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第11話 図書館の幽霊の独り言と、幻影の伝言

 ――少年の保護者に会うためだけに、道化を演じるか。それだけ『本』の秘密を知りたいのだろうが……

 話し合いが終わり、若者達がキオク図書館から帰っていく。幻影ですらない故に視認可能な姿を持たない“彼”は、遥か高みからアレクシス達を見下ろしていた。姿が無いのに彼等に近付かないのは、図書館の幽霊らしくしているだけ――つまり、気分である。

 嘗て“彼”が信じた男とその妻を思い出し、吐けない溜息を吐いた気分になる。二人が遺したモノ同士が出会い、元々無い『本』を探そうとしているのは偶然なのか。必然なのか。

 ――必然なのだろうな……

 元々無いと言っても、この図書館には確かに全人類の『本』が在る。天塚天使の『本』が無い理由は、本人を見れば大体想像が出来た。

 天使が彼自身のモノでは無いからだ。

 彼もある意味で図書館の幽霊であり、それに実体を持たせるには――

 ――対面で話したところで何も変わらないとは思うが……

 アレクシスと会話する天使を見下ろす。彼には幸せになってもらいたい、と“彼”は思った。


     ****


 外へのドアを開けたまま、アレクシスは天使を呼び止めた。片手に持っていた慧の『本』を開き、彼に見せる。

「これは読めるか?」

「ううん、読めないよ」

 軽く首を振る。無条件と思える程に浮かべられていた無邪気な笑顔は、失いこそしないが控え目なままだ。コートとマフラーを纏い、鞄を持った慧が苦々しい顔で近付いてくる。

「勝手に人の本を実験台にするな。今日知り合ったばかりだし、それは読めないだろ」

「天塚君には管理者の素質があるのかもしれないだろう」

 少々膨れ面を作りつつ言葉を返す。どうやら素質は無さそうで、未だに彼とアレクシス達の共通点は見つからないままだ。だが『管理者疑惑』については可能性は低いだろうと思っていたので落胆はない。意外そうに、天使が瞬きを繰り返す。

「あれ? どの『本』でも読めるんじゃないんだ」

「そういえば、そこまで丁寧には話してなかったな」

 慧が、近親者や特別に親しい間柄である相手の『本』しか読めないのだ、と簡単に説明する。「ふぅん」と相槌を打ち、天使は久しぶりに良い笑顔になった。

「神谷君の『本』は読んでみたいな。会ったばかりじゃ早いのかあ」

「暫くしても読めるかどうかは……」

 天使から顔を逸らし、慧は頬を掻いた。一瞬だけ澪央を見て、目を戻す。

「? どうかしたの?」

「いや、何でも……」

 歯切れ悪く慧が言うと、彼女は不思議そうにしつつも深く気にしなかったようで、足を止めずに出口に向かっていく。アレクシスは、その背中に声を掛けた。

「椎名君」

 屋上前階段での慧との会話が聞かれていたのなら、桂花の死がキオク図書館と関わっているかどうかは不明であり、過剰に気にすることではないと話す必要があるだろう。しかし――

 澪央は「何?」と振り返ったが、この場では言葉を濁すことにした。天使が居ない時の方が良いだろう。

「いや、何でもない」

 慧と同じような濁し方をすると、彼女は分かりやすく怪訝な顔になった。


 皆が帰り、一人になったアレクシスは積み上げた本を片付けようとテーブルに歩み寄った。ふと思い付いて、直斗の『本』を開いてみる。やはり、天使の心の声は消えている。他の『本』も同様だ。

「何故、消えたんだ? 本に別人の歴史が刻まれるのはあってはならないことだろう。強制的に削除されたか……」

 そもそも、皆の本に天使の意識が反映された理由が判らない。

「全てが不明なままだが、天塚君の本がキオク図書館に存在しないのは確実だな」

 アレクシスが天使の『本』の場所を捕捉出来ないだけなら、何処かで眠っている『本』に記述が増えていただろう。

「美咲夫婦の人生や考えも、誰かの本に記述され、消えていったのか? だったら……」

 一度積み上げた本に目を遣り、ベッドに向かうとそこに置かれた金木犀色の本を出現させる。

「消えてしまったものに、意味は無いが……」

 本を開いてぱらぱらと捲っていく。後半のページは避け、前半から中盤にかけての内容が高速で移り変わっていく。初めて『月と金木犀』を訪れた日から過去一週間程だけ丁寧に読んでみる。分かってはいたが、美咲夫婦の主観は一切見当たらない。

『アレクシス……』

 聞き憶えのある声がした。桂花の幻影が、近くの椅子に座っている。

「桂花……君は、美咲夫婦の事故の真相を知っているのか?」

 幻影はゆっくりと首を振った。

『私自身の本に他の人物の思考が記録されたことも、それが消えたこともありません』

 薄く目を閉じて答えた彼女は、瞼を開くと唇の下に人差し指をちょこんと当て、僅かに首を傾けた。

『ところで、依織に私の……栞の私の心残りは伝えてくれましたか?』

 心残り――『あなたと依織が気に病むことが無いように』と話していたが、あれは伝言を兼ねていたのか。

「どうやって伝えろというんだ」

 この図書館と本の存在の説明無しで、死者からのメッセージを語るのは難しい。夢枕に立たれたとでも言うしかない。不満を表情に出すと、幻影の桂花はにっこりと微笑んだ。

『それは自分で考えてください』

 自分がやらないからこそ出来る類の笑みだと思うと、更に渋い顔にならざるを得なかった。


  □■□■


 その夜、アレクシスは仕方なく依織が住むマンションを訪れた。普段全く会わないわけではないし、連絡も取っているが、訪問の理由を考えると気が進まない対面ではある。

 折良くなのか悪くなのか、ソファに座っていると澪央からメッセージが届く。

『帰り際に何か呼び止められたの、気になるんだけど』

 当然の問いだったが、今ここで手早く答えられることでもない。

『また慧がいる時に話そう。それに、直接話した方が良いだろう』

 返信を打ち込み終わった直後に、向かいに座る依織が「友達?」と訊いてくる。二人の前には、彼女が淹れたコーヒーのカップと沢山のクッキーが載った大皿が用意されている。

「ああ、そうだ」

 頬を膨らませたうさぎのスタンプが届くのを見ると、スマートフォンをブラックアウトさせてテーブルに置く。

「友達居たんだ」

「失礼な」

 憮然とすると、大人としてはまだまだ蕾の依織は、斜に構えた笑みを浮かべた。

「だって、アレクシスって店以外で人と関わってるイメージないから」

「そんなことはない。私にも友人くらいはいる」

 皆きっと、そう呼ばないのをネタにしているだけだろう。

 依織の部屋にあるゲーム機に目を向ける。直斗と雫が結ばれた後にアレクシスも『OYVF』を買ったが、人数が足りない時以外はあまりチームに入れて貰えなかったりする。チーム上限が四人だから大人として譲っているだけだが。

「……そっか。そんな人達が居るんだ」

 どこか静かな口調で、依織は上目遣いでこちらを見てくる。

「私達、前はお互いに何でも知ってたのにね。何か……ちょっと距離が出来ちゃったね」

「誘っても何も情報は出ないぞ。プライベートだからな」

 取っ手が猫の尻尾になっているマグカップでコーヒーを飲む。

(お互い、か)

 ふと、その言葉が引っ掛かった。依織の『本』は敢えて読んでいない。それ自体が彼女を何かに巻き込む気がしたからだ。

 だが、桂花が自死した理由が、図書館に入ったことと別にあるのなら――そろそろ『本』を開いてもいいのかもしれない。

「依織にも何か秘密があるのか?」

 慧達の顔を思い出す。そもそも、人を巻き込まないということに今更感がある。第一、『図書館』は『人を救う』ためにある場所だ。恐らく――だが。

「……どうかな」

 軽く頬杖をついて依織は笑う。クイズの出題者のようでもあったが、どこか寂しそうでもあった。

「それで、今日は何の用?」

「ああ、そうだな。実は……」

 どう言えばいいのか分からず、伝言内容に依織は怒るような気がして、続きを告げるのに抵抗を感じた。

「昨日、桂花が夢に現れたんだが」

「夢に?」

 結局、他の言い訳は思いつかなかった。伝言は聞く者にとっては十分じゅうぶんに重い内容だ。声に出すのに若干の躊躇いがあったが、怪訝そうにする依織に栞の心残りを伝える。

「私の死を気に病むことが無いように、と」

 これは、桂花が生きていた時の想いなのだから、彼女自身の伝言でもある。

「…………」

 ますます疑い深そうに片眉を上げた依織は、やがて、下を向いた。

「……そうなんだ。でも、それなら、直接私の夢に出てくればいいのに」

「夜は寝ているのか? タイミングが合わなかったんじゃないか」

 すると、依織はジト目を向けてきた。

「そうやって、すぐに茶化す」

 真ん中に赤いジャムが載ったクッキーを手に取り、それを見詰める。彼女が子供の頃から好きな菓子で、桂花が良く買ってきていたものだ。

「それに、そのくらいのこと、幾らでも思いつくよね」

 クッキーを半分齧る。昔はジャムの部分だけ最後に残していたが、今は普通の食べ方をしている。

「六年も経った後に、私がこんな恥ずかしい台詞を考えた上でわざわざ来たと思うのか?」

「だって、私は……」

 顔を上げ、何かを言いかけて口を閉じ、壁際の本棚を見遣ったまま黙り込む。

「…………」

 そこには、桂花の著作が並んでいた。

「……忘れられないし、ずっと、悲しいよ。それに、忘れるって、お母さんを好きじゃなくなったって、どうでも良いことだって思うようになったってことじゃないかな。だからって、私は……」

 依織はマグカップを両手で包む。コーヒーには桜フレーバーのシロップが入っていて、香りを求めるかのように淵に顔を近付ける。

「気に病まないで、楽しかった思い出だけ都合良く覚えてるなんてこと、できないよ」

「……まあ、そうだな」

 アレクシスも同様だからこそ、彼女の死の理由を知りたいと思っている。元より、遺された者の心から完全に影を消すのは無理な話だ。

「夢の中か……ホントに現れてくれるなら、信じるのに」

 二枚目のクッキーを摘んだ依織は、光の薄れた瞳をしてぽそりと呟いた。

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