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第8話 恋人と友人

「…………!」

 真っ白な世界に、ナオトは居た。本棚も本も無いキオク図書館ではない、果ても見えない場所に茫と立ち、何処からか届く声を聞いていた。声は、水で薄められたかのように広がっていき、何を言っているのかさえ捉えきれない。

 遥か上の方で誰かの声がする。ナオト自身の声で、何か流暢に喋っている。抜け出てしまった感情が残っていたら、きっと同じことを言っていたのだろう――そういう予感がする。

 ――ここで足を引っ張ったところでどうなるって言うんです?

 という問いが、自らの発言として体に沁み込んでくる。しかし、ナオトの胸の中は真っ白で、何も考えられない。足を引っ張るって、どういう意味だっけ――

「友達だ!」

 叫ぶような慧の声が、水の壁を貫いて耳に届く。ナオトは頭上を仰いだ。両の瞳を覆っていた無感情の膜に光が灯った。白い世界が、これまでより白く――光って見えた。

 そうだ。僕と慧君は友達だ。でも、高校を卒業したら――別々の大学に進学したら――

 白い世界がまた、濁り出す。

 ――何処に居たって……進学したって……誰かが……

 今考えたこととほぼ同じ言葉が、体内に入り込んでくる。未来の僕は一人ぼっちなんだ、と思う。

「直斗さん!」

 雫の声が世界を貫く。その途端、周囲が光に包まれた。体が引っ張られ、鏡の前に立った時みたいに、目の前に自分の輪郭を持つ誰かが居た。伸ばした手が誰かの体に吸収され――

 唇に、何かが押し付けられている。柔らかい、少し濡れたような感触と花のような香りに目を開く。雫の顔が、今にも接触しそうな位置にある。

「……!?」

 一気に全ての感覚が元に戻った。

「わっ、わあっ!」

 慌てて体を離すと、雫は床にぺたんと座り、びっくりした顔でぱちぱちと二回瞬きした。そして、雪解けを思わせる微笑みを浮かべた。

「元に戻った……?」

「元に……? あ、あれ、僕は、何を……」

「右手」

 言われるままに視線を落とすと、鋏を指に引っ掛けたまま右手を床に突いていた。さっき、雫から離れる時に左手で彼女の肩を押して良かったというのと、なんで鋏なんて持っているのかという考えが同時に浮かぶ。誰かの『本』のページを切り取ろうとしたのかなと思った時、曖昧模糊としていた記憶が浮上し、明確に定着していくのを感じた。

「わ……わあっ!」

 少し前と殆ど同じ声を出して慌てて鋏を放り投げる。ほぼ同時に、雫が感極まった様子で抱き着いてきた。

「……良かった。もう鋏は要らないんだね」

「う、うん……」

 直斗は、自分を取り囲む友人達を見回した。慧と目が合い、胸から手を離して真っ直ぐに立っている彼を見詰める。二人の間に流れる空気を察したのか、雫はそっと体を離した。直斗の隣に座り込む。

「ごめんね、慧君……大丈夫?」

「ああ。もう『痛み』は消えた。ということは、直斗も落ち着いたのかとは思うけど……」

「うん。落ち着いた、というか、また自分で考えられるようになったよ」

 そう“なっている”時には自覚出来ないが、我に返ると、あの屋上の時と――特に、雫に振られた時と酷似した感覚だったと分かる。

「前はこんなこと無かったんだけど、何かショックを受けた時に何もかもから逃げる癖が出来たのかもしれない。考えることからも、生きることからも……」

 あの状態になることを、脳が覚えてしまったような感じがあると話すと、アレクシスが鹿爪らしい顔で言った。

「だったら、その癖をコントロールしていく必要があるな。簡単なのは絶望しないことだが」

「は、はい。そうですね……ご迷惑をお掛けして……」

 流石に申し訳なくて、直斗は肩を縮こませた。

「天塚君に話を聞くつもりだったのに……」

「確かにそうだが、ここに集まっている君達は私の友人であり、多感な少年少女だ。仮に口数が少なかろうと全員が主役と考え、何かあれば対処する。それはこの場に居る友人達の総意だろう」

 直斗を囲む三人と隣の雫が、微妙な顔をしながらも頷く。首を傾げたくなる二言があったからだろう。さりげなく友人と言っているし。

(口数が少ないって……)

 それは、多くの友人達と一緒に居れば、誰かが喋ってる時は黙るわけだし――と考えて、気が付いた。

(僕には、友達がたくさん居るんだ……)

 自分は、何も悲観しなくて良いのだ。友人が増えたことを、彼等とゆっくりと心を通わせて来たことを嬉しく思っていたのに、その暖かさを、何故、一瞬にして忘れてしまったのだろう。天使を見ると、純粋に、何を話しているのだろうという顔をしている。直斗は彼に、得体の知れない恐怖を感じて目を反らした。

 気を取り直して、アレクシスに言葉を返す。

「そうだね。僕達六人は友達だもんね。ありがとう」

 微笑して礼を述べると、管理者はフッと笑って「当然だ」と言った。先程の『君達は私の友人』へのアンサーを示したのだが、伝わっただろうか。

 直斗の中で彼は保護者のような存在で――例えれば、耳が失くなったネコ型ロボットのようで、友達とは何かカテゴリーが違う気がしていたのだ。しかし、良く考えてみればあの作品の子供達もネコ型ロボットに友情を感じていたし、友達と考えても良いのかもしれない。

 信用していないわけでは、ないのだから。

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