違いしてしまいそうなくらいに色合いの似ている2人は、しかし今この場では違和感の塊でしかなくって――

 あ、と思った。

 オレはきっと、セレニアの足元に座り込んでしまっているあの金髪の人のことを知っているような、そんな気がして。

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