そんなこんなの日々を送っている間に、オレが転生してからの7日間はあっという間に過ぎていった。
7日間は長いようで短い時間だ。
その間にオレは魔術の練習に没頭し続け、それでようやくエリスはオレである、という認識が重なってきたように思う。
ようやっとドレスに抵抗感がなくなったし、ようやっとお風呂に入れるようになったし、ようやっとトイレも我慢しなくなった。
人間は何よりも慣れの生き物だという事を実感する。ほんとに。
トイレに関してはまだ「見なければ」というレベルだけども、我慢し続けて膀胱炎にでもなったらこの世界の医療技術で完治出来るのか不安だったので健康であるに越したことはない。
エリスは治癒の術も使えたと言うけれど、オレがその魔術を知らないと意味がないのだ。
卒業式当日の服に関しては、リリの前で大見得を切った手前ドレスはやめて制服で行く事にした。
ドレスは、あの夢の中で見た「綺麗だったのだろうドレス」のきちんとした出来立ての姿でそこにあった。
一体幾らかけたのだか分からない宝石やレースがふんだんにあしらわれた美しいドレスが、ダミアンたちによってズタボロにされてしまうだなんて、なんて残酷な話だろう。
両親には「ドレスは持っていって学校で着替える」と言っておいて、家を出るのは制服にするという事だ。
実際にはそのドレスには腕を通す事もしないので、両親に充てた手紙をドレスケースに忍ばせてフラウに運んでもらう事にする。
学校へ行く目的は、ただリリと合流するためだけのものだ。
リリにも荷物は最小限にしておけと言ってあるので、違和感なく逃げ出す事が出来るだろう。
校舎には絶対入らない。
まして式典の行われる公会堂には絶対に近づかない。
ダミアンと、卒業式と、エリスとリリとあの男爵令嬢が揃ってしまったらあの赤い月の惨劇が起こってしまうかもしれないからだ。
出来る限り学院の敷地内には入らずに逃げ出すに越したことはない。
アレンシール兄様は昨日のうちに「療養に出ます」と一足早く王都を出ている事にしているから、学院を出たらアレンシールに合流するのが第一目標だ。
リリの家の近くに宿をとって一夜を明かしているそうだが、あの外見で目立ちやしないだろうか……出来れば宿に引きこもるなりなんなりして大人しくしていて頂きたい。
アレンシールは、ただそこに居るだけでめちゃくちゃ目立つ人なのだ。
「あぁエリス! ついに今日か、感慨深いよ」
「お父様、お母様」
「エリス。立派になったわね」
朝。
逃亡の算段を思い出しながら制服で部屋を出ると待っていた両親が優しく抱きしめてくれた。
この7日間で両親とはじっくり話をするタイミングがなかったものの、彼らの愛情は端々から感じたので少しだけ寂しい。
父は宰相補佐として忙しく王宮とこの家を行き来し、母はそんな父を支えるために立派に家を守っている淑女だ。
もしかしたらそのまま成長していれば、エリスも母のように家を切り盛りする女性になったのかもしれない。
けれど残念ながら、その未来は今、見えないままだ。
「我々は一足先に出るよ。今日の卒業式には王太子殿下も参加なされるから、王宮に寄るんだ」
「王太子殿下もですかっ」
「えぇそうよ。でも大丈夫、貴方は貴方のやるべき事をやればいいの」
母・エリザベートに優しくそっとハグをされながら背中を撫でられて、緊張していた身体がほっと緩むのを感じる。
父フィリップも母と一緒にエリスを抱き締めていて、あまりに優しい包容に涙が出そうだった。
こんな優しい人たちとの生活がたった7日間だなんて。
本当ならもっともっと甘えたかったし話を聞いてほしかった。「
強欲過ぎるかもしれないが二人の腕があまりにも優しくてそんな欲を抱きながら、しばらく両親の手に甘える事にする。
こんな両親の所に生まれたエリスはきっと幸せだったことだろう。
だからこそ、兄を救うために全てを掛けてオレとエリスの魂を入れ替えたのだ。
オレの存在は彼女の最後の賭け。
彼女と彼女の大事な人を助けるための、ただの第三者だ。
ここで両親への愛情に執着をして計画を崩すなんてことは、あってはならない。
本来この愛情を受け取るのはオレでなくエリスなのだから。
「……ありがとうございます、お父様、お母様」
卒業式のために用意してくれたあの綺麗なドレスを着る事が出来なくてごめんなさい。
エリスの身体に慣れてきたのにエリスとしての生活を自分のものに出来ない苦しさに胸が締め付けられるような気持ちになりながら、オレは両親の腕から抜け出して両親を見送った。
王太子殿下も参加する卒業式か。
そんな所で魔女裁判を行って処刑も執行するだなんて、ダミアンも随分と思い切ったものだ。
という事は、あの夢の中にも王太子殿下も居たんだろうか。
ふと思って最後に手元に残していたエリスの日記を開こうとして、メイド長に促されて朝食の席に案内されたので再びバッグに戻した。
結局あの「アイテムボックス」は腰に巻くバッグの中に固定する事にしてバッグを開いたら空間が開くように細工をしてみたのだ。
何しろあの空間を開くという動作がどうにも上手く行かなくて、その工程を端折るために「開く」動作が必要なバッグの中にアイテムボックスをぶち込んでみた、だけ。
アレンシールのバッグにも同じような細工をして渡してみたら「誰にも言っちゃいけないよ?」という事だったのでこれだけでもヤベー魔術だという事はわかったので、このバッグは家の中ではこれ以上開くつもりはない。
見た目は本が一冊入るか入らないかくらいのサイズだ。
あんまり物を出し入れしたら怪しまれてしまうだろう。
今だって制服姿に革のバッグだなんてちょっとアンバランスだが、学校に行く前なのでメイド長も許容範囲だったのか何も言わない。
けれど、もしかしたらさっき本をバッグに入れたのを見られていたかもしれないと思うとヒヤヒヤしてしまって、この食事がノクト家での最後の食事になるというのにどうにも味が分からなかった。
「エリアスティール」
「! ジークレイン兄様」
「これから卒業式か」
「は、はい」
「俺は警備の都合で一緒に行く事は出来ないが……」
この世界にコルセットがないのが幸いだったな、なんて思いつつ腹いっぱいに朝食を詰め込んで食後の紅茶をいただいていると、何処からともなく現れたもう一人の兄がいつの間にか背後に立っていた。
完全に気付かなかった。
背後でボソッと名前を呼ばれてめちゃくちゃドキドキしつつ今日初めて正面から見る次兄の姿を見上げる。
身長は、アレンシールよりも少し高いくらいだろうか。
ノクト侯爵と同じくらいの身長だ。
母親似のアレンシールとは違い髪の色はエリスの髪色にもうちょっと赤みがかったような明るい黒色をしている。
エリスは両親のいいところを貰ったんだなー、なんて思いながら初めて見る次兄のことを見ていると、ジークレインはにこやかな長兄とは違うムスッとした表情のまま懐から何かを取り出し、エリスに差し出してきた。
何事かと慌てて手を差し出すと、手に乗ったのはズッシリとした重み。
「ダミアン・レンバスを許すな」
「ひぇ……」
手のひらに乗せられたのは宝石は入っていないもののキラキラ輝く装飾を施されたエリスの肘までくらいの長さの短剣だった。
短剣だとわかったのは、真顔のジークレインが「許すな」と言いながら親指で首を掻っ切る仕草をしたからだ。
つまり、殺せと。
初めて人を殺せるアイテムをゲットしたオレは、この無愛想な兄もまた結構なシスコンである可能性を震えながら受け入れるしかなかった。
何しろ短剣を渡して満足したのだろうジークレインはその後ひたすらに「ダミアンのことは元々気に入らなかった」だとか「あんな男は侯爵家に相応しくない」だとかブツブツ言いながら馬車までエスコートしてくれたのだ。
無口無愛想って聞いていたけどこれって無口の範疇に入るんですかね?
ダミアンに会った瞬間にその首を落としそうな兄が居るのにあんな惨劇が起こった不思議を思いながら、オレは素直に馬車までエスコートしていただく事にした。
騎士が貴族を殺すとか言っちゃいけないと思います、とは流石に言わないまま、オレはにこやかに兄に手を振っているのとは逆の手で短剣をバッグに押し込んだ。
これもまた兄の愛だ、兄の愛……そう、きっとそう。
卒業式前に悪い意味でバクバクと高鳴る心臓をなんとかおさえながら、改めて学院につくまでの覚悟を決める。
思わぬ所で心拍数を使ってしまったけれど、オレにとっての本番はここからなのだ。
リリとは、学院の外で待ち合わせをしている。
学院の敷地に入る前の門の所だ。
卒業式の開始が近くなるとそこには貴族の馬車が詰め掛けるのだけれど、この時間ならそこまで人は多くないはず。
そこでリリと合流したオレは、学院の校舎に入る前にその辺の草むらで転移魔術を使ってリリの家まで転移する予定なのだ。
なんで転移の魔術を使う事が出来るのかは、まぁ、「そういう古代呪文を封じ込めたアイテムを侯爵様が持っていた」という事にした。
流石に、まだ自分が魔女であるという事は言えていないから仕方がない。
実際にはエリスの日記には複数の魔術が彼女の手で記載されていたから、自力だ。
書かれていた呪文は、本当に沢山だ。
攻撃呪文も、治癒の呪文も色々な種類があって彼女の頭の中はどうなっていたんだろうと思ってしまうくらい。
でも今のオレが一番うまく使えたのが転移の魔術だった。
エリスのメモには「遠くに自分の分身を作り出すイメージで」と書いてあって、しかも上級呪文のひとつであるという記載もあったので正直言ってこれは相当習得に苦労するだろうと思ったのだけど、何となくゲームをする要領でイメージしたら驚くほどあっさりと習得出来た。
つまりは、自分がプレイするゲームの中の登場人物を動かす感覚、と言うべきだろうか。
ある意味ゲームの中の自分はもうひとりの自分なわけだから、そのプレイヤーキャラクターを操作するような感覚だろうかと思ったら上手く行った。
まさかこんな事で上手くいくとは思わなかったけれど、こことオレの生きていた時代は文明のレベルが違うのだという事を思うと「そういう事か」と思って受け入れられた。
オレの生きていた時代では空間転移と言えば「自分の肉体を素粒子レベルまで分解してイメージした先に再構築」だとかクソ難しい事をしていたけれど、別にそこまで難しい話じゃないんだ。
自分の知っている場所を思い浮かべて、そのイメージの中にもう一人の自分をポイと投げ込んでやればいいだけ。
この方法は勿論自分の行ったことのある場所にしか通用しないわけだが、今回はそれでよかった。
リリの住んでいる家のすぐ近くにめちゃくちゃ美味しいお菓子屋さんがあって、過去にエリスもそこに足を運んだことがあったのだ。つまりはオレの記憶ではないけれど、エリスがイメージ出来ればそれでOKなワケ。
天才魔女様バンザイバンザイ。
後はオレの妄想力が合致すれば転移魔術の完成だ。
「お嬢様、いってらっしゃいませ」
「ありがとう。行ってくるわ」
心の中で万歳三唱しつつ、すぐに到着した学院の校門前で馬車を降りる。
王族レベルまで行けば校舎前まで馬車を入れるそうだが、侯爵家ともなればギリギリ校門前までが限度だ。
あぁこの御者とも今日でさよならか。
エスコートしてくれた御者の慣れた手のひらを感じながらちょっとだけ、ちょっとだけ切なくなる。
いちいちこんな事でセンチメンタルになってたらこの先頑張れないぞオレ!
と思いながらも、御者に手を振って「行ってきます」と言ってしまう。
御者は、フィリップ父上よりも少し年上くらいだろうか。
目尻を下げて手を振り返してくれる所を見ると、彼もノクト家に長く仕えているのだろう。
どうか彼も、無事で居てくれますように。
ぎゅっとスカートを握りしめてから、校門前で待っているリリの方に小走りで向かう。
ねぇ見て、わたくし友達が出来たのよ。
そう見せびらかすようにリリの隣で改めて御者に手を振ると、彼がまだ手を振ってくれている事に気付いてまたちょっと切なさが増してどうしようもなかった。
でも、そんな甘く切ない気持ちが一瞬でぶち壊されるなんて。
まさか、まさかあの【赤い惨劇】に遭遇する前にこんなにも濃密な血の匂いを嗅ぐなんて、オレは少しも、予想してはいなかった。