「だから……だから! 私に魔術を教えて下さい、エリアスティール様! 私を――本物の魔女にして下さい!」
パチパチと焼ける薪が音を立てる前で立ち上がったリリの宣言に、オレは一瞬言葉を失った。
一瞬っていうか、結構長い時間だったと思う。
無言でリリを見上げて居るオレを、両手をグーにしたリリが見つめていて、馬車に乗っていたバケツで水を汲んできたアレンシールがそれとなく戻ってきて無言でリリの正面に座る。
つまりはそれだけの時間、オレは無言でいた。
「いや、いいのそれ!!」
「え!? 駄目ですか!?」
「いえ、いいのよ。わたくしもそれは考えていたわ! でも思ったより決断が速いなっていうか上手く言えないのですけれど!」
「だってわたし! 自分の家族の仇は自分でとりたいんです!!」
「森の中で木の実を見つけたよ2人とも」
「ああうえええぇえ?」
これって、こういう切り替えの速さってリリだからなのだろうか?
それとも、【魔女】が存在したっていう前提があるからこその決断の速さなのだろうか?
思いっきりやる気満々のリリと「まぁいいんじゃないの」とでも言いたげなアレンシールを前に、オレは元居た日本とこの世界の常識の差を考え始めていた。
いや、そんなもん今更考えても意味がないんだけども、いいのかそれで?
と思ってしまう自分はどうしても居る。
リリの言う「家族の仇は自分でとりたい」という気持ちも分かる。
めちゃくちゃ分かるけれど、でもそれはつまりオレが彼女に人を殺すための魔術を教えるという事でもある。
そして、オレが教えた魔術でリリが人を殺すという事とイコールなわけで。
勿論リリに魔術を教える事は考えていた。
彼女自身が魔女になれば自衛出来るのじゃないかと、ダミアンなんかに好き勝手されないのじゃないかと、そう思っていたからだ。
でもこれは、いいんだろうか。
いや本人がいいと言っているのだからいいんだろうけど、でも、リリはまだ「仇を討つ」事ばかりを考えてその奥のことを考えていないんじゃないだろうか。
オレはエリスの扇子をぎゅっと握りながら、リリを見上げていた。
何と返事をすればいいのか、何を彼女に忠告してやればいいのか、わからない。
エリスの日記にはそんなものは書いていなかったし、今までの人生で誰も教えてくれなかったから。
リリには【魔女】になって欲しい。
それが彼女を守る力になるだろうからだ。
でも、だからって人殺しにはなって欲しくない。
朝方のオレみたいに、人を殺す事に何も思わない人間になるなんて事には、なって欲しくない、のに。
「バーラント嬢。もし貴女がよろしければ、リリさんと呼ぶ事を許して頂けますか?」
オレの返事を待っているリリと、リリを見上げたまま動けないオレ。
その間で、ぽん、と手を叩いてアレンシールが割って入ってきた。
彼の手にはいつの間に作ったのか簡単な野菜くずみたいなものが入っているスープとパンが乗っていて、そのいい匂いに思わずオレとリリの視線もそちらを向いてしまう。
そういえば、今日は昼ご飯も食べていないんだった。
今更思い出して、腹を手でおさえる。
空腹に腹を鳴らしなんてしたら、両親はオレを「恥ずかしい奴」と言ってとても呆れた顔を、したから。
「も、勿論です!! そんな、嬢なんてつけて頂くような者では、あの、あの!」
「良かった。では私の事もアレン、と呼んで下さい」
「えぇ!?」
「重要な話をするにはまず仲良くならなくては。そうでしょう?」
ストンとその場に座ったリリの右手にスープの入った金物のマグを押し付けて、左手には白いパンを乗っけるアレンシール。
オレにはそれよりも雑に、扇子を持っていない手にマグを押し付けた後に口にパンを押し込まれた。
妹とその他の扱いが結構違うんじゃないか?
なんてムッとしたけれど、パンをちょっと噛みしめると中からじゅわっとしみてきたりんごのジャムの味にちょっと嬉しくなってしまう。
エリスがりんごのジャムが好きだったのは、当然アレンシールだって知っている話だろう。
だけど、だからってわざわざりんごジャムのパンを持ってきているなんて、思わなかった。
マグこそ使い古されていてボコボコになっているが、このパンはきっと彼がちゃんと準備して持ってきたものなんだろう。
妹のために、妹の好きなものを。
そんな小さな事でもちょっと泣きそうになるんだから、オレはもしかしてまだ精神的にしょんぼりしていたのかも。
「エリス」
「は、はい」
「エリスは、リリさんに魔術を教えるのは嫌かい?」
思わずもぐもぐと夢中になってパンを咀嚼していると、オレとリリがちょっと落ち着いたのを見てかアレンシールが恐らくはコーヒーかなんかなのだろう飲み物を飲みつつ話しかけてくる。
彼の手にはスープはなく、パンがひとつ乗っているだけだった。
「嫌……ではありません。でも……危ない事をしてほしくない、と、思っています」
「危ない事とは、戦う事かい?」
「……それだけ、では、ないと思います。きっと、これから先は」
これから先は何が起こるか分からないから、ハッキリと言う事は出来ない。
そんな事を濁しながらごにょごにょ言っていると、スープとパンをぺろりといただいたリリが神妙な面持ちで己の手を見つめていた。
リリの手は、今は真っ白な手だ。
そりゃあ平民の娘らしく家事を手伝ったりしていた痕跡のある少し荒れた手ではあったけれど、まだ真っ白で、血にも濡れていない優しい手。
その手が恐怖で震えるのも、血で染まるのも、オレは嫌だ。
魔術を教えるのは嫌ではないしリリの気持ちもわかるけれど、これは上手く言葉に出来ない。
頭の中ではリリへの願いがいっぱい湧き上がってくるというのに、これじゃあ説得力も何もあったもんじゃない!
「じゃあまずは、初歩の魔術から覚えていけばいいんじゃないかな」
「初歩、ですか」
「しょ、初歩って何がありますか?」
「そうだね、私もあまり詳しくないけれど……火をつけるとか?」
「……あっ」
「ふふっ」
そういえば、と思わずリリと目が合って、笑ってしまう。
オレが魔女バレした理由は、薪に火をつける道具がなかったからというだけの事だったんだ。
アレンシールはその場面を見てはいないだろうけど、この状況で何か察する所はあったはずで。
思わずくすっと笑ってしまうと、リリも爪の跡が出来る程に握り締めていた手を口元に当ててクスクスと笑い始めた。
可愛いな、って、思う。
オレは昔からあんまり女の子に縁がなくて彼女が出来たのも結局はオレの将来性を求めての事だったから、自分も女の子になっているとはいえなんだかドキドキしてしまう。
リリは可愛い。
お世辞ではなく、彼女はそこらの貴族令嬢なんかよりもずっと可愛いはずだ。
そんな彼女が苦しむ事を、オレはやっぱり、見過ごす事は出来そうにない。
でも、
「その呪文を覚えれば、私もお役に立てますか?」
そんな彼女の言葉を聞いて、オレはハッと息を呑んだ。
リリが気にしていたのはそこだったんだと、そういう事だったのかと初めて気付いたからだ。
オレも、きっとアレンシールも気になんかしていなかったけれど、彼女はもしかしたら「自分のせいで」という気持ちを抱き続けていたのかもしれない。
彼女の家族が死んだ事も、もしかしたらオレたちが王都から脱出したことも、それぞれを含めて。
そんな事は絶対になくって、実際にはオレがリリとアレンシールを助けたいという気持ちだけで2人を巻き込んだだけなのに、リリはそう、思っていなかったのかもしれない。
リリの立場で考えてみれば、そうかもしれない。
オレは彼女に「ダミアンから君を逃がす」とかそういう事を言ったはずだ。
そのためのお膳立ては全部こっちでやるから、君はそのままで来てくれて構わない、と。
そしてオレとアレンシールは自分たちの財産を売り払って旅費を作り、リリを守りながらこうして旅立った。
リリの希望通りに神殿に寄り道した結果様子のおかしかったオレを見て、彼女だって不安に思ったかもしれない。
オレはあのシスターとの戦いを、何も話していないから。
「私は……ずっと何も出来ないのは嫌なんですっ!」
彼女の切実な叫びは、オレの情けなく偽善っぽい善の心だとか、シスターを殺した自分に対する驚愕や罪悪感なんてのをまとめて貫いて、ふっとばして。
今まで曇っていたように思える眼の前の世界を大きく、広く開いたような、そんな気がした。