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第13話 対面

「ねえ、本当に私が来て良かったの?」

 天塚家の門の前で、紗希は顰め面になっていた。声には懸念が含まれている。

「担任だって分かるでしょう」

「会ったことが無いんだ。バレるわけがない。名前くらいは知られているかもしれないと、偽名も考案してやっただろう」

 自信を込めてアレクシスは言う。我ながら良い名だと満足していた。

上総かずさ ゆき……悪くはないけれど」

 素直に認めたくないのか不承不承という様子で、紗希は同じ名前を繰り返す。変に捻ったわけではなく、サキをユキにして適当に漢字を当てただけではあるが、今日限りの名であるのが勿体無いくらいだ。

「悪くないだろう」

「……もう、これ押していいか?」

 少々呆れたような顔をして、慧がインターホンに指を向けた。


 通されたのは広い和室だった。細かい彫刻が施され、よく磨かれた座卓の前に分厚い座布団が並べられている。床の間には高級であろう掛け軸や刀、値の想像がつかない壺が置かれ、重厚な空気を肌で感じる。

「お好きな席へどうぞ」

 恐らく家政婦だろう、迎えに出てきた女性が無感情に座卓を示す。

「ありがとうございます」

 紗希が先に礼を言うと、何かが引っ掛かったように女性の目尻の筋肉が動いた。

「あの、失礼ですが、どこかで……?」

 無表情が僅かに崩れて訝し気で、話し方にも人間らしい抑揚がある。

「いえ、気のせいじゃないですか?」

 分かりやすい程の作り笑顔を向けてから、紗希は右端の座布団に座った。アレクシスが真ん中に、慧が左端に座る。

「お茶を入れて参ります」

 エプロンの女性が一礼して去っていく。三人は安堵の息を吐いた。両側から矢継ぎ早に声が掛かる。

「なあ、危ないんじゃないのか?」

「だから言ったじゃない。私が来てもいいのかって」

「しかし、この話を持ってきたのは君であり、君は当事者だ」

「そうだけど……」

 納得はしていても心配が残るのか、紗希の表情は晴れない。

「話が可能であれば君も同行したいだろう。それに……」

 天塚家に入ってしまえば、正体がバレても構わない――そう言おうとしたところで、和室の障子戸が開いた。見目麗しい男女が、三人の前に静かに座る。

「天塚聖夜です。こちらが妻の真莉愛になります」

「天塚真莉愛です。よろしくお願いしますね」

 淡く笑う彼女は、人の目を惹きつける美しさを持っていた。額を全て出し、艶のあるウェーブの掛かった黒髪を腰の辺りまで伸ばしたスタイルで、睫毛が長く、芯がありそうな、それでいて包容力を感じる瞳をしている。明日香の母が大人しめのお嬢様なら、真莉愛は静かなる女王という感じだろうか。

「アレクシス・カミーユです。日本名は別にありますが、こちらは適当につけた名前ですのでアレクシスとお呼びください」

 名刺を渡す。実際に使っているもので、BAR&レストランの名前と肩書が記されている。昼営業を始めてからは、店名に正式に『レストラン』とつけていた。

「おや? この肩書は……」

 聖夜が胡乱な目を向けてくる。しかし、アレクシスは動じなかった。

「入職時にアルバイトだったので、今もそう名乗っています」

「ふむ、そうですか……」

 取引相手として成り立つのかと懐疑的な顔を返されたが気にしない。両隣から紗希と慧が心許なそうに、そして若干責めるようにこちらを見ている。二人にプライベートな話をしたことは無く、どういう“設定”なんだと思っているのだろう。

「二人も自己紹介するがいい」

 水を向けたところで、和室の戸が静かに開いた。廊下で正座をしていた女性が、前に置かれた湯呑みの載った盆を持って入ってくる。五人の前に茶を置くと、アレクシスが出した名刺を聖夜から受け取り、無言のまま部屋の隅に座った。女性を気にする素振りをしていた紗希が、天塚夫婦に向き直る。

「上総 雪です。アレクシスの妻です。適当な名字に嫁がされたとは知らなかったので腹が立ちましたけど、気に入ってはいるので聞かなかったことにいたします」

 堂に入った演技だった。名字を適当に決めたのは事実だったが、夫婦を演じるには少々失言だったところをフォローした。生徒の前で毎日授業をしているだけに、度胸があるのだろう。続けて、彼女は慧を紹介する。

「彼は私の従兄弟です」

「神谷慧、です。よろしく」

 慧は不愛想に頭を下げた。彼にはなるべく話さないように伝えてある。背後で、家政婦らしき女性が立ち上がって和室を出ていく。

「では、商談を始めましょうか。確か、私の所有する土地を購入したいということでしたな」

「はい。実は私共、新しく学校を建てようと考えていまして」

「学校ですか?」

「学校です」

「飲食店のアルバイトが、学校を、ですか?」

 視線を逸らさず、どこまでも真顔で聖夜はアレクシスを見詰めてくる。先程から、真莉愛は一言も話していない。ただ、微笑んでいる。

「学校を、です」


     ****


 家の中を歩き回る為の口実は、既に作っている。インターホンの後、澪央達は屋敷内を散策する振りをして話し合いをしている部屋に偶然入ってしまう、という計画を立てていた。

(でも、中に居続けるのは難しいわよね……)

 ごめんなさいと謝って退室するのが常識的な行動だろう。アレクシスは入ってしまえばどうにでもなると言っていたが――

「そろそろ行こうよ」

 天使が笑顔で皆を促す。会合をしている和室の場所は先程確認してある。その時に漏れ聞こえてきたのは聖夜の名乗りであり、合流するにはまだ早いだろうと一度引き返して部屋に戻ってきた。あれから数分が経ち、再出発する頃合いだろう。

「ねえ、天塚君」

 だが、澪央にはその前に訊いておきたいことがあった。

「松浦先生が三者面談の話をした時は必要無いからって断ったのに、アレクシスが家に来たいと言った時は直ぐに『いいよ』って了承したのはどうして?」

 三者面談も今回の作戦も本質は何も変わらない。彼は『僕は近付いてくる人の理由に拘らない』『好きにすればいい』と言っていたが、紗希の話は何故切り捨てたのか。澪央はそこに矛盾を感じていた。質問の理由が分からないのか、天使は小さく首を傾げた。

「『三者面談』はお父さんが必要無いって言うし、僕も何も相談することは無いし、そこは絶対なんだよね。今日のは皆が、僕達家族について知りたいと思ったんだよね。それを駄目という理由は無いよね」

「そう……」

 澪央は考え込んでしまった。答えだけを聞くと矛盾は無いように思える。けれど、頭のどこかが混乱する。

「それと……」

 天使の声のトーンが少し下がった。「それと?」と、澪央と明日香が同時に訊き返す。

「僕も、お父さんとお母さんの話を聞きたいなと思ったんだ」

 そう言う彼の笑顔は控え目で、寂しそうにすら見えた。

「ね、もう行くよ! 本題が始まっちゃう」

 ドアの前に立った雫がノブを握っている。

「うん、そうだね」

 直斗がソファから立ち上がり、皆も続いた。


 和室まで行き、今は何の話をしているのかと息を潜めて耳を澄ます。誰かが誰かに密着するような状態で廊下に固まっていると、前方から家政婦らしい女性が歩いてきた。あ、という顔をして立ち止まる。

 澪央達も同じく、あ、という顔になってしまう。屋敷を見学する許可を得たとはいえ、和室の様子を伺っているようにしか見えない現状は不自然だ。

「何をなさっているのですか?」

 女性がそう、問い掛けてきた。

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