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第3話 笑顔の少年

「母親の方も、同じように育って、同じような考えを持っている……?」

 真莉愛の本の内容を話すと、紗希は悩まし気な顔でそのまま黙り込んでしまった。

「そんなことってあるの? 親の方針が同じだとしても、一緒に居たのは登校している間だけなんでしょ? 元々の性格だってあるだろうし……」

 澪央が、先程アレクシスが考えたのとほぼ同じことを言う。

「……無いとは言えないわね。二人の親の基本方針が同じで、子供の時から同じ扱いを受け、同じ経験をしている。しかもそれは、二人にとっては成功体験なの。その上、親と周囲によって自尊心が高くなっている」

 そこまで話すと、紗希は暫く黙考してから顔を上げた。

「一度、天使君と話してみるわ。『本』が出ないのなら、話すしかないものね」

 今の成績で大学に受かるとはさすがに考えてないだろうし、と彼女は続ける。

「そうか。他に知りたいことはあるか?」

「……今のところは」

 紗希は首を振り、澪央に声を掛ける。

「椎名さん、そろそろ戻りましょう」

「……あ、いえ、私はちょっと……」

 少女の目が、困ったように泳ぐ。数秒間不思議そうにしていた紗希だったが、やがて「ああ」と得心したようだった。明日香の面談を『読んで』いた時の話を思い出したのだろう。

「そうだったわね。じゃあ、私は先に帰るわ」

 アレクシスにドアを開けるように頼み、紗希は栞高校の屋上へと戻っていった。勝手に閉まるドアに背を向けて澪央に近付くと、少女は『本』を一冊ずつ持って、重ねたり、ひっくり返したり、両手を天秤の皿のようにして重さを比べたりと色々していた。

「本当に殆ど同じ……何だか双子みたいね。心の双子っていうのかな……」

「実質双子に近いだろう。高い家柄の教育方針が全てそうとは限らないが、この両家は学歴を重んじ、聖夜と真莉愛をほぼ同じ環境で育てたのだから」

「そんなことして、性格が歪まないわけがない……」

 優秀であることを己に課し続けてきた少女には思うところがあるのか、二冊の『本』を机に置いた少女は唇を噛み締めている。アレクシスは椎名家の両親の『本』を順番に出して机に置いた。天塚家の二人よりも随分と厚みがある。

「落ち着いてから読むといい」

 返事を待たずにクッションソファーに座り、少し考えてから伊瀬隆志と桃花の本を出して開いてみる。天塚家についても引っ掛かることは幾つかあるが、一通り読んだ結果として、これ以上『本』から得られる情報は無いように思える。それより、明日香が桃花の本から何を読み取ったのか――そして、何故隆志の本を読もうとしなかったのかが気になった。

 澪央の方を見ると、彼女は椅子を引いて座り、自らの両親の本に指を掛けているところだった。


     ****


 キオク図書館で聖夜と真莉愛の『本』の内容を知った紗希は、後日に天使と話す時間を設けた。美しい容姿を持ち、人当たりも良い彼は常に生徒に囲まれている。一人になるタイミングは殆ど無いが、彼がクラス委員であることを活用して、化学の授業後に片付けを手伝ってほしいと呼び止めた。その際に、話をしたいから放課後に化学準備室に来て欲しいと伝え、何とか二人きりで話すことに成功した。

「天使君、一緒に帰らない? 新作のフラペチーノ飲みに行こうよ」

「ごめんね。今日は先生に呼ばれてるんだ。また今度ね」

 帰りのホームルームが終わり、廊下に出るとそんな会話が聞こえてきた。放課後になると毎日誰かに誘われている為、何も特別なやりとりではない。

「えっ、先生……抜け駆け!?」

 だが、そんな声がして、隣のクラスの前で足を止めて耳を澄ましてしまう。

「そうだとしても、大丈夫だよ。先生が僕を好きでも、僕は皆の天使てんしだから」

「だよね。天使のえる君は皆の天使てんし様だもんね」

「うん。だから、僕は誰かの天使てんし様にはならないよ」

 天使がにっこりとした微笑みが想像出来る。彼を中心にしている時だけ、生徒達は耽美な世界の住人になる。カフェに誘った女子には別に好きな男子がいた筈だ。彼女にとって、天使はクラスの『キャラクター』で、天使と話したり出掛けたりするのは『人形遊び』と大差無い。アクリルスタンドと一緒に自撮りをするような――

 天使の周りには常に白薔薇が咲いている。その白薔薇が生徒達を狂わせる。それを紗希は、彼が美しすぎるからだと思っていた。けれど、それだけでは無いのかもしれない。

 二人の会話にざらりとした気味の悪さを感じた紗希は、先行して化学準備室に行くことにした。


 ノックがされ、「どうぞ」と答えると天使が引き戸を開けて入ってくる。

「その辺の椅子に座って」

 制服の上に白いダッフルコートを着た少年は笑顔で「はい」と答え、近くの椅子に座った。

「天塚君、進路希望調査に三者面談は必要ないって書いてたでしょ? でも、私は必要だと思うのよ」

 キオク図書館では気を抜いて天使君と呼んでいたが、本人の前では教師として名字で呼ぶ。「はい」「はい」と相槌を打っていた天使は、最後だけ「そうなんですか」と言った。

「でも、必要ないです。父も母も必要ないって言っています」

「ご両親がどうとかじゃなくて……」

 これでは埒が明かない。紗希は首を軽く振って溜息を吐いた。

「天塚君は、今の自分の成績で志望大学に入れると考えている?」

「入れないと思います」

 笑顔で答える天使に、不安や心配が隠れているようには見えない。しかし、成績が足りない自覚はあるのかと若干安心した。

「じゃあ、志望校を変える必要があるんじゃない? 親御さんがあの大学を望んでいるのなら、ちゃんと相談して……」

「必要ないです。僕はあの大学に行くと決まっています。変更は有りません」

「でも、今のままじゃ入れないというのは理解しているのよね?」

 天使は変わらぬ笑顔で「はい」と答える。

「ええと……そこに矛盾があるのは分かるわよね? 今の成績じゃ、合格はかなり厳しいの」

「でも、あの大学に行くのは決定事項ですから」

 どうにも話が噛み合わない。まるで、『何も考えていない』ような――天使の両親のように『決定事項』を実現可能な力があるならここまでの違和は感じなかっただろう。

「それは、成績が悪くても入学出来るということ? お父さんが何とかしてくれる、とか……?」

 裏口入学という四文字が脳裏を掠めたが、聖夜の『本』の内容を考えると、親側もそれは想定していないだろう。彼等の中で合格は当然のことなのだ。

「やり方は知りません。今までは僕の力で合格してきましたから」

 相変わらず、天使はにこにこと微笑んでいる。まるで他人事という態度だ。

「受験までに学力を上げればいいんですよね? 上がりますよ。試験には受かると決まっているんですから」

 まともなことを話している筈なのだが、最後の言葉がその全てを台無しにしている。

「勉強しないと学力は上がらないのよ?」

「勿論、勉強はしています。家庭教師もついています。問題ありません」

「……そう」

 天使の笑顔を前にしながら、紗希は彼について考える。この少年は、現状を正しく把握している。このままでは希望大学に受からないとも分かっている。その為に勉強もしている。

 両親の『決定』は必ず実現すると思い込んでいる以外は、年相応の高校生と変わらないようにも思える。

 それなのに、何だろうか。

 この――機械と話しているような感覚は。

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