野宿とキャンプってどう違うんだろうか。
村から王都とは逆方向に真っ直ぐ進んだ先で、オレは馬車から空を見上げて「うぅん」と唸った。
聞こえるのは虫の声と馬の嘶きに木々のざわめき。
近くに川でもあるのか、川のせせらぎの音も遠くから聞こえてきて、なんだか動画サイトに置いてあるような音声に何となく癒やされてしまう。
今日はここまでにしよう、とアレンシールが言ったのは空が赤くなり始めた頃。
ずっとぼんやりしていたオレとリリはその声でようやく我に返って、村を出てからずっとアレンに馬を任せていたことに大いに慌ててしまった。
本来貴族の長男が御者まがいの事をするなんてあってはいけないことなのにアレンシールは笑顔で「こういうのは男の仕事だよ」とかなんとか言って謝らせてくれないし、オレだってまだしょんぼりしているリリに手綱を任せようとは思わない。
かと言って現代人のオレが馬を操れるかと言われればそれも「無理」でしかないので、結局のところ選択肢はひとつだけ、というやつだろう。
魔術を使って馬を自動的に動かすだけなら勿論出来ると思う。
というか、本来であればそれが一番よかったのかもしれないけれど、やはり気になるのはリリの事だった。
オレはまだ、リリにエリスが魔女であると明かしていない。
自分が【魔女】として断罪されかけて王都を追われ家族を失ったのが確定的であるリリにそんな事を言って大丈夫なのかという心配がどうしても勝ってしまって、言うのが不安で仕方がないのだ。
けれどこうして野宿をすると決まった時、オレはひとつの決意をする事になった。
火付け道具を……忘れたんだ。
オレも、アレンシールも。
あまりにもポンコツだが、そりゃまぁそう、とも言える失敗。
侯爵家のボンボンとお嬢様が火付けの道具に頭が回るわけもなく、身の回りのことを優先してしまうのは仕方がないといえば仕方がない事だ。
うん、きっとそう。
アレンシールは一先ず「明るいうちに」と川に水を汲みに行ったし、オレとリリも薪を探してはみるものの、ここで火を付けるのに魔術を使うか、扇にセットしてある【雷】の魔術でどうにかこうにか火花を起こして誤魔化すか……
オレは、あまりにもちっぽけであまりにも大きい選択肢の前に立ち尽くす羽目になっていた。
そもそもの話、街から街へ、村から村への移動にこんなに時間がかかる事もオレは知らなかったのだ。
現代日本において街の区切りというのはどうにも曖昧だ。
どこもかしこも建物があって、市区町村の区切りだけでなく県境だってカントリーサインを探さないと見落としてしまうほど。
この期に及んでもオレはまだそんな現代的な感覚が抜けていなかったのだと自分にガッカリしてしまう。
車も電車もないのだから移動に時間がかかるのは当たり前だし、日本だって昔は宿場町に出るまでは野道山道を越えていたのだ。
この世界だって勿論、文化の発展具合からしてそういうものだろう。
そうなれば、今後の問題は火起こしだけでないのは明らかだ。
魔物が出るという話は次兄のジークレインが所属している騎士団の仕事内容から明らかだし、剣や鎧があるのだからそういった戦闘が起こるのもまた「ある」はずだ。
そういうものから身を守るために……あの女のような存在から自分の身だけでなくリリとアレンシールを守るためには、魔術というものは必要不可欠なんじゃないのか。
オレは、ちょこちょこっとだけ拾った薪を抱えて「はぁ」と大きく息を吐いてからリリの待っている少し開けた脇道に戻った。
ここはどうやら旅人たちがよく休憩に使う場所らしくって、焚き火の痕があるのを発見したアレンシールが馬車を止めて野宿の場所に決めたのだ。
何となく触れてみると土は柔らかくて石だって小さなものひとつない。
きっとここを利用する旅人たちが「少しでも他の人が過ごしやすいように」とちまちま整えてこうなったのだろう。
情けは人の為ならず、を異世界でも感じる事になるとは思わなかった。
「あ、エリアスティール様。おかえりなさい」
「戻りましたわ。お兄様はまだかしら」
「はい。まだお戻りになっていません」
そういえば、言葉遣いにも未だに距離感を感じるなぁ……なんて今更に思う。
普通こういう時には初めて一緒に旅する馬車の中で距離を縮めて~……なんてあるのかもしれないけれど、残念ながらオレもリリも疲れてしまってそんな余裕がなかったのだった。
オレは元の世界でも人との距離はある程度とるタイプだが、これではいかん。
いかんと、思う。
なんか。
貴族の長男長女に挟まれている今の状況は、リリにとってはストレスでしかないはずだ。
オレはリリを助けたくて、守りたくて出てきたっていうのにこれでは本末転倒すぎる。
リリがポキポキと折って組んでくれている枯れ枝を何となく見つめてから、オレはぐっと唇をへの字に曲げて閉じた扇をくるくると回した。
女の子同士でしか出来ない話はある。あるはずだ、きっと。
オレは女の子じゃないけど、身体は女の子!!
今はそう、そうなんだ!
「火をつけましょうか」
「あ、はい……え?」
リリに顔を見られないように無意味に空を仰ぎつつ、扇の先を組まれた枯れ枝に向けて本当に小さな【火】の術を発動させる。
エリスの日記には、
『魔術の発動は、視線移動で行う事が出来るようになるはず。けれどまだ慣れていない間は、杖や指先や何かで向かう先を意識しながら魔術を放つといいわ』
と書かれていた。
それは、ゲームの中でよくある「装備」というやつなのかなと思いつつも、実際魔術を練習する時に「視線を向ける」方法と「指先で方向を指定する」方法で試した結果後者の方が圧倒的に命中率が高かったのできっとそういうものなのだろう。
例えば車を運転している時にも、眼の前に何かが突然出現した際には駄目だと分かっていてもそちらに向かってハンドルを切ってしまう事はよくある、と聞いたことがある。
「見ている」事は、自分で思っているよりも大きな事なのだという事だ。
そうして練習をした結果オレは貴族令嬢がよく持っているという扇を杖変わりにする事にし、自分自身の強化呪文以外はこの扇を使って方向指定する事に決めたのだ。
【火】の呪文はそんな魔術の中では初歩中の初歩。
空気中にある発火性のある何かに魔術を流して発火させてどうたら……という科学的な原理で小さな火を起こすものだ。
これにもっと魔力を注ぎ込めば【火炎】になるし、誰かに向けて放てば立派な攻撃呪文にもなるわけだ。
応用性は、とても幅広い。
だがそんな初歩の初歩の魔術でも、普通の人間は使う事が出来ないもの。
リリは、【火】の魔術が起こした焚き火を呆然と見つめながら、恐る恐るに何かを言いたげにオレを見上げた。
「……先程はアイテムと誤魔化してごめんなさい。あの転移は、わたくしの魔術ですわ」
「エ、エリアスティール様は……魔女、なのですか?」
「……えぇ、そうね。わたくしが魔術に目覚めたのは、5歳の頃のことよ」
パチパチと音を立てて爆ぜる焚き火に目を落としてから、オレはリリとは少し離れた所にマントを敷いて座った。
あんまり近づき過ぎるとリリが怖がるかなと思ってそうしただけなのだけど、火から離れて座ると案外寒くて、暗い。
「ダミアンの悪行を知ったのは、夢をみたからよ。夢で、7日先の未来を見たの」
「未来、を……?」
「えぇ」
オレは、膝を立てて出来るだけリリからは表情が見えないように俯きつつ見た夢の事とリリを連れてきた理由を話した。
夢の中でダミアンの行った断罪により死んだアレンシールと、巻き込まれたリリだと思われる少女や沢山の人々。
火炙りにされたのだろうエリアスティール。
笑いながら「赤の月の7日を記念日にする」とかなんとか言っていたダミアン。
それがただの夢ではない裏付けについては、彼女にはまだ話せなかったので「アレンシールと相談して万が一を回避しようという事になった」と誤魔化した。
赤の月の7日までに調査をして、ダミアンが何も企んでいなければその方が良かったのだと、そう、伝えた。
でも現実はこの通りだ。
リリの両親は殺されたし、オレたちにも謎の刺客が向けられている。
王都の様子は分からないけれど、あのシスターのことを考えると「王都から2日離れている」と言われていた村にまでオレたちの、【魔女】の断罪の噂は流されていると見てもいいだろう。
王都だけの騒ぎであればどうとでもなった。
でも、あの村であのシスターに出会ってしまった今はダミアンが様々な場所で暗躍している事を前提に動かなければいけない。
「ダミアンは、魔女を殺すつもりよ。そして彼は、何らかの理由でわたくしが魔女であると知っているのでしょうし、貴女のことを魔女と決めつけているのだわ」
「私が……魔女……」
「黙っていて本当にごめんなさい。でも、どうしても貴女を助けたかったの。まさか……ご家族があんな事になるとは、思っていなくて」
「エリアスティール様……」
「わたくしは、今日のことを夢で見ただけなの。でもそれが現実になるという確信があったし貴女とお兄様を助けたくてどうしようもなかった……その他の事は、何も分からないくせにね」
そうだ、オレは、あの日の事を夢で見ただけ。
そしてエリスに日記の中で「兄とみんなを助けてくれ」と願われただけで、具体的にどうこうしろと言われてはいない。
何をしていいのかも、何をすればいいのかも、わからない。
これからどこへ行くべきなのかも、今更、わからなくなってくる。
オレがした事は本当に、正しい事だったのか、とも、思い始めて、なんだか頭がぐるぐるしてきた。
だってオレは、リリの両親のことなんて全然考えていなかったんだ。
リリを連れ出す理由を考えただけで、彼女の家族の事なんかは、少しも。
オレは、オレがした事は、本当にエリスが願った事なのだろうか……?
「エリアスティール様。私……わたし、まだ魔女とか、そういうの……さっぱり意味がわからないんです」
「……そうよね」
「家族が殺されて……なんでだろうってさっきまでそれでいっぱいで……私、今も何を言えばいいのか、わからないんです」
「えぇ……わかるわ」
当たり前だ。
リリはまだ17歳の女の子で、この世界においても未成年の少女だ。
あれ、これアレンシールが未成年略取の罪に問われたりしないだろうか、なんて、どうでもいい事を思ってしまうくらいには、彼女は幼い。
こんな子の人生を歪めてしまったかもしれないのか、オレは。
なんだか胸が、苦しい。
頭が痛い。
「だから……だから! 私に魔術を教えて下さい、エリアスティール様! 私を――本物の魔女にして下さい!」
頭の中がぐるぐるして、胸の中がぎゅうぎゅうして。
そんな風に自分のことでいっぱいいっぱいだったから、オレはリリが言った言葉を一瞬、飲み込む事が出来なかった。