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第14話 魔女、新たなる地

 数回のきらめきが瞼の上を過ぎ去ってから目を開いた時、真っ先に目に入ってきたのは深い森の木々だった。

 密集していると言っても過言ではないその木々の葉は青々としていて、少し湿気た空気は新鮮だが少し重い。

 何となく、林間学校で行った山の上を彷彿とさせるその空気感に、あぁここはまだ海には遠い、と無意識に察していた。

 それは転移が完了したと気付いたらしいアレンシールも同じで、最後にオレが抱きしめたままだったリリが目を開けて周囲を見回した。

「ごめんなさい。あのアイテムではここまでが限界だったようだわ」

「アイテム?」

「あ、あの。お父様のお部屋からちょっと」

 そういえば、オレが【魔女】であるとリリに教えていないという事をアレンシールに伝え忘れていた。

 慌ててごにょごにょと口ごもっていると、そんなオレの表情を見て何かを察したのかアレンシールは「父上は色々なものをお持ちだからね」とにっこり笑って受け流してくれた。

 持つべきものは察しの良い兄だ……

 ほっと胸を撫で下ろしつつ、ぼんやりと森を見詰めているリリに目を向ける。

 さっきまで怒っていたリリは、改めてここが王都から離れた場所であるという事を実感したのか再び消沈して黙り込んでしまっていた。感情の緩急は、多少はしょうがない。

 オレなんか家を追い出されてからしばらくはまったく落ち着かなかったくらいだし、これでもリリは冷静な方だと思う。

 家族が殺された姿を、それも殺された直後の姿を目の当たりにして暴れない人間なんかは、きっとこの世にはいないんじゃないかってオレは思うからだ。

 それでも、オレたちは歩かないといけない。

 リリにかけてあげたアレンシールのマントを整えてやってから、オレがリリと手を繋いで先に進む。

 正確には、どっちが先だとかは誰も理解していないだろう。

 でも、この森にいつまでも居るわけにもいかないし、日がある間に人里にぶち当たらなければ厄介なことになる。

 多分、転移を使ったオレの感覚としてはここは王都からは少しばかり離れた森であるはずだ。

 最低でも、1日分はショートカット出来たはずの場所。

 お陰様でオレの身体はどうにも重怠く、これが魔術を使ったという事なのだろうとハッキリわかるくらいには疲れている。

 エリスだったら、この程度の転移は疲れずに使えたのだろうか。

 転移の術は高位魔術に入るはずだからエリスでもそこそこ疲れるんだろうか。

 どうせなら、疲労の度合いくらい書いておいてくれればよかったのにな。

「このまま真っ直ぐ進んでみよう。そう遠くないはずだ」

「何処へですか?」

「さっき、チラッと何かが太陽を反射したんだ。湖か窓か……鏡か何か反射物だと思う。そう近くはなかったけど、遠すぎるという事もないはずだ」

「まぁ……全然気付きませんでしたわ」

「私も偶然気付いたんだよ」

 湖か。

 もしそれが人里でなかったとしても、水辺が近いのは悪くない。

 水辺が近いという事は人里も近いという事だって、エリスの日記には書いてあった。

 残念ながらオレには遭難知識なんかネット動画で見て知ったくらいのものしかないけど、水辺は開けている事も多いし丁度いいかもしれない。

 もっと出発時に余裕があれば、エリスの記憶の中から人里を選んでチョイスもできたかもしれないが、そんな余裕はなかったからなんだか申し訳ない感じだ。

 オレもまだまだ、頭の中がパニックになってる。

 ネットの中ではそれこそ殺人事件の現場の写真だのグロ画像だのなんていうのはいくらでも出てきたけれど、オレはそういうものは好んで見ないタイプだ。

 そういうのが好きとかスリリングだとか言う人も居るがオレはそうじゃない。

 戦争だとか、事故だとか、そういうのは仕方がないけれど……

 いや、あぁ、そうか。

 戦争か。

 ダミアンはもしかして、戦争を、少なことも小規模なそういう戦いを、起こそうとしているんじゃないか?

 王太子を引き込んであんな事をしようとしたっていうのは、そういう事なんじゃないのか?

「人里だ」

「えっ」

「さっきの光は、教会だったみたいだね」

「きょう……かい……」

 トボトボと無言で歩きながら己の腕を擦ったオレは、少し先を歩いていたアレンシールの声にパッと顔を上げた。

 同じようにリリも顔を上げて、あと数分歩けばたどり着きそうな先が開けている事に目を輝かせる。

 人里。

 まだ安心は出来ないが、王都から少し離れた人里なら流石にオレたちの失踪は知られていないはずだから、何かしら情報を得たり休んだり出来るかもしれない。

 オレもリリも足は登校用のローファーっぽい靴のままだから正直歩きにくくてたまらなかったから、ここで服を変えられるかも。

 そういえば制服のままだし少しは何か整えられるかもしれないと、ほっとする。

 流石に、王都のアカデミーの制服姿の女子がウロウロしてたら目立っちゃうもんな。

「あの……エリアスティール様」

「どうしたの?」

「……わたし、もしもお許し頂けるなら……教会で、祈りを捧げたいのです」

 繋いだままだった手をぎゅっと握りしめて、リリがか細い声でそう言った。

 アレンシールが立ち止まり、オレも無言で息を吸い込んでしまう。

 リリの目には再び大粒の涙が溜まっているが必死に堪えているのかこぼれる事はなく、我慢しているのだろう嗚咽は短く速い呼吸となって彼女の小さな口から零れ落ちそうになっている。

 教会。

 そうか、オレには馴染みがなかったけれど、この世界では神様が普通に信じられている世界なんだ。

 エリスの記憶では【赤き月の女神】と【蒼き月の男神】が創造神とされていて、【赤き月の女神】は魔女の始祖だとも言われているとあった。

 だからこそ現在の教会のほとんどは【蒼き月の男神】だけを創造神とし、【赤き月の女神】は邪悪な神として扱われているのだとも。

「……勿論よ。一緒に行きましょう」

 そんな場所に行っても大丈夫なのか? という気持ちがあるのには間違いなかったけれど、祈りを捧げる事でリリが落ち着くのであればそんな事を気にしている場合でもないだろう。

 アレンシールも少し思う所があったようだが、最終的には頷いてくれた。

 神というものは、ある意味では今この世界に生きている人間の心の拠り所となるべき存在だ。

 実際に神が居なかったとしても、信仰する人の心に神がいるのであれば十分に価値があるんじゃないかとオレは思っている。

 まぁ勿論、その結果宗教戦争とかに発展したならどうしようもないけど、今の場合はいいんじゃないだろうか。

 もしもリリがこの先魔女になることを決めたのなら止めたかもしれないけれど、それだって安全上の話だ。

 感情として神にすがりたいなら、オレはどうすることも出来ない。

「私は……もう神を信じてません」

「え?」

「あんな暴挙を許す神さまなんて……信じない……信じたくないです。でも、家族は、信じてたから……」

 アレンシールに借りたマントをぎゅっと握って、リリの目からついにまた涙が落ち始める。

 あぁオレとしたことが、つい前世のクセでこういう時に持っているべきハンカチを持ってきていない。

 貴族の令嬢は刺繍が嗜みとか聞いたのに、本当にうっかりしていた。

 そんな淑女失格のオレに変わってアレンシールがそっとリリにハンカチを差し出してあげたのは流石だ。

 渡し方もスマートで、これぞ紳士って感じでつい「おぉ」と思ってしまう。

 そのアレンシールの格好も、よく見れば普段の貴族っぽい格好から少し地味なものになっていた。

 それでもアレンシールの美形っぷりはとどまる所を知らないけれど、このくらいなら「王都から来た騎士です」くらいに収まるかもしれない。

 リリもアレンシールのマントを着て服が隠れているし、問題はあと、エリスだけだ。

「先に行っていてくださるかしら。わたくしは、洋服を着替えてから行きますわ」

「わかった。じゃあ、私がバーラントさんをエスコートしよう」

「あ、ありがとうございます。えっと……?」

「あぁ、申し訳ない。はじめまして、エリアスティールの兄のアレンシールと言う者だよ。事情は聞いているから、安心して」

「エリアスティール様の!」

 こんなタイミングで「はじめまして」なんていうのも今更っぽい所もあるが、リリもようやく少しばかりの落ち着きを取り戻して周囲を見る余裕が出来たのかもしれない。

 きっと、オレもアレンシールも、それは同じだ。

 初めて気付いた【敵】からの殺意と、その本気度。

 確実に命を狙われているのだという、実感。

 それらはぬくぬくと育ってきたオレたちにとっては別次元のもので、直接向けられれば冷静ではいられないんだという事を知ったばかりなのだから落ち着けるわけもない。

 今はまだ、神殿に行く余裕はある。

 けれど、リリが魔女になれば……エリスが魔女の首魁である事がリリにバレれば、そうもいかなくなってくるだろう。

 オレは果たしていつ彼女に「エリスは実は魔女だ」と言うべきなのだろうかと、先に森の出口に向かっていく2人の背を見送りながら小さくひとつ、ため息を吐いた。

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