以前リリに、「人を殺すのは怖くないか」と聞いたことがある。
リリは家族を喪っていて、あんな衝撃的な姿を目にしてしまって、それなのに人を殺す事に躊躇はないのか、と。
あの時はまだオレも魔術を使う事だとか戦う事だとかに迷いがある時で、だからこそまだ魔術をよく知らなかったリリに聞きたかったのかもしれない。
リリが嫌だと言えば彼女がまだ引き返せるように魔術から遠ざけただろうし、忘れさせる事だって出来ただろう。
だがリリの返答は「もう怖くありません」だった。
リリはオレが思っているよりもずっと強い子で、ずっとサバサバした子で、彼女よりずっと戦う手段の多いオレの方がびっくりしてしまうくらいで。
「戦う術がない方が、きっとずっと怖かったと思うんです」
リリはそう言ってニッコリと笑った。
同じことを何度も聞くオレに、同じことを何度だって返してくれた。
「私は、エリス様やアレン様と一緒に戦いたいんです」
それが例え人を殺すという事であろうとも、リリは決断をしたのだ。
いつまでもこの世界と――エリスとナオの間でふらふらしていたオレよりもずっと早く、今回の旅は殺すか殺されるかの旅であるのだと受け入れていたのだ。
家族の復讐なんて誰も望んでない、なんていう
なんで自分が狙われるのかも分からないままに家族を殺され、こんな所で人を殺さなくてはならなくなった理由が、ある。
それならオレだって彼女よりももっと大きな理由があるのだから躊躇をしていてはいけないと思えたのも、そう割り切るべきだと進めるようになったのも、この世界がゲームや小説の世界ではなくオレの現実になったのだと受け入れられたのも、彼女の存在があってこそだ。
今や魔術はエリスのものではなくオレのもので、オレが好きに使ってもいいもの。
エリスが作り出してくれたものだが、今はもうオレが好きに作り変えていいものなのだと、わかったのだ。
「高い所にいれば勝ちだと思っていたのかしら。馬鹿ね」
リリによって廊下を破壊されて墜落してきた神殿騎士たちは、五体満足であっても鎧の重さで骨を痛めて床でのた打ち、一撃で死んだ者は生きている者に蹴飛ばされながら血の帯を散らしつつ転がっている。
中には自分たちで持ち寄っていた槍で貫かれて死んでいる者も居るから、神殿騎士の鎧というのは案外お粗末なものだったのかもしれないと笑えてしまった。
白くてピカピカしているだけで無駄にお綺麗な鎧は、どうやらいざって時に命は守ってくれないらしい。
どうせ放置していても死ぬのだから相手をしている暇はないと、オレは落ちてきた神殿騎士たちを無視して先ほどの神殿騎士が言っていた黒い扉とやらに向かってみる事にした。
あんな状況で嘘は言わないだろうし、間違っていたら間違っていたでその先を魔術で潰してやれば生き残っている連中の逃げ道も塞がれていいだろう。
どうせ残っている扉はそう無いのだし、この空間から逃げる事なんかは出来ないのだ。
ゆっくり中を探ったって多少は問題ないはず。
「貴様ら……この、魔女ども! ようやく姿を現したか!」
さてそれじゃあ行こうかと黒い扉に向かっていたオレたちとは真逆の位置にあった扉が突然バンと開かれる。
神像と祭壇の間にあった扉はニスなんだか松脂なんだかで無駄にテカテカしていて重そうだったのであえて無視をしていたのだが、その扉が勝手に開いて会いたくもなかった顔が飛び出して来たのだから思わずオレとリリは揃って「うぇ」と声を出していた。
ゾロゾロと先ほどまでの神殿騎士たちよりも少しばかり豪華っぽい全身鎧を着た騎士たちを連れた、テカテカした生地のスカーフを無駄に強調する衣服で飛び込んできた重そうな服の男――ダミアン・レンバスは、何故かオレたちを見て興奮しているのか頬を真っ赤にして胸を張っている。
ダミアンってこんな顔していたっけ、なんて思い出してみるも、エリスの記憶の引き出しの中にもマトモなダミアンの顔がないので早々に諦めた。
つまりは、エリスも興味のない男だったという事だし。
「よくも卒業式から逃亡してくれたな! 貴様らのための準備をしていたというのにまったく無駄骨だった!」
「貴方の存在そのものが無駄の塊だもの。骨くらい何だというの?」
「な、なにぃ!」
何故だか、軽く言い返してみただけでダミアンがビクッと身体を跳ねさせて少しだけ仰け反る。
何だその反応は。
不思議に思いながら【障壁】を維持しつつダミアンを見ていると、これも飾りばっかりで実用性のなさそうな剣を抜き放ったダミアンが、その剣をブンブンと上下に振りながら怒り始める。
危ない危ない。
周りの騎士たちがわたわたしているじゃないか。刃物は振り回しちゃいけません、なんて初歩な話も聞いたことがないのか、コイツは?
「そういえばわたくし、貴方に聞きたいことがあったのよ、ダミアン」
「な、なんだっ! 殊勝に聞けば答えてやらんことも……」
「貴方、何故リリを狙ったの? あの時にはまだ、彼女は魔女ではなかったのに」
なんでか一人でプリプリしているダミアンが滑稽過ぎて思わず今までずっと疑問だった問いを放り投げてみれば、ダミアンの手がピタリと止まる。
リリは不思議そうにオレを見上げてきて、オレも唐突に動きを止めたダミアンを首を傾げながら見つめた。
流石のダミアンも、ただ成績を抜かれたから、なんていう馬鹿みたいな理由でリリを断罪しようなんて思ってはいないだろう。
最初は腹を立てたかもしれないが、それだけでリリを魔女に仕立て上げるのは無理が過ぎる。
だってあの時のリリはまだ魔女ではなかったのだ。
魔力を持っているかもわからないただの平民の少女をピンポイントで狙って魔女に仕立て上げる理由は、絶対に何かあったはず。
しかしダミアンは剣を振り上げた格好のまま動かず、それでも目だけはジッとオレたちに向けて黙っていた。
騎士たちも困惑した様子で、リリもちょっとだけ怯えたようにキルシーを抱きしめる。
なんだ、あの目は。
まるで、何か値踏みでもしているかのような目。
さっきまでのダミアンとは、まるで違う目だ。
『何を言っている、エリアスティール。その娘は、魔女の子だろうが』
「えっ」
「えっ!?」
『魔女の子は魔女になる。双子なら尚更魔力を持つ。使えるなら使ってやろうと思っていたのに逃げるとは……ならば魔力を使う前に殺すのが神の御意志というもの……』
「……ダミアン?」
『貴様が異質なのだ、エリアスティール……魔女も、魔女の子も全て殺す。なのに貴様は……魔女の子ではない魔女。異端の魔女め』
振り上げられたままだったダミアンの手がほんの少し動いて、次の瞬間彼の隣に居た全身鎧の騎士が首を抑えて嗚咽をあげた。
何事かとそちらに注意を向ければ、オレたちの視線が動くのとほぼ同時に騎士の首がまるで凄い速度で斬り飛ばされたかのように宙を舞う。
血の雨を降らせながらクルクルと空中で回転しながら落ちた首はコロコロと床を滑りながらオレたちの足元まで飛んできて、数回口をパクパクとさせてから、動かなくなった。
ダミアンの周囲に立っていた騎士たちがどよめき、騎士の返り血で頭から真っ赤になっているダミアンの周囲に僅かな円が出来上がる。
しかしそんな事は少しも気にしていないように、ダミアンはくすくすととても楽しそうに笑っていた。
小さな笑みはかすかな笑い声となり、かすかな笑い声は腹を抱えるような爆笑に変わる。
頭からかぶった血を顔面に塗りつけながら笑うダミアンは、ダミアンではなかった。
少なくともエリスの記憶の中にあるダミアンとはまるで違う顔をしていて、その声すらも彼のものかどうかが分からない。
『異端の魔女! 魔女の血を引かぬ魔女の頂点! 貴様さえ! 貴様さえ死ねば!』
腹を抱え前屈みになりながら笑い転げるダミアンの声は、徐々に、段々と、まるで水の中で叫んでいるようにゴボゴボと液体が喉で絡んでいるような声になっていく。
さっき殺した騎士の血を飲んでいるのだ。
自分の身体を血で濡らしたのは、そのためだったのだ。
ダミアンの手が、もう一度振るわれる。ただヒラヒラと泳がせているだけのように見えるのに、手が翻るたびに騎士たちの首が跳び、騎士たちの悲鳴が彼の周囲で響き渡った。
騎士たちは逃げようとするが何故か皆その場から動かない。いや、動けないのだ。
まるで何かが――見えない何かが彼らの足を床に縛り付けているように、上半身だけがジタバタと逃げようとしているのに逃げる事が出来ずに仰け反るばかりで。
そうして仰け反った腹を、ダミアンの手が撫でるように両断していく。あえて一瞬で死なないように、血しぶきが上がるように大きな血管の周囲を狙って斬っているようにも見えるその様は、エリスの記憶の中にあるダミアンからは想像も出来ない。
ジークレインと木刀で勝負をするとなった時にたった一歩歩いただけで負けてしまって洟を垂らして泣いていたダミアンからは、少しも。
『よくもこの俺様の居る空間を切断などと! よくもよくもよくもよくもよくも!!』
一人、また一人と騎士を殺しながら、ダミアンが己の顔面を強く強く、爪で引っ掻く。
すでに引っ掻く、なんて可愛い表現には見合わぬ強さで"引き裂かれた"ダミアンの顔面の皮膚の隙間から覗いた別の眼に、オレは何も言えずに目を見開いた。