森の中をもうあと10分も歩くと、目標の村への道がハッキリと見えてきた。
オレたちはどうやら村のメインストリートとも呼べる道を少しそれた場所に居たらしく、教会を目指して真っ直ぐ行く方が村の中に出るよりも少しだけ時間がかかったみたいだった。
村の規模はそう大きくない……と、思う。
残念ながらオレはこの世界の村の規模なんかは知らないから、子供の頃のゲームくらいしかファンタジーの知識が存在していない。
それだって勉強勉強の毎日だったので有名タイトルを弟のおこぼれでちょっとプレイするくらいだったし、最近のファンタジーRPGは中世が舞台のものよりも近未来だったりファンタジーとサイバーが混在しているようなのが多かったからこういう世界にはあまり馴染みがないのが今更問題に思えてくる。
小学校高学年の頃にライトノベルという世界を知っていくつかカバーをかけて親にこっそりと隠れて読んでいた事もあったけれど、やはり遠い過去の記憶だ。
ここはもう、完全に開き直っていくしかないのかもしれない。
となると一番にやるべきことは、観察だ。
知らないことを知っていくのであれば、その場でメモを取る事が出来なかったとしても出来るだけ頭の中に情報を叩き込んでおくべきだという事を、オレは知っている。
なのでオレはアレンシールとリリを教会で見送ってから、村の中を適当に歩いてみる事にした。
制服の代わりの服も欲しいが、こういう村に衣料店なんかあるのだろうか。
「あのぅ、ちょっとお伺いしたいんですけど」
「おや、別嬪さんじゃないか。こんな時期にどうしたんだい?」
「えっと、服をちょっと汚してしまって、新しい服を買いたいんですけど、売ってるお店とかってありますか?」
「あるけど……古着屋だからねぇ。アンタみたいな綺麗な子が着るような服じゃないよ」
村の中を少し歩いてから、オレは意を決して文字通り井戸の側で話をしているご婦人方に声をかけてみる事にした。
まだ早朝。
男だったら警戒心を持たれている所だろうが、女性しかも美人なエリスなら問題なく受け入れてもらえて……るように見えて、ちょっと距離が感じられるのは仕方がないだろう。
マントを着ていても、そのマントだって仕立てのいい雨具にもなるマントだし、普通の農村の方々と比べたら貴族令嬢のエリスのお肌も髪もツヤピカだ。
別嬪さん、なんて言ってもらったが、きっとそういう所を揶揄しているんだろうなぁと思わずにはいられない。
実際この村はどうやら農村で、お店だって特別大きな物があるようには思えない場所だ。
こんな時間に貴族令嬢が来る理由が、わからないのだろう。
「古着……だととても助かります。あの、わたし……ちょっと事情があって、旦那様の特別な旅に同行しているんです」
「あらあら……?」
そういう時には……
『貴方にひとつ助言をして差し上げるわ。女性というものは、スキャンダルに興味津々なものなの。特にこの世界の女性には娯楽が少ないから、長い間噂に出来るものを提供すればきっと力になってくれるわ。特に、すでに結婚しているような年齢の女性は、狙い目ね』
エリスの日記帳に書かれていたお嬢様直伝の女性の話術を……使う時!!
「ここだけの話なのですが……旦那様が身分違いの方と一緒なのでお洋服が……いえ、申し訳ありません。わたしはただ少し、お手伝いをしているだけなのです……」
「まぁまぁそんな事情が……」
「それじゃあそんな服じゃ目立ってしょうがないよ! だれか、メリンダ起こして来てやんな!」
「他に何か必要なものとかあるのかい?」
すげぇ、さっきまで警戒していた奥様方が一気に話に食いついた。
娯楽がない、というのはまぁそりゃそうだろうなとは思う。
この世界には本はあるけれど印刷技術はまだ王侯貴族の娯楽や新聞を中心に使われていて、庶民が手にするのは自分で書いた手紙や手書きの原稿くらいのもの。
そうなると娯楽の中心は演劇のようなものや口から口へ渡るものになるが、演劇だって大衆演劇とオペラホールでの演劇の価格の違いは物凄い。
そうなれば、貴族と平民の逃避行を手伝う侍女のフリなんてめっちゃ面白い話題になってしまうんじゃないだろうか。
オレなら多分、めちゃくちゃおもしろいと思うし。
なのでオレは、エリスの外見に頼りまくって涙を拭うフリをしながら「ここだけの話」とアレンシールとリリをモデルにした男女の恋愛劇をそれとなーーく薄めまくってぼかしまくって奥様方に語り、興味津々でやってきた旦那様方にはエリスの美貌で助けを請い、バッチリと彼らの心を掴みまくる事に成功したのだった。
……実を言うと、この時にちょっとばかり【懐柔】の呪文を使ったのは秘密だ。
もしオレが口が上手な人間であったとしても、喋りだけでここまで良くしてもらうのは絶対に無理。
となると、魔術の力を頼るしかないのだ。
かと言ってもしリリたちが合流してきたらと思うと迂闊に魔術も使えなくて、仕方なくエリスの日記の中で「使いやすそうだ」と判断した【懐柔】を言葉に乗せて使ってみる事にした。
ぶっちゃけこれの上位バージョンである【魅了】だとか【命令】だとか、そういう物騒な魔術も当然エリスのレパートリーの中にはあったんだけれど、まだオレにはそれらを使うだけの度胸がない。
そういうのを使うと本当にエリスを【悪の魔女】にしてしまいそうで何となく嫌で、自分の話術でもどうにかなりそうなものを選んだのだ。
ともかく、オレはアレンシールとリリが教会からやってくる前に古着屋のメリンダさんから女性ものの古着と男性ものの古着、それから雨具にもなるマントをもう一枚余分に買い取り、ついでだからと自分の髪も結えるリボンを数本購入した。
服はオレのマジックボックスに入れておけばいいけど、正直髪がちょっと邪魔だったのでリボンがあったのはちょうどよかった。
リリは母親がくれたものだという綺麗な色のリボンを持っていたけど、流石にそれを貸してくれとは言えないし。
それから、頼み込んで馬車を融通してもらった。
古いものでもいいから、とりあえず少人数でもいいので運べる馬車と馬を二頭。
馬は結構渋られたけど、いざって時に馬車を捨てて馬で逃げるのにはどうしても二頭必要だったので強めに【懐柔】してお金も多めに握らせてようやく買わせてもらえた。
食料とかはオレが持っているから、一先ずはこれで何とかなる、はずだ。
あとはオレが先に着替えておいてアレンシールとリリを待っていればいいだけ……だが、どうにも遅い、気がする。
この世界における死者への祈りがどのくらいかかるものかは知らないが、流石にオレが服と馬車と馬を集めている間に間に合わないものだろうか?
それとも予想通りに……何かあったのか?
オレは少しばかり嫌な予感がして、馬車の荷台に荷物を放り込んでから教会の方へ急ぐために荷台から飛び出した。
「あら、こんな所にアカデミーの生徒さんがいらっしゃいますの?」
馬車の荷台は、当然馬車がスムーズに動くようにそこそこに高く出来ている。
そこから飛び降りればマントが翻るなんて当たり前の事で、着替える前に飛び出してしまえば下に着ている制服だって見えてしまうのだけれど、すでに【懐柔】している村ではある程度言い訳がきくと思って油断していた、のかもしれない。
かけられた声に驚いて振り返れば、そこに立っていたのは一人のシスターだった。
長いベールに楚々としたシスター服。
髪色は分からないが、麦わら色の瞳は優しげに細められてこちらを優しくみつめているようで……
ようで、いて、
オレの警戒センサーにはビンビンにアラートが鳴りまくっていた。
村の外れ。
2人が戻ってきたらいつでも村を出れるようにと準備をしていた農場の裏手に突然シスターが出現するだなんて、明らかに怪しい。
しかもまだ時間は早朝。普通この世界のシスターは、朝には忙しくお勤めをしているもんなんじゃないのか?
それになにより、目が。
目が、怖い。
まるで、オレを見下す元の世界の父親を思い出す、こちらを完全に嘲るような目だ。
「……あいにくこの服しか正装を持っておりませんでしたので、お恥ずかしい話ですが使いまわしております」
「あらあら。でも、今日は卒業式のはずではありませんか? 何故、アカデミーの方がこの村に?」
「……親戚の出迎えに」
「あら、おかしいですわ」
シスターはあくまでも笑顔で、口調も穏やかだ。
でもオレは咄嗟にスカートの背中部分のベルトに刺していた扇子を手に取ると、ぎゅっと手で握り込む。
「ここから王都までは馬車でも2日はかかりますのよ。今お迎えに来ても間に合いませんわ……エリアスティール様」
瞬間、発動。
躊躇なくシスターに向けて扇子から放った小さな【雷】は、しかしシスターが笑顔のままで手を振り払うと呆気なく霧散して消えた。
まだ魔術に明るくないオレが瞬間的に発動出来るように扇子に込めていた魔術をこうもあっさり叩き落とすなんて……このシスター、やっぱり、普通じゃない。
何よりエリアスティールのことを知っているのだ。
なんでエリスの事を知っている人間がここに居るのかは知らないが、ここで逃がしたら確実に、厄介なことになる。
「あらあら、やっぱり【魔女】でいらしたのね」
女の声は、やはりずっと楽しそうなままだった。