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第42話 魔女の首魁、動く

「まずはどうするつもりだい、エリス」

「……本当にジョンと街の人が神殿に居るのかを調べますわ。それから、神殿を街から切り離します」

「切り離す……って、どうするんですかぁ?」

「文字通りですわ。神殿自体を別空間に放り込んで誰も出たり入ったり出来ないようにします」

「……出来るのかい?」

「やりますわ」

 宿に戻って、動きやすい服装に着替えて、装備を確認して……その最中に、出来る事を考える。

 でもオレは、エリスの日記を手にすると「エリスに出来ない事はない」と改めて実感していた。

 今までオレはこの世界と自分の認識や知識との齟齬の中で一番違和感のないものを選びながら進んできた。リリみたいに魔術で戦うのではなく武器を使っていたのが最も顕著な部分だろう。

 オレの中ではまだ魔術というものには違和感があって、ゲームの中みたいだなって思っていて、だから自分では攻撃魔術を使わないできた。

 でも今は、オレは完全に「エリスの力」を利用する気満々で、出来る事はなんでもしてやろうと思っている。

 そのうちのひとつが神殿を切り離す事、だ。

 具体的に言えばオレたちの持っているマジックバッグのように別の空間に神殿だけを放り込んで隔離してしまう事。

 こうすれば増援を遮断するだけでなく、オレたちも遠慮なく暴れる事が出来るから、真っ先にやろうと決めた。

 勿論そんな事をしてしまえばオレが来たことはバレてしまうだろうが、そんなのはもうどうでもいい。聖者だとか、大司教だとか、そういう面倒そうなのもまとめて始末をしてしまおうと心に決める。

 そもそも自分を殺そうとしてきている連中に対して遠慮をしていたのが間違いだったのだ。

 個別にちょこちょこ倒すだけではなくて一網打尽にするくらいの感じで行けばよかった。そうすれば、もしかしたらこの街の人も平和に祭りを開催出来たかもしれないし、ジョンだって連れて行かれる事もなかったのかも。

「……神殿はジョンたちを連れて行ってどうするつもりなのでしょうか」

「人質かもしれないね。それか、見せしめに殺すか、かな」

「見せしめ……」

「昔からね、上の者が下の者を従わせるための一番簡単な手段は恐怖で支配することだったんだよ」

 見せしめ。そうだろうな。

 【魔女】がどこかでウロウロしている状況で神殿の威信を保つにはそのくらいはしなければいけないだろう。

 お布施だって多分そういう目的で要求していたのだろうし、その恐怖政治をどんどんと強めていくために金も必要だったのだろうし。

 余計に腹が立ってくる。そんな金、今神殿に来ているというお貴族様から巻き上げればいいだけじゃないか。

 なのになんで、それをしないんだ?

「……ところで、お二人は本当についてくるおつもりですの?」

「勿論だよ。可愛い妹一人行かせるわけがないじゃないか」

「そうですよ! 私だって、戦えます! キルシーも居るし、大丈夫です!」

「カァーッ!」

「危ないかもしれませんわよ」

「それなら余計に、エリス様一人では行かせられません!」

「うん、そうだね」

「カァー! カァーッ!」

「キルシーまで……」

 多分、オレが一人で行けば神殿騎士を殲滅するくらいは簡単なはずだ。でもそうなると、人質の救出というのは難しいというのも分かっている。

 人質を無事に救助出来る事と、神殿をぶっ潰す事はイコールでは繋がらない。

 オレが好き勝手動けば、手が回らない所も出てきてしまうのだ。誰かが来てくれるのは、本当のことを言えば有り難い。

 彼らが心配な気持ちも嘘じゃない。嘘じゃないが、嬉しいのが本当の所だ。

 家族も、友達も、今までオレには縁遠いと思っていたものが手放しで協力を申し出てくれるなんていう状況はきっと、オレが「エリス」でなかったら得られなかったものかもしれない。

 これは今、オレが「エリス」だから得られたものだ。

 それは、忘れてはいけない。

「わかりました。では、できるだけ準備をしてから行きましょう」

「準備、って、何をするんですかぁ?」

「そうね。まずは偵察、かしら」

 キルシー、と声を掛けると、キルシーは元気に鳴きながらオレの腕に止まった。

 キルシーはもうリリの使い魔だが、それでも彼女の中からはジョンの気配を感じる。ジョンは【魔女】ではないが、キルシーが使い魔になった事で長く過ごしていたジョンの残滓がまだ彼女の中に残っているのだろう。

 オレは、そのキルシーを腕に乗せながら部屋にある鏡に手を当てた。

 エリスの日記の中に書かれていた魔術のひとつ、【遠見】。石でも水でもなんでも、持っているものに縁のある場所の情景を見る事が出来るこの魔術は、使い魔のキルシーを介すれば十分ジョンの現状も見る事が出来るはずだ。

 街の人のことも気になるが、一番ひどい目にあうとしたら神殿騎士を殴ったというジョンだろうと思うし、流石に街の人に手を出す事はないだろうという希望的観測からジョンを優先して視る。

 無事で居てくれと、そう思いながら、オレは鏡にゆっくりと魔力を通していった。


『愚かな男ですこと。自分から逃げたというのに、また戻って来るだなんて』


 やがて鏡の奥がぐにゃぐにゃと絵の具を垂らしたように歪み始め、人の姿が形つくられていく。

 姿より先に聞こえてきた声にアレンシールの眉が上がり、オレの指先もピクリと無意識に反応したのがわかる。

 女の声だ。高く、穏やかな、それでいて呆れているような、女の声。リリがグッと身体を伸ばして鏡の正面に立ち、逆にオレは2人にもハッキリと鏡が見えるように少し脇に避けた。

 鏡の中は、ゆっくりと形を変え、しばらくしてやっとハッキリと人影を作り出した。

 ジョン。思わず声を出しそうになるのを飲み込んで、椅子に縛り付けられてぐったりとしているその姿を黙って見つめる。

 彼は、一人ではない。彼の正面には細身の女が居て、白魚のような指でゆっくりとジョンの顎を掬って上げた。

 それでもカクリと力なく傾いた頭を見ると、今のジョンには意識がないのかもしれない。それでも女は、呆れたような表情のまま黙ってジョンを見ていた。

 美しい、女だった。

 美しい金髪に白い肌。その綺羅びやかさとはまるで対極の真っ赤なルージュが、いやに艶めかしく見える。けぶるような睫毛は頬に繊細な影を落として、こんな美女が神殿に居るという事にちょっとだけ驚いてしまった。

「エルデ嬢……!?」

 けれどオレよりも驚いた声を上げたのはリリだった。

 胸の前でぎゅっと手を握り込んで、目を丸くしてちょっとだけ鏡から距離を取ったリリの背中を支えて、アレンシールもやっと気付いたと言いたげに目を丸くした。

「エルデ……エルデ子爵家のことかい?」

「そ、そうです! セレニア様……セレニア・エルデ子爵令嬢ですっ! アカデミーでよくダミアン侯爵令息と一緒に居たのを見ましたっ」

「ダミアン……」

 鏡の向こうのセレニアは、真っ赤なルージュを引いた唇を楽しげに歪ませながらジョンの顔を両手で赤子をあやすかのように撫で回している。

 その手がなんだか嫌で、ムカついて、鏡に置いたままだった手をぎゅっと握りしめた。

『如何なさいますか、お嬢様』

『この方は先に王都へお送りして。街に残っている魔女は、わたくしが始末しますわ』

『はっ……よろしいのですか。このようなみすぼらしい男を……』

『わたくしの命令が聞けないというの?』

 神殿騎士なのだろうか、白い鎧を着た男がおずおずとセレニアに問いかけると、セレニアは美しい顔からスッと表情を消して神殿騎士を見る。

 その目が、その声が、あまりにも冷淡で、アカデミーに通っている年齢の少女とは思えなくて、オレは軽く息を呑んだ。

 セレニアは己の胸元にジョンの頭を抱え込むようにして抱くと、ボロボロになっていた三つ編みを解いて愛おしげに色の濃いその髪を指にからませて、口づけた。

 そして、ニタリと、笑う。

 神殿騎士はその笑顔を見ると顔色を青くして「とんでもありません!」と叫ぶと部屋を走って出ていった。

 その場に残されたセレニアは、ゆっくりゆっくりジョンの髪を撫でて、意識のない男の身体を好き勝手撫で回している。

 なんだ? この女。コイツ、ダミアンの恋人なんじゃなかったのか?

 まったく意味が分からないし、別にダミアンの恋人だろうが実はどこかで出会っていてジョンに懸想していようがなんでもいいけど――別にどうだっていいのだけど、なんだか酷くイラッとしてオレは鏡から手を離すとアレンシールとリリの腕を掴んでいた。

 教会の近くの人気のない路地。

 びっくりしている2人に何の説明もせず、オレは瞬間的に【転移】の魔術を編み上げると、やっぱり何も言わずに発動させた。

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