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第40話 魔女、知らないを知る

 何も知らぬ無知な町娘を装ってフロイトに話を聞いてみると、亜人種というのはこのエドーラにも普通に存在しているのだそうだ。

 だが彼の探しているヴォルガもそうだがそのほとんどは軍に所属していたり傭兵団に所属していたりで、街中で目にするのは酒場か宿屋くらいなのだそう。

 元々の種族で地位が高いとしても人間世界に出てくればそういうわけにもいかないので、亜人種のほとんどは平民スタートで、人間も認めるような知性の高い種族――例えばエルフみたいな種族はそもそも人間の里に降りてこないので関わりがない、らしい。

 ちょっとびっくりした。

 てっきりこの世界には所属は人間だけなんじゃないかって思っていたから、ここでいきなり亜人種が出てくるなんて思わなかったのだ。

 だが言われてみればオレたちは今回の旅においてほとんど普通の宿を利用していない。

 泊まっているのはそこそこ高級な宿か野宿で、庶民が泊まるような酒場付きの宿や大衆酒場には行ってないのだ。

 そう気付いてから何となく周囲を見回してみると、今まで気付かなかっただけで何となく「ちょっと違うかも」と思う種族がちらほら居るのは目に入ってきた。

 だがやっぱりそういう人は武装していたり恋人と一緒だったりで、ここまでの旅でオレたちが避けていたような人たちなのだということもわかった。

 獣耳と尻尾のある種族に、人間よりも小柄で体格のいい種族。逆に凄く背が高くて細身の種族……今まで少しも意識していなかったが、よくよく見てみるとこの世界には色々な人々が生きていたのだ。

 本当に――本当に、気付かなかった。

 そういえばピースリッジで宿を紹介してくれた商人も背が小さくでずんぐりとした体型で、耳も人間のものよりも大きかった気がする。彼も違う種族だったんだろうか。

 本当に気付かなかった。

 これは、元々知っていたエリスの記憶とオレの認識が重なって違和感がなくなっていたからなんだろうか。

 わからない。

 なんだかいきなり色々な情報が頭に入ってきたような気がして、ちょっとだけ目眩がした。

 眼の前に居る人々が、祭りを楽しむ大衆が、今まで知らなかった別の存在のような気さえしてきてしまう。

 オレは、オレはやっぱり、この世界のことを何も知らないんじゃないか。

 今までは生きることに必死で、この世界のことを知ろうともしていなかったんじゃないのか。

 この世界で生きると決めたくせに、エリスたちを助けると、結果的にこの世界を守るかもしれないことになるんじゃないかとわかっていつつも、何も知ろうとしていなかったんじゃないか。

「エリ? 大丈夫?」

「あ、あぁ、ごめんなさい。わたし、知らないことがいっぱいあったんだなって、驚いてしまって」

「しょうがないよ。亜人種については僕もお父様に聞いて知っていたけど、ヴォルガのことしか知らないし。傭兵とかに縁がなかったら知らなくても仕方ないんじゃないかな」

「……騎士団とかにも居るのかしら」

「居るんじゃないかな。亜人種は力が強い人も多いらしいよ。エグリッドはどうか知らないけど、海向こうのユルグフェラーって国には亜人種の騎士が居るって聞いたことがあるよ」

「そうなんですのね……」

 海向こうの国……帝国か。確かエリスの日記の中の地図に名前があった気がする。

 そういえば国を出ることを考えたこともあったけど、そこも安全かわからないから結局選択肢から除外してしまっていたんだったっけ。

 なんだか、自分のことを【魔女】だと知らない人との会話は新しい発見が凄くあって、びっくりする。

 お腹もいっぱいになったし、一度宿に戻って考えをまとめたい気分だ。

「ヴォルガさんは、この人混みでもわかるくらいには大きな方なのですよね。でも、今のところはそれらしい人は見えないわ」

「そっか……じゃあ神殿にでも行っているのかなぁ」

「あ、神殿と言えば……フロイトは、お布施ってご存知?」

「お布施?」

 人様の家の軒下にいつまでも居るわけにもいかず、しかも夕方にかけて人が段々と増えてきたのでオレの肩にフロイトを捕まらせて、ちょっとだけ広場から距離を取る。

 目が見えないようなのにフロイトは案外しっかりとした足取りでついてきてくれて、オレは安心しながらフロイトの手の重みを感じつつ高級商店の多い路地の方へ移動した。

 こういう時みんなは大体お祭りの方へ行くので、高級商店のある路地は人気が少なくなる、と教えてくれたのは父だっただろうか。エリスの記憶の中にあったので、多分エリスの家族の誰かだろう。

 だがフロイトの「神殿」という言葉に、先程のジョンの様子を思い出して足を止めてみる。

 この高級商店街を抜けてまっすぐ行くと、大きな神殿のドアが見えるのだ。真っ白な建物に、茶色い巨大な扉。

 あそこが開くとまるで路地を飲み込もうとしているように見えてしまうんじゃないかな、なんて思ってしまいそうなくらいには立派な建物だ。

「お布施って……神殿の?」

「えぇ。神殿騎士の方が直接取り立てているのを見たのです」

「それは変だ。お布施は神殿に来た人が心許こころばかりを司祭に渡すもので、取り立てなんかしないよ」

「本当ですか? でも、さっき……」

 さっき、確かにエリスは神殿騎士が露店に顔を出して何か小袋を受け取っているのを見た。

 しかもその小袋の大きさからして中にはそこそこの金額が入っているんじゃないかなって思ったし、何よりジョンが「またやってる」と言って神殿騎士を示したのだ。

 それはつまり、庶民のジョンが何度も目にしているということなんじゃないのだろうか?

 それになにより――さっきジョンが飛び出していった時に聞こえた声。


『貴様! 神殿に逆らうつもりか!』


 あの声は、あの悲鳴は演技だとかそういう勢いではなかった。

 大声を出すのに慣れている男が誰かを恫喝するために張り上げた声だ。

 そしてその内容は……上から押さえつけることに慣れている者が、反抗しようとした者を制圧しようとしているものだった。

 その切っ掛けが「お布施」なのだとしたら、フロイトの言うお布施とジョンの言うお布施が噛み合わないじゃないか。フロイトの言うことを信じてやりたい気もするが、実際に自分で目にしてしまった光景を思うと、まさかジョンが嘘を言っていたとも思えない。

 どういうことだ?

 まさか、オレたちを追うための資金を庶民たちから巻き上げているとかそういう話になっている、とか?

「……フロイト、ごめんなさい。わたし、行くわ。ここは人が少ないから、動かずにいればきっと貴方のお連れさんが見つけてくれると思う」

「えっ?」

「一応安全は確保しておくわ。決してウロウロしないでね。ごめんなさい」

「エリ!」

 なんだかザワザワして、嫌な気持ちになって、オレはフロイトの手を握って【縁】の呪文をかけるとすぐに広場の方へ足を向けた。

 あの呪文は、文字通り彼に縁あるものだけが彼に近寄れるようになる魔術だ。「こんなもんどこで使うんだ」なんて思いながら魔術の一覧を見ていたりしていたけれど、もしかしたらエリスも迷子のために作ったんじゃないかなんて思える呪文。

 アレをかけた上で彼がウロウロしないで居てくれたらフロイトは大丈夫だろう。

 もうちょっと話をしたかった気はするけど、今はジョンのことが心配で、さっきの騒ぎの中に駆け込んだ彼のことしか考えられない。



 だからオレは、決して後ろを振り返ったりなんかしなくって、気付かなかったんだ。

 フロイトが、目の見えないはずの彼が、オレが握って呪文をかけておいた己の右手を何か言いたげに開閉しながらジッと見つめていたことなんて、気付くこともできなかった。

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