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第12話 目撃者は語る

 エリアスティールの逃亡計画を聞いた時、アレンシールはついに「その時」が来たのだと瞬間的に理解した。

 具体的にこれから何が起きるのかも、彼女が何をするつもりなのかもわかってはいない。

 けれど、自分が何をするべきなのかは本能的に理解していた。

 彼女の味方でいなくてはならない。

 アレンシールにとって、それは絶対の誓いだった。

 幼い頃、体の弱いアレンシールは流行病に倒れ余命宣告まで受けた。

 子煩悩だった両親は神に祈りを捧げてアレンシールの快方を願い、国中様々な場所から医者を呼び寄せてなんとか治療方法はないものかと必死だったという。

 結局その時アレンシールを助けたのはまだ5歳のエリアスティールで、しかも神に反する魔女の力でもって流行り病を消し去ったのだ。

 エリアスティールはその時、自分が何をしたのかはまだ理解していないようだった。

 泣き喚いて、死なないでと叫んで。

 そんな彼女の手をとった時アレンシールの胸に光が灯ったような心地になり、その瞬間から驚くほど身体が楽になっていったのだ。

 エリアスティールが長じていくほどそれが魔女の力だという確信を強めていったアレンシールは、彼女の力が暴走しないよう、彼女が理性をもって魔術を使えるようになるよう静かに守り続けた。

 それから自らも弟に頭を下げて剣を習い、少しずつ己の身体に合う薬を見つけて病とも付き合ってきた。

 これも全て、エリアスティールに「何か」があった時のためだ。

 他の家族には言わなかったけれど、ただただそれだけのために、アレンシールは今日までの日々を生きてきた。

 今このエグリッド王国では急速に「創造神信仰」が強くなってきていることが、その理由だ。

 創造神信仰は、名前の通りこの世界のすべてを創造なさった主なる神へ信仰の事を言う。

 古くから創造神信仰は存在していたが、空にある赤き月の女神と蒼き月の男神をまとめて「創造神」と呼んでいたものが、ここ十数年で急速に「男神信仰」へと切り替わってきているようだと、アレンシールは感じていた。

 幼い頃にはまだ赤き月の女神への信仰も確かにあったというのに、赤き月の女神を【魔女】と呼んで弾圧されてきているという例を、アレンシールはこの目で何度も見てきたからというのもある。

 この【魔女】への忌避感もまた、近年急速に膨らんできたものであるとアレンシールは感じていた。

 今まで根深く存在していたものが徐々に徐々に範囲を広げて【魔女】を消し去り、このエグリッド王国全てに火の手を上げているようだと、そう思っていたのだ。

 だからアレンシールは愛する妹が【魔女】であると知った時、即座に彼女に「これは僕たちだけの秘密だよ」と教え込んだ。

 アレンシールが咳をひとつするたび、指先を紙で引っ掻くたびに治療してくれようとする妹に待ったをかけて、根気強く根気強く、彼女の正体を守ったのだ。

 神殿は、十年ほど前に魔女狩り専門の機関を作ったようだとも聞いている。

 その存在は公にはなっていないけれど、魔女狩りが行われた場所の近くには必ず神殿の痕跡があった。

 自分がもっと早く生まれていればもっと追うことが出来たのにと、悔やむことしか出来ない。

 そんなだからアレンシールは、エリアスティールが未来を夢で視たと言った時にも驚かなかったし、彼女が逃げたいと言った時にも即座に頭を動かしていた。

 今まで自分が父にも秘密にして動かしてきた財産をどう動かして妹を逃がすか。

 ここに残す家族の無事を確保出来るのか。

 愚かなダミアン・レンバスへの報復はどうするのか……

 考える事は山程あったけれど、とにかくアレンシールはエリアスティールのお願いの通りに動き彼女と自分の財産を換金し、国外への逃亡ルートを確保した。

 卒業式までの6日間、アレンシールの最後の仕事は誰も乗っていない侯爵家の馬車を御者に金を握らせて近くの街へ走らせ、自分は王都の中に身を隠す事だった。

 侯爵家の馬車を使ったのは、アレンシールが療養という名目で1日早く王都を出るという噂を流したからだ。

 最近は、自分がちょっと弱いところを見せるだけで心配して噂を流してくれるご令嬢が多いから助かる。

 この時だけは、アレンシールはあまり好きではない「美しい」顔に感謝した。

 それからはとにかく翌朝までエリアスティールと合流予定のポイントの近くで身を潜めた。

 宿屋に泊まれば足がつくかもしれないと「収入源」を使って宿泊所を確保して夜を明かし、夜明けと共に活動を開始する。

 王太子の出席するという卒業式のために、両親はきっと早くから家を出るだろう。

 それから、ドレスに着替えなければいけない卒業生たちも夜明けほどの時間に学院に集まるはず。

 学院に人が集まる時間は、アレンシールにとっても身動きのし易いタイミングだった。

 リリ・バーラントという少女の家は事前に調べてあるし、エリアスティールであれば「歩きでも馬車でもない方法」でこちらに来るのは簡単だろうと思われたので、アレンシールはただ自分の存在がバレないことだけを考えて息を潜めた。


 だから、そんなだったから、アレンシールは眼の前の光景に激しく舌打ちをしたい気持ちに囚われた。


 リリ・バーラントとエリアスティールが到着をしたのは、一番人混みが激しくなる頃合い。

 朝日が昇り、青空が見え始める頃合いだった。

 エリアスティールのお気に入りの店の近くで待機していたアレンシールは、どこからともなく妹たちが現れたと報告を受けてひっそりと影から身を乗り出し彼女たちを追う。

 エリアスティールとの打ち合わせでは「自分たちが完全に家の中に入ってから来てくれ」という事だったので、彼女たちがリリ・バーラントの家に入るまでは静かに待機し――そして、小さく彼女たちの声が上がった瞬間、アレンシールは家の中に駆け込んでいた。

 路地から少し入った、平民たちの住んでいる中では比較的綺麗だが職人の多い区画。

 この区画ではこの時間、まだ店を開ける前の準備で人はそれほど多くはない。

 だから、彼女たちの悲鳴は静かに遠くのざわめきに溶けて消え――彼女たちの足元からたちこめる生臭い血の匂いが、少し離れた場所に居たアレンシールの鼻にもキツく突き刺さった。

 家の中はまさに地獄、という言葉がピッタリの有り様だった。

 キッチンにはまだ火が入ったままで、後頭部を一撃で割られ前のめりに倒れたのだろう女性の髪がコンロの火でチリチリと燃えている。

 燃え広がらないのは、後頭部から垂れている液体のお陰だ。

 テーブルに伏しているのは父親だろうか。

 ひっくり返ったスープに顔を突っ込んだまま同じように突っ伏すようにして沈黙している。

 その首は深く斬られて不安定に揺れており、おそらく壁と天井に散っている血液は彼のものだろうと推察が出来た。

 階段には、逃げようとしたのだろう幼い子供の姿がある。

 どちらも首か頭を狙われて、これもおそらく一撃で殺されたのだろうという事がわかる。誰も彼も、声を出す暇もなかっただろう。

 子供たちも、もしかしたら逃げようとしたのではなくただ部屋に戻ろうとした瞬間だったのかもしれない。

 そんな日常のワンシーンが、血の海に沈んでいた。


「パ、パパ……ママ……ッ!」


 少女の悲痛な声に我に返ったアレンシールは、即座に妹たちを家の中に押し込んで扉を閉めるとキッチンに倒れている母親を助け起こした。

 勿論、生きている事を期待しての事ではない。

 これ以上髪が燃えれば匂いで誰かが気付くかもしれないし、人間の肉体の何割かは脂で出来ているのだ。

 彼女の髪を食い尽くして身体に火が付けば、この家どころか家のある一角全てが燃えてしまう可能性もある。

 もしかしたら犯人はそれが目的だったのかもしれない。

 母親をそっと床に寝かせると途端に割れた頭蓋骨の中からどろりと垂れて落ちた柔らかいものの匂いに、アレンシールは眉をしかめた。

「うそ、うそ……うそよ……なんで……なんで!?」

「バーラントさん……」

「なんでみんなが! いや、いやよ!!」

 家族の身体に縋ろうとする少女の身体を、妹がギリギリで制止する。

 少女は泣きながらその場に座り込み、嗚咽の声はなんとか妹の胸に消えた。

 誰がこんな事を。

 そんな疑問は、誰かに問うべくもない。

 エリアスティールは、赤い月の7日に血の惨劇が起こることを予知していた。

 しかしそれは彼女が中心となる【魔女狩り】のワンシーンで、彼女の視界の中の事しか知り得てはいなかったのだ。

 普通に考えればわかる事では、あったのだ。

 リリ・バーラントが貴族に断罪されるのであれば、その家族とて無事には済まないだろう、と。

 国家の中枢である侯爵家のノクト家ならばともかく、平民であるリリの家族なんかは貴族はどうとでも出来るのだろうということも。

「ダミアン……レンバス……!」

 エリアスティールの、血を吐くような怒りの声にアレンシールは目を閉じる。

 もし自分がもっと積極的に動いていれば、この家族は無事であったのだろうかと。

 もしもアレンシールが、エリアスティールを守るためにこの十年で蓄えてきた資金の源を彼女に明らかにしていれば、彼らを守る事が出来たのかもしれないと。

 甘くみていたのだ。結局は。

 ダミアン・レンバスの目的はエリアスティールとリリに【魔女】の烙印を捺し、それはレンバス家がノクト家を超えるための足がかりでしかないのだと、思い込んでいたのかもしれない。

 だが実際には、裏でもっと大きなものが動いていたのかもしれない。

 キッチンの火を消して、開いたままだった母親のまぶたを閉じてやりながら奥歯を噛みしめる。

 エリアスティールが【魔女】であり、その彼女を【魔女】疑いのリリと共に王都から逃がす事。アレンシールは今までそれだけを考え続けてきた。

 しかし現実はきっとそれだけでは収まらない。

 これはもしかしたら【魔女】と人間の戦いではなく別の戦いなのかもしれないと、アレンシールは今初めて実感しつつあった。

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