オレはこの世界に来てからずっと「リリとアレンシールを守る」ことしか考えて居なかったから、貴族間の関係性とかそういうのは本当にサッパリだ。
流石に爵位の階級とかは分かるし、この国には今公爵家がないというのも知っているけれど、その程度。
でも多分【魔女エリス】を殺すことで得をする人間が居るのは間違いがない。
神殿とバルハム枢機卿、ダミアン。
この三人を結びつけるなら「神殿にいい格好をしたいダミアンが顔見知りである枢機卿と神殿に魔女狩りを提案してエリスとリリを人身御供として差し出した」か「エリスの魔女の力を知ったバルハム枢機卿が神殿使って魔女狩りをする際にダミアンとエリスの関係を知りダミアンを抱え込んだ」か。
この場合可能性が高いのは後者だろう。
国家転覆にも結びつけやすいし、国王よりも神殿の影響力が強くなれば実質王家なんかあってないようなものだ。
その上レンバス家を抱き込みノクト家を凋落させたとなっては、神殿一強になることも考えられる。
ダミアンがすでに侯爵であればともかく、ダミアンの父であるレンバス卿はあの息子の父親の割に清廉潔白な人だと聞いている。だからこそ神殿への信仰心も強かったとか。
ならば、枢機卿はエリスの事を知ってレンバス家――というよりもダミアンに接触したと考えたほうが簡単だ。
色々と。
だが、そうだとしたら何故神殿はエリスが【魔女】であると知っているのかという疑問は出てくる。
神殿はそこまで強い権威を持っているのか。神殿は、【魔女】が誰であるのかを知るだけの力があるのか。
だとしたら、自分たちは逃げているだけでいいのだろうか。
ぐっと拳を握りながら荷台の床を見つめていると、不意にチカチカと何かが光を反射して視界を焼く。
それは綺麗に拭われたナイフで、ナイフを振って太陽の光をわざわざオレの顔に当てていたジョンはオレが気付いたことに気付くとニヤリと実に厭味ったらしい笑みを浮かべた。
「なんですの……その表情は」
「いんや? お兄様が居るとちゃんとお嬢様してんなぁって思っただけ」
「なっ……わたくしは元々お嬢様ですわっ!」
「はははっ」
「何を笑っていらっしゃいますの! というか貴方! 一緒に行くと決めた時には使える武器はないとか戦いは苦手とか仰ってたのになんですそのナイフは!」
「あ、これ? ナイフ欲しいなーつったらアレン様がくれたんだよ。いやーオレ近くに人が来ると遠近感狂うから大助かり」
「あ、貴方という方は……!」
確かに、よく見ればあのナイフの柄にはノクト家の意匠が入っていることに今更に気付く。
大方アレンシールが補助武器としてマジックバッグに入れておいたものだろうが、まさか「たたかえませーん」とか言ってたジョンが投げナイフに長じているとは思わなかった。
いや片目がないのに投げ物って! 誰も上手いと思わんだろフツー!
このジョンという偽名男、本当にオレをからかうのが巧すぎて腹が立つ。
今も何が楽しいのやら三つ編みにした髪の先をチョコチョコ遊ばせながらニヤニヤとしていて、なのにちゃんと馬は制御しているのだから一体何が出来て何が出来ないのか分からなくなりそうだ。
キルシーも羽根を顔に当てながら「やれやれ」とでも言いたげに顔を振っているし、使い魔にまでそういう扱いされる男は正直どうかと思うんだ、オレは!
「で、どうする?」
「……え?」
「この先のルートさ」
馬の手綱を見せながら言うジョンに、アレンシールがオレやリリにも見えるように地図を広げた。
このまま真っ直ぐ行けば元々の目的地だった森の中の街に行くが、そこは休憩場所にするにはあまりにも近すぎるような気がする。
神殿騎士に襲撃された今、出来るだけ距離を稼いでおくのが得策なのかもしれない。
「ジョン、この先で小さな村はあるのかい?」
「あるけどな。小さい所だとまた潰される可能性があるんじゃねぇかな」
「逆に大きい街ならいいんですか?」
「デカい所だとどうしても一目につくし、裏工作がしにくいんだよ。人が多ければ裏工作がしやすいってのは小規模の話でな、村ごと焼き払うような連中の目を誤魔化して進むにはいっそ人目が多い場所の方がいい」
「……となると、ちょうど良さそうな距離はこのフローラという所かしら」
指で現在位置をなぞり、小さな集落は無視してちゃんと地図に名前の記載のある大きめの街を探していく。
フローラという街は、エリスも知っているようだった。
年に数回花祭りという豊穣の祈りを捧げるための祭りが催されていて、その名の通り街のあちこちに花屋や花壇のある花の都なのだそうだ。
そこにはエリスも子供の頃に家族で連れて行ってもらったことがあるようで、花祭りの光景も薄ぼんやりとイメージ出来る。
確かそこそこ大きな街で、ピースリッジに負けず劣らずの規模だったような。
「子供の頃に行ったことがあるね。エリスがどうしても行きたいと駄々を捏ねてね」
「こ、子供の頃の話ですわ!」
「ふふ、とても可愛い駄々っ子だったんだよ。花祭りでは女の子は花冠をつけて、服にも花の意匠が入っているものを選んで着るんだ」
「へぇ! 素敵ですねぇ」
「確か今年の花祭りも始まってるんじゃなかったかね。ま、いいんじゃねぇの。終わるまでにつけるかは運次第だが」
「ふふん。その程度の距離でしたらわたくしが運んで差し上げますわ」
「あ?」
馬車の中ですっくと立ち上がり仁王立ちをすると、オレの言葉の意味が理解出来なかったのだろうジョンがきょとんとした顔でオレを見上げてくる。
ふふん。オレを舐めくさるのもここまでだ偽名男。
今までは行ったことのない場所ばかりだったからノロノロと馬車や馬で移動するしかなかったが、フローラには行ったことがあるのだからオレが本領発揮出来る場面。
リリは察したのか「流石ですエリス様!」とか言っているし、アレンシールは何故か馬車の柵に捕まっている。
心配しないでも馬車ごと移動出来るんですわよお兄様。
フフフフ……と怪しく笑いながら、徐々に徐々に、足元から頭の上まで少しずつ包むように魔力を練り上げていく。
これでも今までの戦闘中に2つまで同時詠唱出来る【魔女の首魁】なのだ。
馬車を切り取って別の場所に転移させるなんて造作もないこと。
頭まで練り上げた魔力を徐々に周囲に広げていき、馬車と馬を包み込む。ここでジョンだけ排除して、なんていう意地悪は出来るが今の状況と距離ではただの悪戯では済まないからきちんと全員を魔力で包む。
フローラは少しばかり遠い。
一番最初に立ち寄った名もなき村までは大体2日程だと言っていただろうか。その程度の距離ならこの状態でも転移が出来るが、フローラはもう少し遠い。
もっと魔力を練って強く、強く力を込めていく。
……あの村の人達は、全員死んでしまったのだろうか。
もしかしてオレがあの時あのシスターを殺したことで彼らは殺されることになってしまったのだろうか。
この馬車はあの村の誰かのお下がりで、いま着ている服もあの村の古着屋で早朝にも関わらず無理を言って購入させてもらったもの。
世話になってばかりなのに、なんで……なんで、そういう人たちばかりひどい目にあってしまうんだろう。
無意識に拳を握り込み、途切れそうになった集中を練り直してフローラの近くの街道の森をイメージする。
これからは誰も死なせはしないし、もしそうなりそうになったら逆にオレが攻撃してきたやつを殺してやろうじゃないか。
こんなにも凶暴な気分になったことなんかは今まで無かったけれど、改めて誓う。
まさか何もしていないただの村人にまで手を出すとは思っていなかったから……リリの家族の二の舞いにしてしまうなんて、思ってもみなかったから。
今は逃げるしかないけれど、いつか、いつかちゃんと始末をつけてやる。
相手が神殿か、枢機卿か、聖者か、それともダミアンかは分からないけれど、全ての始末をつけてきちんとスッキリして家族の元へエリスを帰すのだ。
目を閉じてゆっくりゆっくりと魔力を練り上げていくと、不思議とその暗闇がさざなみのように波打っていくような錯覚に陥る。
それが海っぽくて凄く嫌だけれど、でも、ここまで深く入り込んでいくとあとの強化は簡単だ。
「いきますっ」
フローラに行ったことがあるのはエリスで、オレではない。
それがほんの少しだけ寂しいような申し訳ないような気持ちになりながら、オレは一気に魔力を解放してフローラまでの【転移】魔術を発動した。