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第18話 克服

 和室を出ると、慌ただしい音を立てて二階から四人の生徒達が下りてきた。アレクシスの肩に腕を預けたまま、深く項垂れている慧に澪央が声を掛けてくる。

「神谷君!」

 身を屈めて顔を覗き込む彼女に少しばかり目を向けたが、人の『負』が痛みになる少年は何も言わない。

「大丈夫!?」

「……まあ……」

 それだけ応えた慧は、苦痛の残る顔に困惑を混じらせる。そして、ほぼゼロ距離に居る二人にだけ聞こえるように密やかな声を出した。

「もう、いいのか? 一応まだ……」

 怯えたように、明日香が「あ……」と一歩退がる。天塚家の三人が廊下に出てきて、天使が急いで近寄って来ようとする。出会ってから先刻までとは違い、天真爛漫な子供っぽい印象が消えている。そこには、一人の真面目な高校生が立っていた。

「待って!」

 彼を素早く止めたのは澪央だった。

「天塚君、今はこっちに来ないで」

「何で? 僕達は友達だよね?」

 歩き掛けた姿勢のまま、天使は酷く傷付いたような表情を浮かべた。下がった目尻と、笑みの形になった唇が震えている。

「そうだけど……今は駄目なの……後で説明するから……。……っ」

 澪央は口元を押さえた。相手を拒否した結果としての天使の反応が、多くの男子と対峙した記憶を想起させたのかもしれない。

 そのまま暫く動かなかったが、口から手を離すと毅然と天使に向き合った。

「ごめんね。でも、これは拒絶じゃなくて、理由があるの」

「椎名……大丈夫なのか?」

 アレクシスから離れた慧が声を掛けると、彼女は力強く頷いた。

「うん。神谷君こそ……大丈夫?」

「痛みは引いた。今は引っ込んでるみたいだ。『負』は消えてないと思う……」

 慧は人の『負』を常に感じるわけではない。能力が収まったということか。

「天塚、悪い……後でちゃんと説明するよ」

「後でって……いつ?」

 寂しそうに、少し恨めしそうに天使は言う。

「今から……外に出て話すよ」

「良かった! じゃあすぐに出ようよ」

 浮かれた笑顔で率先して玄関へ歩いていく。子供っぽさが戻ってきている。澪央も雫と直斗に介抱されていたが、呼吸が落ち着いたようでゆっくりと歩き出す。後に続く前に、アレクシスは聖夜と真莉愛に向き直った。

「では、失礼致します」

「……………………」

 夫は厳めしい顔で口を開かなかったが、妻は困惑しているようでもあった。

「結局、あなた達は……」

 二人に礼をして背を向ける。それ以上の質問は投げられないまま、外に出た。


     ****


 天塚家の門を潜ると、慧は屋敷を囲む壁に背中を預けた。今は疲労感と、筋肉痛に似た痛みが残るのみだ。

「……ええと、俺には特殊な体質があって……」

 何らかの期待を抱いているらしい天使に『能力』について話す。人に伝える機会は度々あったが、言い難さや抵抗感は未だに消えない。

 ぽかんとしていた少年は、感動すらしている様子で「凄い……」と言った。そうして、星が煌めくような笑顔になる。

「そんなことが出来るなんて凄いよ! 嬉しいとか楽しいっていう感情は分からないのは勿体ないね……あ、でも……だったら……」

 瞬く間に真剣な顔になり、俯いて動かなくなると、勢いよく後方に飛び退った。慧に愕然とした表情を向ける。

「さっきのは、僕の……」

「…………」

 つい目を逸らし、口を噤む。真正面から肯定すべきだと分かってていても、そうだと言いづらく迷ってしまう。

「ごめん。無邪気に教えてなんて言えることじゃなかったね……」

「……確かに、あれは天塚の『負』を受けた結果だ。だけど、あの痛みを知ったからこそ……」

 和室で、天使は徐々に『負』を蓄積させていき、聖夜が『お前はもう不要だ』と言った瞬間に爆発した。その時に襲ってきた痛みは、かつて澪央や直斗から受けた痛みを遥かに超えたものだった。痛みの塊になったようで、だからこそ、本当の感情を知った彼の助けになりたいと思う。

「俺は知りたい。今の天塚が何を考えているのか。親御さんの本心を聞いて、これからどうしたいのか。すぐには答えは出ないかもしれない。でも、落ち着いたら……」

「……うん」

 ――天使は素直に頷いた。


 その後、聖夜に追い出された後に澪央達四人に何があり、どういう経緯で和室の会話を聴けるようになったのかという話や、紗希が馨に正体を看破されていた話、アレクシスが馨の正体に気付いて流れを組み立てていった自慢話等、一通りの情報共有をしてから天使は屋敷に帰っていった。

「じゃあね。また学校でね」

 重厚な門を押す彼は、やはりどことなく大人っぽく――影を含んでいるように見えた。


 最寄り駅まで戻り、友人達も散会していく中、慧はアレクシスに話し掛ける。

「……天塚が帰った後、両親は当然、家に居るんだよな」

「自宅だからな」

 自信満々に即答し、一拍遅れて何を言っているのかという顔をする。それから、やっと合点がいったようだ。

「……ああ、言い合いになっているか叱責されているか。何にしろ、気まずいのは間違いないだろう」

「出来れば様子を知りたいんだ。図書館に行かないか?」

 それに、平和的な別れ方をしなかった聖夜達のことも気になる――そう思っていたら、澪央も話に加わった。

「私も行きたい。なし崩しで帰ってきたのが気になってたの」


 移動中、澪央は天使を遠ざけようとした時のことを話した。悲痛な彼を前にして吐き気を覚えたが、自分で抑え込むことが出来たそうだ。

「その前に、玄関で……」

 聖夜の前で『彼の理想であろう優等生』を演じたが、精神的に苛まれることは無かったと言う。

「それで、治ったんじゃないかって話をして……誰かの目を気にしてじゃなくて、私の意志で行動すれば大丈夫だと思う。神谷君には、ちゃんと伝えておきたくて」

「そうか……」

 気の休まらない一日の中での唯一の嬉しい話に、心がほぐれていく。「……克服できて、良かった」

 慣れないながらに笑みを向けると、澪央は「……うん」と淡く微笑んだ。

 人目の無い場所からキオク図書館に入り、天塚夫妻の『本』が置いたままになっているというテーブルに近付く。変化に気付いて足を止めたのは、三人ほぼ同時だった。

「ねえ、あれって……」

 澪央の声に、慧は頷く。まさかという予感があった。既視である二冊の隣にある金色の『本』――心当たりは一人しかいない。

 アレクシスが前に出て、『本』を手に取る。無言のままに開き、中身に目を通している。

「誰のだ?」

「……天塚天使の本だな。しかし、これは……」

 引っ掛かりのある言い方をして、最初の方のページ数枚を何度も捲り直している。不安そうに、澪央が訊いた。

「どうしたの? 何か……?」

「……生まれてからの記録が無い」


 ――天塚天使の金色の『本』には、この日の和室での出来事以降について書かれていた。だが、彼はそこで過去についても思い返していて。

 彼が何を思ってあの場に居たのか、把握することが出来た。


     □■□■


『僕も、お父さんとお母さんの話を聞きたいなと思ったんだ』

 何故協力する気になったのかと澪央から質問された時、天使はそう答えた。それは――


 数日前、図書準備室だという名目で本棚の並ぶ異空間に招待され、両親の歴史が記されている人生伝を読ませてもらった。その直前まで、聖夜と真莉愛の話を聞きたいという考えは欠片も無かった。だが、二冊の人生伝を読了した時、天使はがっかりしていた。

 両親の『本』には、息子に関する記述が少なかった。外見についてや、周囲から耳に入ってくる評判や勉強、進学については書かれていても、日常についてや、家族としての感情は何もないに等しかった。

 確かに、幼少期にも親と遊んだ記憶は残っていない。覚えているのは、あの恐ろしい視線だけだった。それでも、厳しくされるのは愛されているからだと考えていた。

 しかし、人生伝で読み取れたのは馨の偽りの報告を受けて満足し、『自慢』に値すると思い込む親の姿だった。そこから感じたのは愛情ではなく、『ただの道具』への『評価』だった。

 天使にとって、両親は全てだった。両親の期待に応える為だけに生きていた。両親が大好きだから、そうでなければいけないと思っていた。個人の考えは必要無い。だが、それは愛されていることが前提であり――

 人生伝を読んだ時点で天使本人がそこまで具体的な考えに至っていたわけではない。何か違和感を覚えた程度だ。

『家の事情に踏み込まれても構わないということか』というアレクシスの言葉に対し、『そうだね。好きにすればいいと思うよ』と言った時は、誰が口を出してきても何も変わらないと思っていた。

 それが、両親の人生伝を開いたことに因って、所謂『面談』が天使自身の望みになった。

 期待していたような記述が、何も無かったから。

 誕生時の、『期待通り』という真莉愛の言葉にさえ、愛情を感じられなかったから。


 商談が始まってから、天使はずっと緊張と不安の中に居た。お父さんは、本当の僕を知っても受け入れてくれるだろうか――

 話が進めば進む程、雲行きが怪しくなってくる。慧の偽の成績を聞いた聖夜が、全てを否定し許さないという眼光を放った時、彼は悟った。

 ああ、これは駄目だ、と。

 それが、『お前はもう不要だ』と告げられた瞬間に爆発した。抱いた感情は、絶望や諦めではなく――

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