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第17話 魔女、恐怖を知る

 村人が来る前にと女が倒れた所までのそのそ歩いていったオレは、途中で倒れてしまった木の幹に触れて【復元】をかけながら、血の中に沈んでいる女の死体をなんの感情もなく見つめていた。

 2つの呪文によって強化された右腕で振るわれた扇の一撃は、的確に女の顔面を砕きその奥までもを破壊して命すらも奪ったらしい。

 まぁ、それを目的にしていたので、当然といえば当然だと思う。

 あれだけ速度に違いがある状態で頭部を殴ったんだから、金属バットで頭を殴られたどころの話じゃなかったはずだ。

 この女は、自分が死んだ事にも気付かないまま死んだかもしれない。

 顔面は砕けて原型を留めておらず、横っ面を殴ったせいで眼球が吹っ飛んで顔とは違う位置に落ちている。

 眼窩だったのだろう場所から垂れているのは視神経だろうか。

 その穴から、恐らくは脳漿だろうものが垂れているのを見るとなんだか不思議な心地だった。

 普段生きている時には目と脳のつながりなんて眼精疲労で頭痛がする時くらいしか考えないのに、やっぱりつながってるんだ、なんて思ってしまう。

 凄まじい速度で吹っ飛んで木の幹を2本へし折るほどのパワーでここに叩きつけられた身体は、無惨にも捻じ曲がって原型を留めていない。

 ギリギリで腹部に収まっているらしい内臓は内側で出血しているのか徐々に皮膚の下が赤黒く膨れてきていて、背骨が飛び出している背部からドクドクと地面に血が流れ始めている。

 その首と身体の向きは、真逆だ。

 本来向いていてはいけない方向、というべきだろうか。

 万が一にも生きているとは思えないその有り様に、ちょっとやり過ぎだったかもとは思わない。

 驚いたのは、オレが思ったよりも「人を殺したこと」に対して何も感情が湧いてこなかったという事だ。

 あの時、リリの家族が亡くなっていた時にはあれほど震えた心が、あの赤い悪夢を見た時には酷く動揺した心が、今は少しも動かない。

 この女があからさまな殺意を持って襲ってきたからだろうか。

 この女がハッキリと「敵だ」とわかっていたからだろうか。

 なんだか、あまりにもスッパリと殺す事を容認出来ている自分に、逆に動揺してしまう。

 殺さないという選択肢はなかったはずだ。

 この女を放置すれば、折角稼いだ距離が無駄になるだろうし逃げた方向もバレてしまうだろうから、誰にも情報が知られないうちに殺すのは最善の手だったはずだ。

 でも、だからって、この姿を見ても何も思わない自分が、自分の方が、怖かった。

 【筋力強化】をかけていた時にぎゅっと握り締めていたせいで少し震えている右手をじっと見つめる。

 ほっそりとした指の、女性の手だ。オレのものではない、エリスの手。

 この手でオレは、なんの躊躇もなく人を殺した。

 殺したんだ。オレが……


「エリス?」


 拳を握り締め無言でその手を見つめていると、道の方からアレンシールの声が聞こえてきてビクリと肩が震えてしまう。

 しまった。

 覚えた呪文の中から【土制御】を引っ張り出して女の死体を周囲の血液ごと地面の奥へ奥へと埋めながら、くるりと振り返ってにっこり笑顔を浮かべる。

 出来てるかは、自信がない。

 エリスならばともかくオレはそんなにっこり笑顔なんて、全然得意ではなかった。

「お兄様、遅かったですね」

「あぁ、少しお祈りが長引いてね……それより」

 大丈夫かい?

 心配そうにこちらを見つめてきているアレンシールに、あぁ今あった事は彼には知られているんだなと苦笑してしまう。

 もしかしたら、死体も見た上で声をかけてきたのかもしれない。

 まったく気付かなかった。

 もし村人が先にオレを見つけていたら一体どうなっていたことだろうか。

 折角村人に知られないように片付けたのにあまりの迂闊さに今更頭痛がする。

 酷く疲れているような気がして、眉間をおさえながら溜息が出てしまった。

 魔力を使っての疲労は、思ったよりも感じない。

 気付いていないだけかもしれないけれど、使っても使っても魔力が湧き出てくるような感じがして、尽きるような気がしなかった。

 だからこそ、肉体的疲労ではない別の疲労感で頭痛がするのかも、しれないけれども。

「……大丈夫ですわ。それより、バーラントさんは?」

「神殿で、お祈りしながらご家族のことでちょっとね……泣き疲れているようだったから、急いでここを出よう」

「……そうですわね。馬車の準備は、出来ていますわ」

「流石だね」

 のろのろと木立の間から出てくるエリスをぎゅっと抱きしめたアレンシールは、エリスの額にキスをして背中をぽんぽんと叩いてくれた。

 まるでこちらを落ち着かせようとするかのような動作に、もしかしてオレは思っていたよりもがっくり来てたのかな、なんて思う。

 人を殺す事はどうでもいいと言いつつも、それなりにショックだったの、かも。

 それなのに敵だから、殺さなければいけないからと自分に言い訳をして正当化しなければいけない状況がショックだったの、かも。

 わからない。

 疲れた。

 オレはアレンシールの抱擁を黙って受け入れながら、少しの間さっきの脳に染み付くような生臭さを忘れて兄の香水の香りだけを感じようと、目を閉じることにした。




 馬車に乗ってからは、オレもリリも静かだった。

 リリはアレンシールが言っていたように泣き疲れたのか目元は腫れぼったくて、服を着替えてからは荷物の間に隠れるようにしてうとうとしている。

 やけに遅いと思っていたが、やはりこんな短時間で心の整理がつくわけもなく、リリは祈りながら泣きだしてしまったらしい。

 アレンシールは落ち着くまでリリに付き添っていたようだから、リリを一人にしないで良かったとしみじみと思った。

 御者を任せたアレンシールは何も言わずに馬を操り、3人分の服を包んである布の袋に寄りかかってぼんやりしているオレは何となく膝に置いた日記帳を撫でたり開いて閉じたりしていた。

 村を出る時に申し訳ないと思いながらも出来る限りの村人に【茫洋】をかけてから出発したので、きっと村人たちはオレたちの事は覚えていないだろう。

 この呪文は、同じニュアンスの言葉をこちらの世界で見つけられなかったからオレが適当に名前をつけた呪文だ。

 呪文を受けた人々はきっと、オレたちが去った後も大海に浮いていた小枝に出会ったかのようにぼんやりとした覚え方しかしていないはずだ。

 記憶消去とかがあればよかったんだけど、他人の存在や記憶自体を捻じ曲げるような呪文はあんまり良くないらしくって、エリスは記録として残さないようにした、らしい。

 という事は存在はしているという事なのだろう。

 でも、オレはその呪文を知っていてもきっと今回と同じような選択をしただろうな、とも思う。

 オレはあのシスターもどきの女性の存在を、村人たちが気付かない間に消し去ったのだ。

 土の奥深くに沈み込んだ死体は、この辺一体が土砂崩れを起こしたとしても出ては来ないだろう。

 つまり彼女は、永遠に弔われないまま「消えた」扱いになってしまうという事だ。

 オレたちにとっては都合のいい事だが、自分たちがそういう風になってしまったらと思うと酷く怖いと思う。

 見つかる事もなく、弔われる事もなく、惜しまれる事もなく……それは、人の死に様としてあまりにも悲しいものだ。

 エリスになる前のオレは、どうだったんだろうか。

 一人で部屋で死んで、誰かが見つけてくれたのだろうか。

 会社の人はわざわざ家にまで来てくれるとは思えないし、新聞もとっていないから外に異変も気付かれないだろう。

 電気がつけっぱなしのはずだけれど、それくらいで誰かが違和感を持つとも思えない。

 オレが見付かったとして、もしかしたら、異臭を放つようになってから、かも。

 この日記に書かれていたように入れ替わりで「エリアスティール」がオレの身体に宿ったのだとしたらそれはなさそうだけれど、もしそうでないとしたらきっとそれが現実だ。

 家族から絶縁されて、金もなく、親しい友人もなく、たった一人で死んだ北上直ほくじょうなお

 誰かを殺しても何も思わないせいなのか、ここまで来ても自分の死に対してすらも何も思わないのだなと実感してしまうと、なんだか自分自身が酷い欠陥人間のように感じて少しだけ胸が痛い、気がした。

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