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第2話 『予定通り』

 嘗て――アレクシスが自分の『本』を出そうとした時と同じだった。名前を思い浮かべても、何の啓示も訪れない。完全なる『無』だ。

(どういうことだ……?)

 アレクシスはかなりの衝撃を受けていた。紗希が読みたいと希望した『本』の持ち主の名前にも驚きがあったが、その比ではない。

 人生伝が出ないという特殊状況は過去三件あり、自身と美咲夫婦だ。何故、出現しないのか――自分の場合は、ただの人では無いのではないかという疑惑から、『本』が無い可能性を考えざるを得なかった。美咲夫婦は判らないが、恐らく普通の人間ではないか、交通事故に曰くがあるからであり――

 では、天塚天使も何か特殊な存在なのか。いや――

「『本』が出ない? そんなことあるの?」

 紗希が語尾を跳ね上げさせ、詰問気味に訊いてくる。

「一応確認するが、氏名の漢字は合っているのか? 天使天使てんしてんしでアマツカノエルということはないか?」

「真顔で冗談言わないでくれる?」

「冗談ではない」

 天使天使でも読みは同じだ。漢字が違えば『本』も出ない。笑みを見せないアレクシスを前に、紗希は溜息を吐いた。

「そっちの方が面白いけど、残念ながら名字のツカはつちへんの塚よ。……そうだ、両親の『本』を出してみればいいんじゃない?」

「……ああ、そうか」

「面白いとか言っていいんですか? 先生……」

 そこで、『本』が出ないと言ってからずっと眉間に皺を寄せてこちらを見ていた澪央が、控え目に指摘した。

「誰も聞いてないんだからいいのよ」

 悪びれることなく紗希は答える。そんな会話の間に、アレクシスは天塚聖夜と真莉愛の二冊の『本』を出して机に置く。

「……出たな」

「……出たわね。天使君の『本』は本当に出ないの?」

「出ないな。考えられる可能性は、『本』が存在しないか、隠されているか……出現に何か条件があるか……」

「そんな、ゲームじゃないんだから」

 二人が『本』を見下ろして話している後ろで、何かを考え込む様子を見せていた澪央が普段よりも声のトーンを落として言った。

「アレクシス、今迄にも場所が分からなかった『本』はあるの?」

「あ、ああ……無いこともないが……」

 あるとも無いとも言い難く曖昧に答えると、彼女は「……そう」と小さく呟いた。

「天塚君は目立つから私も知ってるし、それこそ幽霊ということもないだろうし……」

「とりあえず両親の本を読んでみない? 何か分かるかもしれないわ」

 天使の『本』が出ない理由に答えを出そうとしているのか、澪央が半ばひとりごちる隣で紗希が言う。

「そうだな」

 ひとまず、ビリジアン色の本を取る。隣の本の色は鮮やかな赤で、二冊が並ぶとクリスマスが想起される。息子の『本』が出なかったことで、アレクシスも個人的に興味を持ち始めていた。

「……薄いな」

 ビリジアン――聖夜の本は、今迄に読んだ本の中でも薄い部類に入った。十代で完結本となった晴希と同程度か、それ以下の厚みしかない。

「薄いわね」

 紗希も真莉愛の本を持って矯めつ眇めつしている。澪央も彼女の近くに立ち、「薄いですね……」と若干驚き気味だ。

「幽霊じゃないとしたら、存命で四十代か五十代だと思いますけど……こんなに薄い人って、他に居るの?」

「知る限りでは初めてだが……」

 数え切れない程の『アレクシス』の本を読んだが、ここまで薄い本には触れたことがない。

「……開けば判るか」

 聖夜の『本』を開く。文体は簡潔で、抒情さは殆ど無い。だが、内容は自信に満ちていた。


 ――天塚聖夜はクリスマスイブに生まれた。名前はそこから付けられたが、理由はそれだけではなかった。誰とも被らない唯一の名前を持つというのが、天塚家の伝統だった。この頃は無難な名の子供が多かったが、聖夜は優秀さから彼等を従え、からかわれたり孤立することも無かった。凡庸ではない自分の名前に誇りを持っていた。

 真莉愛とは生まれる前から許嫁だった。所謂、仲の良い親同士で、将来子供が生まれたら結婚させようというものだ。両家共に地主で大企業の経営もしていて、互いの繋がりを強固にするという意図もあった。だが、聖夜に不満は無かった。物心ついた時には――恐らくつく前から――二人で一緒に居たし、珍しく対等に話せる相手だったというのもある。何より、親達が決めたことには従うものだと思っていた。

 聖夜はどの学校でも常に周囲から憧れられる存在であり、優秀であり、それが誇りであった。人生で悩んだことは一度たりとて無く、『予定通り』に結婚し、『予定通り』に子供を作った。彼も真莉愛も日本人離れした美貌の持ち主であり、子供も『予定通り』に美しかった。見事に十二月下旬に誕生した息子には『予定通り』に唯一無二の名前、天使とつけた。

 全てが『予定通り』であり、天使も『予定通り』に育った。有名私立幼稚園に入り、その容姿から周囲から持て囃され、常に中心人物である天使は自慢だった。中学まではエスカレータ―式で進み、付属高校よりも更に偏差値の高い進学校、栞高校への進学を指示し、『予定通り』に『首席で』入学した。卒業後は都内の最高学府に首席で入ることになっている。

 天使は両親の決定通りに将来を歩むことになっている。息子にとっても、何よりも正しい道だ。


「天塚君が高校に首席で入学……?」

 澪央が首を傾げる。アレクシスにはその理由が直ぐに分かった。

「首席で入学したのは椎名君だからな」

「なんで知って……あ」

 出会ったばかりの頃にそこまで『読まれて』いたのかと気付いたらしく、澪央の目が剣呑になる。

「今は読んでないわよね……?」

「どうだろうな」

 今度は明確にわざと曖昧に答えてみると、少女はますます厳しい視線を突き刺してくる。

「首席……どうしてそんな勘違いをしているのかしら。天使君は合格ラインぎりぎりの入学よ」

「え、そうだったんですか?」

 睨むのを止めた澪央が、驚きを含んだ反応と共に紗希に向き直る。

「ええ。それに、今の成績じゃ希望の大学には受からないわ。これから成績を上げるのも難しいんじゃないかしら……」

「だったら、三者面談は必要ですよね……」

 アレクシスは、手持無沙汰に真莉愛の本を取り上げてぱらぱらと捲った。こちらも聖夜と大差無い内容だった。聖夜と許嫁になったことにも、定められた進学と就職――聖夜の会社の取締役になっている――にも不満を持っていない。子供が最高学府に行くのも既定のことと考えている。

 しかし、小さな頃から一緒だったとはいえ、二人は個々の存在だ。ここまで似たような考えになるものだろうか。

(同じ環境で同じ学校に通い、同じような立場で同じ時を過ごせばこうなるのだろうか……)

 本の厚みもほぼ同じだ。性別と誕生日、両親の違いがあっても、まるでコピー人間だ。どちらがコピーかは知らないが――

(幽霊からコピー人間か。格下げか格上げか)

 実体がある分、格上げなのだろうか。更にページを捲っていて、アレクシスは気が付いた。

「秘書が居るな。学校からの連絡は、全て秘書が受けて両親に伝えている」

「……ああ、あの女性かしら。電話に出た……。随分と機械的な話し方だったわ。主人の意向に沿うように報告をしているのかしら。天使君の実際の成績なんて、どうでもいいということ……?」

「従業員の仕事は、雇用主に従うことだ」

 そして、アレクシスは真莉愛の本を閉じた。

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