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第6話 絶望の再来

「あれ、ここって……」

 図書準備室の出入口を通った天使が、ドアを閉めたアレクシスの前で足を止めた。振り向いた彼は困ったように首を傾げる。

「何だか広いですね。図書室よりも広いです。だから見学したかったんですか?」

「広いという次元では無いと思うが……」

 本棚はあれど、壁も天井も無さそうな場所に連れて来られてのこの発言に呆気に取られ、つい素で突っ込んでしまう。いくら何でも天然過ぎはしないだろうか。

「まあ、そういうことにしておこう」

 ペースを崩された感覚が消えないまま、アレクシスはテーブルに着く。慧と澪央との三人だった時から椅子の数は随分と増え、今日は人数が多いこともあり、短辺部分を選ぶ。テーブルの上には、事前に七冊の『本』を置いておいた。生徒達の分と、天使の両親の『本』だ。

「君達も座ったらどうだ? 天塚君はそこに座るといい」

「はい。それじゃあ」

 既に腰を下ろしていた慧と澪央、直斗を挟む形で、天使が座る。『本』の背表紙が見えない場所になるように、先に席を埋めてもらっていた。雫と明日香も空いている椅子に収まり、これで予定していた全員がキオク図書館に揃った。

「ああ、そうだ」

 適当に言葉を継ぎながら、眼前にある本人の顔を思い浮かべて『本』を出そうと試みる。これまでは天塚天使という四文字だけの存在だったが、容姿を知った今ならば出るかもしれない。

(……出ないな)

 他の『本』の出現条件に容姿が無いのだから期待はしていなかったが、落胆はする。頭の中に靄がかかり、答えが見えない。

「この部屋の存在は誰にも秘密だ。誰かに話したら望月君に食われると覚えておいてくれ」

 会話の最中に何らかの変化が『本』に起きるかもしれない、と天使をキオク図書館に引き込んだが、どうも、彼には何かを隠すという性質が欠けているような気がする。

 紗希の『本』からB組の生徒の名前を得て、彼女達の『本』を片端から確認したが、天使との交流や会話を読み、紗希の『機械と話しているようだ』という感覚が解った。釘を刺しておく必要はあるだろう。

 ふと気付く。機械のような思考だからこそ、この非常識な空間に入っても『図書準備室は広い』で済ませられたのだろうかと。

 天使は笑顔で「分かりました」と返してくる。

「ちょっと! まだそれ引っ張る!?」

 雫が抗議してくる。そして、彼女は改めて天使に自己紹介した。

「まだ名乗ってなかったよね。私は望月雫。二年E組。とってもお淑やかで、人を取って食べたりはしないから」

「お淑やかじゃなくても人は食べないと思うけど。そもそも、雫さんは大人しくしていられるタイプじゃ……」

 遠慮がちに直斗が発言する。「何か言った?」と良い笑顔を浮かべる雫に「う、ううん」と大きく首を振り、多少腰が引けたまま天使に向き直る。アレクシスは、さり気なく直斗の『本』を開いた。

「雫さんと伊瀬さんからは話がしたいとだけ聞いてると思うんだけど、僕や皆も天塚君と話したくて……大勢だと迷惑になると思って……代表して、B組に行ってもらって」

「僕に興味を持ってくれたんだ。嬉しいな。黒崎君だよね?」

「え、……え? 何で僕のこと……は、話したことないよね? それに……」

 直斗の本に、『僕は殆ど教室から出ないのに……』と書かれていく。友人が出来たと言っても、昼休みと移動教室以外は廊下には出ていないし、天使と関わったこともない。それなのに、どうして知っているのだろう――と。

「黒崎君は、一時期に噂になってたからね。それに、僕とは逆の意味で目立つから。二年生には結構知られてると思うよ」

「え、そ、そんな……」

『僕は酷く動揺した。噂が広がっていることは雫さんに言われて知っていたけれど、告白した女子全員に謝ったことで全て終わったのだと思っていた。けれど、一度覚えられた名前と顔が忘れられることは無い。当然のことなのに、そんな発想すらしたことが無かった。何もかもを過去の出来事にして、能天気に暮らしていた。

 それに、“逆の意味で目立つから”というのは――

 今までの学生生活を――小学校、中学校までの様々な記憶を思い出す。教室に居る顔ぶれと年齢が変わるだけで、僕はずっと自席に座っているだけだったけれど。

 誰とも話さないからこそ、他とは違う行動を取っているからこそ、僕は教室の中で異質で、“逆の意味で”目立っていた。高校に入ってから少し前までも同じだ。

 一つの記憶が甦ると共に、そこに紐づいた違う記憶も甦る。約二年前、入学したばかりの時に同じクラスの男子に言われた。

“黒崎君って、前の学校で変人だったんだって? 何したの?”

 衝撃は大きかった。きっと大人になっても覚えているだろう言葉だ。僕は、何もしてないよ、としか答えられなかった。何度も言い淀んだ所為か、その男子はもう声を掛けてこなくなった。

 この時、僕は思ったんだ。

 “逆に目立つ”だけで、何処へ行っても、僕の悪い噂は広まっていく。広める誰かがいる。リセットして生きていくことは出来ないんだ……

 どうして忘れていたんだろう。そう。それは、これからも同じだ。僕は高校でも逆に目立ち、別の悪い噂まで広まってしまっている――――――――――――――――』

 直斗の『本』に異変が起き、アレクシスは思わず席を立った。図書館の床はどのような素材なのか、摩擦音は一切しない。

「な、直斗……」

 ほぼ同時に、慧も椅子から腰を上げた。心臓発作が起きたかのように胸を押さえ、前屈みになって不自然な足取りで直斗に近付く。

「……!」

 アレクシスは、急いで慧の『本』を開く。『負』の痛みが彼を襲っている。誰から発せられたものかは分からない。だが、直斗の『負』だと判断したのは、天使から一度も『負』を感じていなかったのと――

 痛みの強さが、あの屋上での時と同等もしくはそれ以上だったからであり、直斗の表情が――

 慧の『本』から目を上げ、直斗の顔を見る。虚ろで、魂が抜けてしまったようだ。もう一度、開いたままだった彼の『本』を見直す。無を表す『――』がひたすらに増えていく中で、それに割り込む形で新たな言葉が綴られる。

『黒崎君は、どうしたんだろう』

「……!?」

 本人の『本』の中で自らの名の二人称が書かれることは通常有り得ない。どういうことかと思うと同時に、この思考の持ち主が誰かというのは察しがついた。

「ねえ、黒崎君はどうしたの? そこの彼も……」

 天使は、苦痛に顔を歪める慧を不思議そうに見て、能天気そうに言う。皆が席を立つ中、一人だけ座ったまま小さく首を傾げる。緊張感が高まる中で、声を絞り出したのは明日香だった。

「私にもよく分からないけど……想像はつくよ」

「分かるんだ。すごいね」

 目を丸くする天使に、直斗に告白された経験を持つ少女は、少しの迷いを現してから小声で言った。

「黒崎君は、今、大きな負の感情に動かされている。天塚君の言葉を聞いて……」

「僕の言葉?」

 きょとんとして、天使はぱちぱちと目を瞬かせた。本当に、一切の心当たりが無さそうに。何か追記されたかと直斗の『本』を見下ろすが、『黒崎君は、どうしたんだろう』という一文以降は『――』が増えていくばかりだ。

(まさか……)

 思いつきで、明日香の『本』を開いてみる。『僕、何か変なこと言ったかな? 名前を知ってる理由を説明しただけなんだけど』という、明らかに彼女の思考ではないものが記録されていた。

(『本』が無い代わりに、他人の『本』に入り込んでいるのか……?)

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