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第5話 作戦開始

 昼休みが終わって職員室に行くと、紗希は保護者連絡先である天塚聖夜の会社に連絡をした。案の定、電話には女性が出た。名乗った直後に通話を切られるかもと思ったが、電話番らしい彼女は丁寧に用件を確認してきた。

「三者面談は必要無いとお伝えした筈ですが。実際に必要であろうと無かろうと、社長がそう決めたなら面談は実現しないのです」

「あ、今日はその話ではなく……」

 紗希は彼女の話し方に違和感を覚えた。『実際に必要であろうと』――これは、必要性を認めているから出た言葉ではないだろうか。

「その前にお名前をお伺いしたいのですが、真莉愛さん……お母様ですか?」

「私は真莉愛さんではありません。社長付きの秘書をしております」

 秘書――アレクシスが、彼女が高校と天塚夫妻との橋渡し役と言っていた。天使の成績を偽って報告しているのも彼女だということだ。

「秘書さんは天使君の成績は知っていますか?」

「勿論です。大変優秀であると社長にもお伝えしております」

「あの、私は天使君の担任なんですが……」

「え? ……あ」

 感情を排した事務的な受け答えをしていた秘書の声が若干揺らぐ。そうして、彼女は話題を変えた。

「それで、ご用件は何でしょう?」

「はい。三者面談ではなく家庭訪問ならどうでしょうか?」

 アレクシスの尋問――もとい、面談作戦の一つは至極まともで、家庭訪問を提案するということだった。紗希は栞高校に雇われている教師であり、本人達の了承なく突撃すれば、学校自体が責任を問われるかもしれない。もし家庭訪問が受け入れられるなら、正攻法で話が出来る。

「私の方から伺いますし、予定も合わせます」

「いえ、家庭訪問も必要ありません。お断りいたします」

 機械的な答えに、紗希は多少の苛立ちを感じた。彼女は、心からそう思っているのだろうか。

「あなたは、天使君の本当の成績を知った上でそう仰られるんですね? このままだと天使君は……」

「私は社長の意志をお伝えするだけです」

 言い募る紗希を遮るように言葉を被せ、秘書は一方的に通話を切った。

「仕方ないわね……」

 十中八九断られるとは思っていた。その時は――と、スマートフォンを取り出し、化学準備室に集まるメンバーのグループチャットを開く。

『ダメだったわ。バトンタッチね』

 雫と明日香から、それぞれ違う『了解』のスタンプが押される。

(……今は授業中よね)

 思ったままを送信すると、慌てた白くまのスタンプと、ごめんなさいという猫のスタンプが返ってきて、つい笑ってしまった。


 放課後になり、帰り支度をする天使の周りに生徒達が集まっていく。帰宅部が遊びに誘っていたり、部活に入っていても教室を出る前に一声掛けていったりする。

 そんな生徒達を横目で見ながら、紗希は教室の出口に向かう。すれ違いに、明日香と雫が入っていく。よろしくねという意味を込めてアイコンタクトをすると、二人は『任せて』というようにウインクをした。


     ****


 天使を囲む生徒達は、誰もが明るい雰囲気を持っていた。それも当然で、控え目な性格だと用事が無い限りは自分から話し掛けに行ったりはしないものだ。明日香は、楽しそうに笑っている彼等彼女等の中に、申し訳なさそうに割って入った。

「……天塚君、ちょっといい?」

「うん。いいよ」

 周囲の生徒に一瞬さえも目を向けず、天使は笑顔で明日香に言った。成績が低いとは知らなかったが、彼は男子版の澪央のようで、学内では有名な存在だった。目立つから、顔を見たこともある。けれど――

 こんなに空虚な瞳をしていたのか。

 その心地の悪い笑顔に飲み込まれ、明日香は黙ってしまう。絶句した彼女を一瞬見て、雫が周囲に視線を彷徨わせてから口を開く。

「あのね、私達、天塚君と話したくて。図書室まで来てほしいの」

「分かった。図書室だね」

 天使は変わらぬ笑顔で立ち上がる。教室を出ようとする三人の後を沢山の目が追ってくる。皆、どこか気の毒そうな顔をしていた。

「今度は何日くらい保つかな……」

「一週間続けば良い方じゃない?」

 囁き合う声が耳に届く。違うから! と思うが、そう考えられ易いように女子二人で来たのだから仕方ない。

「あのね、そういうんじゃないから」

「? 何が?」

 天使にも告白待ちだと思われ続けるのは不本意で断りを入れたら、彼は裏の無い笑顔を向けてくる。本当に心当たりが無さそうだ。

「ううん、何でもない」

 図書室に行くまでの間、明日香は天使の交際関係の噂について思い出す。彼は、容姿と人気度から度々告白を受けてOKするが、数日で別れてしまうという噂だった。それも、相手に振られるという形で――

 だからこそ、自分こそは長く付き合ってみせる、と天使に“挑む”女子が後を絶たないという。

 目的地に到着し、引き戸を開ける。カウンターの図書委員の少年に、雫が声を掛けた。

「ごめんね。ちょっと準備室を使うけど、私達が出るまで入ってこないでね。必要な作業があったらメモしといて。後でやるから」

「は、はい。あの……あの人は……」

 準備室の前にはアレクシスが立っている。雫は苦笑いを浮かべた。

「あ、あの人はね、すごい偉い人で、うちの学校の図書室を見に来たの」

「そ、そうなんですか……」

 男子生徒はついていけていないようだ。雫が適当なことを言うのを感心して見ていると、アレクシスが口を挟んでくる。

「入ったら取って食うことになるがそれで良いか」

「え、え?」

「アレクシス!」

 慌てた雫が烈火の如くに怒る。威厳も何も無い台詞で、今までの遣り取りが出任せだとバレてしまう。案の定、男子生徒は戸惑っている。

「望月君が君を取って食うと言っている」

 昼と同様に私服姿のアレクシスが、準備室のドアを開けた。明日香も急いでそれに続く。天使は笑顔でついてきた。

「私が取って食うから入ってこないでね」

 雫もそう言ってから、最後に『図書準備室』に入室した。

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