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第10話 魔女、準備する

 そうしてアレンシールと出発日を決めてからは、とにかく忙しかった。

 両親が買ってくれたものに手を出すのは気が咎めたが、サイズアウトしたドレスや親戚に貰った貴金属なんかを学校に行くフリをして換金して旅費にした。

 換金できる場所はアレンシールが知っていたので、ドレスはいわゆる質屋のような場所に持ち込んだ。

 なんでも、質屋では「誰がそれを身に着けていたか」が重要らしく、オレが直接持ち込むと結構良いお値段で引き取ってくれたのは有難かった。

 でも、一応「店先に出すのは7日後からにして欲しい」とお願いをしておくのは忘れない。

 すぐに店先に出されたら、オレが売り払った事がすぐに噂になってしまいそうだったし、そうなれば逃亡作戦がオジャンになってしまうかもしれないからだ。

 宝石は宝石店に直接持ち込んだ。

 宝石店でも「誰がそれを使っていたか」が重視されるというので、少し悩んでから一緒に付き合ってくれていたフラウに一粒好きな宝石を選ばせ、それを彼女にあげてから残りを売り払った。

 フラウは目を丸くしていたけれど、「口止め料よ」と笑うと「これは絶対に誰にも話せませんね」と笑って受け取ってくれたのでまた笑ってしまう。

 フラウはいい人だ。

 多分、本人的には「メイドとして当然」なのかもしれないが、それでも現代日本人のオレにとっては彼女の献身的な姿にちょっと感動したりしていた。

 深夜だというのにベルを鳴らせばすぐに駆け付けてくれたり、部屋でちょっとデカい音をたてたら心配して訪ねてきてくれたりと、とにかくこちらを心配してくれるんだ。

 そんな彼女を置いていく事に少しばかりの申し訳無さがあるが、まさか連れて行くわけにも行かないから換金をする理由を話すわけにもいかない。

 彼女はオレが持ち物を換金していくことに不思議そうな顔をしていたけれど、決して深く聞いてくる事はなかったので、オレも詳しくは言わなかった。

 彼女はきっと、家にいれば安全なはずだ。

 娘の専属メイドを両親が悪く扱うわけがない。

 オレはそう、信じていた。



 一方のアレンシールは自分の装備やエリスとリリの旅装を購入して密かに荷造りをしてくれているそうで、下着やなんかは用意しておくべきかと相談を受けたのにはつい吹き出してしまった。

 流石にそこは自分で用意をするからと言うとホッとしていたようなので、そんなにも気遣ってくれていた事にそっと感謝する。

 だってオレは旅支度で下着の心配なんかまっっっっっっっっったくしていなかったのだ。

 アレンシールが準備をしていると知って慌ててその辺を準備し始めたがエリスの下着を直視するのには抵抗があって、結局フラウに「着心地の良さそうなのを適当に10日分ほど選んで欲しい」とお願いしてしまった。

 すまないフラウ。

 本当に申し訳ない。

 ここまでやってもらったフラウには流石に申し訳なくなって、オレはひっそりこっそり、自分たちが家を出る理由をしたためた手紙を残しておく事に決めた。

 彼女への感謝と、無事で居て欲しいという願いをこめて。

 それからオレはオレで出来るだけエリスの魔術を思い出せるようにこっそりと魔術の練習をし始めた。

 魔術の使い方は、エリスの日記に書いてあったものだ。

 エリスが「その日を迎えるまでに頑張って書く」と書いていただけあって魔術の使い方から種類まで細かく記録されていたから、それをこの身体が思い出すように何度も何度も繰り返して練習をする。

 何しろ、正直に言ってオレはまだこの女の子の身体というのに全然慣れていなかった。

 たまに「エリスモード」で居る時やあまり自分を意識していない時には大丈夫なのだけど、「自分は今女の子なのだ」と思い出してしまうともう駄目だった。

 恥ずかしくて照れくさくて、お風呂に入るのだって嫌がって一度メイド長にしこたま叱られて風呂に連行されてしまったくらいだ。

 最初は「具合が悪いの」で誤魔化せたことでも、何日も続くと貴族の令嬢としてはアウトだったらしい。

 中世貴族なんかはあまり風呂に入らず香水や何かで誤魔化していたらしいが、この世界では効かない道理だったんだろう。

 わかってる。

 わかってるけども、彼女の裸ですら見たことのなかったオレが自分の身体になったとはいえ美女の身体を直視するなんて当然出来ない事なわけで。

 お風呂でこれなのに、トイレなんてとんでもない!

 メイドたちが手伝ってくれる風呂でこれなのだから、トイレなんかはもうギリギリまで我慢した。

 我慢してどうにかなるものじゃないけれど、男と女の体の構造はぜんぜん違うからこう、なんというか……無理で。

 一度チビりかけてからはギリギリのギリギリになる前にトイレに行くようになったけれど、流石にトイレはまだ慣れない。

 風呂はまだいい。

 メイドたちが身体を洗ってくれるから、勿論それだって恥ずかしいけれどオレはただその間耐え忍んでいればいい。

 だがトイレは流石に手伝ってもらうわけにもいかないし、風呂だって旅に出ればメイドは居ないのだから自分でなんとかしなければいけない。

 まさかリリに洗ってもらうわけにもいかないし、このロングヘアだって綺麗に洗えるようにならないと。

 アレンシールがせこせこと準備をしてくれている裏でこんな事に苦戦しているのはなんとも恥ずかしい事だったが、それでもオレにはとんでもなく重要でどデカい、越えられない壁だった。

 一応毎日姿見を見てこの顔に慣れようとはしているんだ。

 これでも。

 日本には「美人は3日で飽きる」なんていう言葉があるが、実際に自分が美女になると全然慣れる事なんかない。

 この言葉を言いだしたやつは自分が美女になってみろってんだ。

 自分の部屋ではこうやって悶え転げる事が出来るけれど、旅に出てからはそうもいかないだろう。

 銀行のないこの世界では金は常に持ち歩かないといけないし、ここでの貨幣はファンタジーにありがちな金貨とか銀貨とかだ。

 大金貨、金貨、大銀貨、銀貨、大銅貨、銅貨に鉄貨……だったかな。

 大貨幣が角の丸い四角で、大のつかない貨幣は円形。

 貴族階級になると銀貨以下は使わず、大金貨でも払いきれない価格の取引にはその家でのみ使える代理払い的な意味での手形や金塊が使われているらしい。

 手形はその家の人間の印を持っている者がその場で価格を記入して印を捺し、商店側は後日その家まで手形を持っていき倉庫番に換金をしてもらうのだとか。

 それって行くときとか帰る時に危険なんじゃないかってドキドキしたけれど、そういう手形を使った買い物をするような貴族は必ず城下町に換金所を作っているのだそうだ。

 換金所は複数の家で共同で使っている事もあるらしく、もっと体勢が整えば銀行になるんじゃないかと思うと、惜しい。

 流石に国内各地に換金所を持っている家は王族やそれに類する家系くらいのもので、基本的にその家の本邸やタウンハウスのある場所でしかこの手形は使えないというので、この旅に手形を持っていっても大した意味はないだろう。

 かと言ってこの滅茶苦茶重い貨幣を持ち歩くのもそれはそれで大変なんだけど、どうにかならないものか……

「……ん?」

 卒業式を数日後に控えたある夜。

 その日も日記を見ながら魔術について学んでいたオレは、日記の最後の方にある「応用魔術」という項目の中で一つ興味深い文章を発見した。


『わたくしたち魔女は、別の空間にアイテムを保管する事が出来るの。魔術の大きさによってその空間のサイズは様々で、生きているものを入れておく事は出来ないけれど、服やお金なんかを入れておくのには丁度いいスペースよ』


「お……おおきな袋だ!」

 日本でプレイした事のあるゲームの名前が思わず出てきてしまうほどめちゃくちゃに感動しながら日記を天に掲げる。

 エリスが応用呪文の1つとして残してくれていたもののひとつ。

 それは、いわゆるマジックボックスだとかそういう感じの術だった。

 ロールプレイングゲームでキャラクターたちがどうやってこんな大量のアイテムを持ち歩いているんだ? 

 なんて思った事は勿論あるし、昨今のゲームではその問題を解決させるべくキャラクターたちの所持品の他に大量のアイテムを保管しておける別のものがあるのは当たり前になっている。

 エリスのこの術は、つまりはそういう術なのだ!

 これをオレがちゃんと使えるようになればお金をストックしておく場所の問題は解決されるし、なんなら宝石を沢山入れておいて後々換金できるものを持っておくのもいいかもしれない。

 途中で路銀を稼ぐ事まで考え始めていたけれど、これで万事解決だ!

 問題は、オレがこの術を使えるかどうか、で……

「なになに……まずは、今いる世界の他にもう一つの空間があることを意識する……」

 エリスの日記には、魔術というものに馴染みのないオレでも魔術が使えるようにするポイントが細かく書かれていた。

 当然、魔術だのマナだのとかとは無縁の世界で生きてきたオレにとってはそもそも魔術の発動条件だとかがわからない事は多かったもののそこはエリスの身体だ。

 身体が覚えている、という言葉通り読めば何となく理論は理解出来たし、本当になんとなくだけれど魔術の発動自体はきちんと出来た。

 あとはオレがこの魔力の応用を覚える事。

 リリとアレンシールの命は、ある意味ではオレの応用力にかかっていると言っても良かった。

「もう一つの空間、か……」

 ベッドの上で正座をして、うむむと意識を集中する。

 別の空間と言われても、世界は一つしかないのだし――と思いかけて、オレはハッと目を見開いた。

 そうだ、世界は一つじゃないってオレはこの数日で思い知ったばかりじゃないか。

 眠って起きてもオレはエリスのままだったし、頬を抓って痛みはあっても夢から覚める事はなかった。それでいてオレは「北条直ほくじょうなお」の記憶はきちんと残していて、あの経験は決して妄想や夢なんかじゃないと断言出来る。

 つまりはオレがエリスで居る場合、北条直ほくじょうなおにアイテムを預けておくような感覚……でいいんだろうか。

 オレはエリスで、エリスはオレ。

 そしてオレは北条直でもあって、エリスも北条直なのだ。

 入り混じった意識と経験を受け入れるように胸に手を当て、ちょっと柔らかいその感触に慌てながらもこの身体もまた自分のものなんだっていう事を、認める。

 いつまでも女である事に戸惑っている場合じゃない。

 オレはこれから、エリアスティールとして生きていくのだから、焦っている場合じゃないんだ。

「もうひとつの空間に……」

 しっかりとエリスの身体を意識しながら、内側に居るオレが手を伸ばしているようなイメージで何もない空間に手を差し伸べる。

 と、指先に何か触れたような気がして、けれどオレはドキッとした心臓を落ち着けるように努力しながらその「何か」をぎゅっと握ってみる。

 何もないけど、何かがある。

 これは、オレだけが触れられる「別の空間」。


「エリス、力を借りるぞ」


 指先に触れているそれに両手をかけてぐっと開くようにすると、空間が一瞬波打って「何もないけれど向こうがある場所」が開かれた。

 自分でも上手く言葉に出来ないけど、そこに手を突っ込むと突っ込んだ部分だけ見えなくなるので、きっと空間だとかそういうのの境目ってやつだろう。

 オレがこの感触を忘れてしまったら中に入った物はどうするんだろう、なんてちょっと思わないでもないが、卒業式までの数日の間にこの感覚に慣れておくしかない。

 卒業式の日にはここに金や僅かな衣料品なんかを押し込んで旅立つのだから、指先に何かが触れただけでびっくりなんてしないようにしないと。

 魔術名、アイテムボックスとでもしようか。

 それとも、指先の感触が柔らかいから魔法の袋とでも言おうか。

 とにかく、こいつにはこれからタップリ世話になるのだから意識しないでも物の出し入れが出来るようにならなくては。

 オレは、僅かに頬を引きつらせつつ何も見えない空間の境目をしばらく無意味に撫で続けた。


 天才魔術師とか、魔女の首魁なんていう言葉は……オレにはまだ、遠い世界の話っぽい。

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