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第29話 目撃者は語る・3

「あの……っ、魔女どもがっ!!!!」


 ガシャァンッ

 派手な音をたててテーブルの上に並べられていたグラスやワインボトルを薙ぎ払った男は、自分で薙ぎ払ったワインがクラバットに飛んだことにも怒りながら皿から落ちた葡萄を踏み潰した。

 ぶじゅりと哀れな音を立てて潰れた葡萄は濃い紫の皮の中から薄緑の果肉を弾けるように吐き出し、毛足の長い絨毯に絡んでただの残骸になる。

 それを無言で見つめている金髪の女は、呆れたように溜息を吐きながら侍従から赤ワインの新しいグラスを受け取ってとろりとグラスを滑るソレで軽く舌を湿らせた。

 真っ赤なルージュと濃すぎる赤のワインがグラスにほんの少し痕を作り、陶酔したような女の吐息が痕跡を浮かび上がらせる。

 相変わらず男――ダミアン・レンバス侯爵令息は大声を上げながらテーブルの上のものを薙ぎ払い片付けようとしたメイドを蹴飛ばしたりとやりたい放題しているが、見ている女――セレニア・エルデは「自分の所に飛んでこなければ好きにしろ」とばかりに止める事はしない。

 美しい所作で侍従にワインを求め、とろりと赤いソレを赤いルージュの引かれた口の中に滑らせていく。

 美しい金髪に白い肌。その綺羅びやかさとはまるで対局の真っ赤なワインは、まるで果実を潰したばかりの汁のようにも見えた。

 対してダミアンはどうだ。

 赤みがかった茶髪はもうぐしゃぐしゃで少しの品性もなく、質の良い服だというのに暴れたせいで乱れたのか、それとも元からマトモに着ていなかったのか無様に乱れきっている。

 しかもまた、ダミアンは乱れきった髪をまたガシガシとかき回しながら唸り声を上げた。

「あの魔女どもはまだ見つからないのか!!」

「も、申し訳ございません!」

「一刻も早く見つけ出せ! 首さえ残せば、あとの処遇はどうでも良い!」

「ハッ!」

 ダミアンの汚した床の余波を受けて赤く黒く汚れた服を払いながら、神殿騎士たちは大慌てで部屋を出ていく。

 その姿はまるでこれ以上の厄介事はゴメンだとばかりだが、皆セレニアの横路通り抜けていく時には丁重に礼をして去っていく。

 侯爵令息のダミアンと、男爵令嬢のセレニア。

 これではどちらが上位貴族なのかわかったものではない。

「落ち着いてくださいまし、ダミアン様。聖者様を出す準備は整ったのでしょう?」

「くそっ、聖者か。あやつとて結局怪しげな術を使う男ではないのか、セレニア」

「まぁ、ダミアン様。神殿の使う神聖力と魔女の使う魔力はまるで別のものですわ。聖者様がお使いになられるのは神より与えられし神聖なるお力……きっとダミアン様の力にもなってくださいますわ」

「そ、そうなのか」

 ダミアンに向けて手をひらひらとさせて「こちらへおいで」と犬のように扱っても、怒りで顔を真っ赤にしているダミアンは何の躊躇もなくセレニアの所へゆき、その場に足元に膝をついて彼女の足に顔を乗せる。

 その髪をゆっくりと撫でてやったセレニアは、赤いルージュを引いた唇を笑みに形作る。

 「魔女エリアスティールは、行く先々で村を焼いたり、野盗を殺したりしている様子ですわ。逃げる先も限られているでしょうし、知りたくなくともその居場所はいずれ知れましょう」

「くそっ、あの時に逃しさえしなければっ」

「魔女は狡猾なものですもの、御自分をお責めにならないで。ダミアン様は今は王太子殿下をお支えにならないと」

「うむ、わかっている。国王陛下が病に臥せっておられる今、王太子殿下をお守りするのは我らしか居らぬ」

 だがそこにも、ノクトの忌々しい者たちが居る。

 ギリ、と歯軋りをしてセレニアの太ももに顔を埋めたダミアンは、つい昨日の王太子との謁見を思い返しているのだろう。

 何しろ現ノクト侯爵は国王の遠縁にあたり現宰相でもある男だ。

 国王が病に臥せ王太子がまだ若いとなれば当然王太子の近くに常に控え、彼への進言もまずはノクト侯爵を通される事となる。

 ノクト侯爵の娘が【魔女】であるだとか、その【魔女】が長男を殺しただとかの醜聞は、そこには一切関係ないかのようでそこもまたダミアンにとっては誤算だった。

 一族に【魔女】が出れば、そしてそれが貴族の家であればとんでもないスキャンダルになり即座に家が取り潰されるものだと、ダミアンは思っていたのだ。

 しかし現実はどうだ。

 王太子に「侯爵令嬢が魔女である証拠を見せよ」と詰められ、ノクト侯爵には「長男は卒業式前に療養に出ておりますが」なんてシラを切られる。

 ノクト侯爵さえいなければ王太子を抱え込むのは簡単だっただろうに、あの男がいるからこそ思惑が進まないのだと、ダミアンは再び暴れたくなる衝動を抑えるように拳を握り込む。

 あのプライドの高いエリアスティールが逃げるなんて、ダミアンは想像もしていなかったのだ。

 婚約破棄を申し立てたならば真正面から受けて立ち己に文句を言ってくるはずだと、そうだとばかり。

 そうなれば彼女を公衆の面前で断罪出来る。

 その予定で動いていたダミアンにとっては彼女と、リリ・バーラントの同時失踪は驚きでしかなかったが、しかしそれはエリアスティールが自分たちが【魔女】だから逃げたのだと証言をしているようなものだとも受け取れた。

 【魔女】として断罪されるかもしれないから逃げたのだ、と、ダミアンにとってはそうとしか思えなかったのだ。

 だがそんな事は、エリアスティールが【魔女】であるという前提を持っている人間にとっての確信でしかない。

 卒業式の後のダンスパーティでセレニアをパートナーとして連れて入り大音声でエリアスティールの名を呼ばわったダミアンはノクト侯爵には溜息を吐かれ、王太子には「門出の日にどういうつもりだ」と大層叱られた。

 勿論、父であるレンバス侯爵にも「正式に婚約破棄が成立していないうちに地位の低い家の娘を連れて何をしている」と怒鳴られ仕置として屋敷から出られるようになったのは今日になってのこと。

 こんなはずではなかった。

 あの場所にエリアスティールが居ればダミアンは【魔女】に騙された悲劇の侯爵令息になっていただろうし、それを救ってくれたセレニアは聖女として崇められていた事だろう。

 何より、今もまだノクト侯爵をのさばらせている事もなくなったはず。


 ――つまり、想定より一日早く動いたアレンシールの判断は正しかったのだと、ラムス1は納得した。

 アレンシール個人の情報部隊である【番人】クーストースたちは、エリアスティールが【魔女】であるという話を聞いた時には大層驚いた。

 だがそれを自分たちに教えてくれたのがアレンシールであり、これから国の上の者たちがその【魔女】というレッテルを使ってエリアスティールを囚えようとするだろうと言ったのもアレンシールだ。

 それならばラムスたちは主であるアレンシールを信じる以外の選択肢はない。

 【番人】クーストースたちは陰ながらノクト家を護る存在であり、アレンシールの言葉は彼らにとっていつも正しいものだったのだ。

 それに、こんなにも無様に暴れまわっている男とノクト家が縁付かなくてよかったと、ラムス1は心底に思っていた。

 あの女もまた不気味だ。ただの男爵令嬢でありながらダミアンを支配しているのはあの女であるようにも感じられる。

 セレニア・エルデについて【番人】クーストースたちが調べられた情報はそう多くはない。

 エルデ家の末娘であるということ。

 その美しさから上の姉たちよりも親に溺愛されているということ。

 年齢はダミアンよりひとつ下であろうということ。

 そして、エルデ家そのものが熱心な【蒼い月の男神】の信者であることだ。

 セレニアほどの美しさであれば親が率先してお茶会やパーティに引きずり回してもおかしくはないが、彼女の情報の中で辿れる過去は驚くほどに少ない。

 あまりの美しさに父親であるエルデ男爵が家から出したがらなかったという話だが、アカデミー生であれば少なくとももっと早く噂になっていてもおかしくはないのに。

 なのに、セレニア・エルデが人の口に上るようになったのは彼女がダミアンと付き合い始めてからであり、それまではその美しさすら誰も噂として語ってはいなかったのだ。

 【番人】クーストースの情報網は強固だ。

 なのに、その枝葉ラムスに情報が引っかからない令嬢なんて、怪しいにもほどがある。

 絶対におかしい。あの女にはなにかがある。

 リーダーであるアルヴォルもそう言っていたが、確かな情報が出てこないのもまた確かだ。

 だが唯一彼女が口にした「聖者様」という名が引っかかった。

 【蒼い月の男神】には、最近誕生した「聖者」と呼ばれる司祭がいるというのは最近噂になった話だ。

 ある日天啓を受けた一人の青年が治癒の力を神から授かり、今も人々を救う旅に回っているという。

 最終目的地は病に臥せっている王の下だというが、なんで真っ先に王を治療しに来ないのかと少しばかり話題になった存在。

 聖者は瞬きの間に傷を癒やし重い病気すらも治癒してみせるといい、その噂は大都市を中心に徐々に各地に広まりつつある。

 中には盲目だった目に光を戻して貰った者も居るというのだから、その存在にすがりたい者も多かろうというものだ。

 【赤い月の女神】の魔女と、【蒼い月の男神】の聖者。

 あまりにも対局のその存在は、果たして偶然なのだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 アレンシールは「神殿を調べろ」と言ったのだ。その言葉の中には神殿から派生する噂もまた調べろという意味も含まれているだろう。

 ならば、枝葉ラムスのする事は決まっている。


「決めたぞ、セレニア! その聖者とやらの所に合流しようじゃないか」


 これ以上探る事はあるまいと去ろうとしたラムス1は、不意に調子づいたダミアンの声に動きを止めた。

 「聖者に魔女の行方を探らせ、聖者と共に断罪する! 素晴らしい計画ではないかっ」

 「ダミアン様直々に動かれますの?」

 「勿論だ、セレニア! お前の馬車も用意させよう。お前を聖女として世に知らしめるチャンスだ!」

 聖女とは、ダミアンがやけに執着しているセレニアへの称号のようなものだ。

 【魔女】を断罪する清楚な乙女、という事なのだろうが、何故そこまで聖女という名にこだわるのかは、まだ分からない。

 単純に【魔女】に対抗してのものだったとしても、この場合は驚く事でもない。

 このダミアンという男は、アカデミーの教授たちやエリアスティールがが持ち上げでもしてくれないと成績だって保てないような、愚かな男なのだ。

「おいお前、今聖者はどこに居る?」

「はっ……フローラの収穫祭に参加されるために移動中であるとか……」

「聞いたかセレニア! フローラは花の都だ。お前に大輪の花と魔女の首をプレゼントしてやろうではないか!」

「いやですわ、ダミアン様ったら」

 床を掃除する侍従を踏み付けながら子供が悪戯を思いついたかのように笑うダミアンよりも、ゆっくりと笑みを作っていくセレニアの方がよほど恐ろしい。

 あの女にはなにかがある。

 ラムス1は調査事項に一つ追加をしてから音もなくやかましいだけの部屋から、消えた。

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