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第13話 エピローグ

 慧や皆が注目する中、隆志はソファから立ち上がった。部屋の隅に置いてあった鞄からクリアファイルを持って戻ってくる。中から数枚の紙を出してテーブルに並べ、それを見ていた明日香が内容の一部を呟いた。

「夜間学校……」

 各美容専門学校のホームページを印刷しただけの紙だった。それぞれに夜間コースの案内が書かれている。

「こういうのがあるのね……」

 桃花から『負』の痛みは感じない。隆志に対して、余計なことを言い出してとか、そういった感情は無く、ただ感心しているだけのようだった。

「美容師国家試験は、全日制の専門学校に通わなくても受験出来るんだ。他にも週三回のコース等もあるけど、大学に行くとなると難しいだろう。両立するなら夜間学校だと思って、調べておいたんだ。大学は早くに終わることも多いし、そこまで負担でもないんじゃないかな」

 明日香も桃花も、テーブルに顔を近付けて印字を見ている。どちらも何も言わず、慧達は二人から目を離すことが出来なかった。提示された新しい選択肢に対して、彼女達がどう答えを出すのか――

「……こんな方法があるなら、私が昔の恥を晒す必要無かったじゃない……」

 桃花はテーブルからCDを取り上げ、チェストの元の場所に戻した。明るい茶色の髪から覗く頬と耳が紅潮している。その場に立ったまま、皆から顔を隠す格好で彼女は言った。

「大学に行きながら夜間学校に通うというなら、学費を出さない理由は無いわ。二校分でも三校分でも払うわよ」

「ママ……」

 明日香はその背中に声を掛け、ホームページが印刷された紙を手に取って見詰め続ける。他の紙でも同じことを繰り返し、静かに口を開いた。

「ちゃんと専門学校に通えるなら、これ以上大学を拒否するのは子供じみた意地になっちゃうよね」

「じゃあ……」

 桃花が、まだ僅かに染まった頬を振り向ける。その瞳が嬉しそうに輝いている。

「うん。私、大学に行くよ」


 慧達がソファの位置を元に戻している間、アレクシスが隆志に如才ない笑みを向けて話している。

「大人数で押し掛けた割には落ち着いていると思いましたが、今日来ると知っていたんですね」

「はい。黙っていた方が話がスムーズに進むと思いまして……大人の悪い面ですね、お恥ずかしい」

 隆志は苦笑して頭を掻く。それにしても、アレクシスの丁寧語にはどうも慣れない。

「当初、お父さんとのメッセージも途絶えたと聞いていましたが、明日香さんと話す気になったんですね」

「桃花がかなりショックを受けていて、連絡しないでと強く言われていて……それに、私も大学進学しないと聞いて最初は落胆してしまいましてね。どう返信するべきか分からなかったんです」

 隆志はところで――と話を変えた。

「ずっと気になっていたんですが……先生ですよね?」

「いえ、ただの友人ですよ」

「友人とは違うような……」

 ソファの位置をL字に戻し、コートとマフラーを纏った明日香が悩まし気に首を傾げる。

「じゃあ、荷物持ってくるよ」

「ええ、行ってらっしゃい」

 折角だからと、明日香はこの家に一晩泊まることになった。ホテルに置いてある荷物を取りに行くついでに観光と食事をしようという話になり、皆は順番に玄関を出ていく。明日香も外に出て、慧も靴を履いて続いたところで「あの……」という澪央の声がした。ドアを押さえ、つい様子を伺ってしまう。

「モモカ、アカリ、サチ、スミレ……」

 彼女は七人の名前を列挙して、真摯な面持ちで桃花に向き合っている。

「母がアイドル好きで、良く聞いていたんです。私も好きになって、振り付けも覚えました。決して昔の恥なんかじゃありません」

「…………」

 桃花は、話し合いの時にメンバーの名前を言わなかった。ただの慰めではないと伝わったのだろう。口元を両手で覆い、言葉を失っている彼女に澪央は小さくお辞儀をする。

「……じゃあ、失礼します」

「待って」

 短く、切実な呼び止めだった。外に一歩出ていた澪央が振り返ると、桃花は淡く微笑んだ。

「……ありがとう」

 もう一度お辞儀をして、少女が出てくる。ドアを閉めると、エレベーターの近くまで行っていた明日香が戻ってきた。

「どうしたの?」

「ううん、ちょっとブーツを履くのに手間取っちゃって」

「そっか。もうエレベーター来るよ!」

 明るく笑い、明日香は澪央の手を取った。


     ****


 ――閉まったドアを見詰めたまま、桃花は隆志に話しかける。

「こんなに遠くまで一緒に来てくれる友達があんなにいて……明日香は良い学校生活を送ってるのよね。本当は、それだけで充分な筈なのよね……」


     ****


 マンションを出た慧達は、近場にある有名スポットを巡った。まずは札幌市時計台に行き、記念写真を撮る。入場料を払い、中の展示物を見物していると、修学旅行に来ているような気分になる。建物の外観には感心しても、展示を回るのは授業を受けているみたいで退屈を感じるところが、それらしい。

 と言っても、慧は過去の修学旅行を悉く欠席した為、想像でしかないのだが。

「ねえねえ、鐘の音が聴けるんだって!」

「種類が多いのね。そんなに違いがあるのかな……?」

「順番にヘッドホンで聴いてみようよ」

 雫と澪央、明日香の女子三人は楽しそうにしている。慧が唯一興味を惹かれた青い目の人形を眺めていると、直斗が話しかけてきた。

「なんだか修学旅行みたいだね」

「そうだな。この前あったばかりなのにな」

 栞高校の修学旅行は、十月の初めに実施された。十一月が主流ではあるが、文化祭と時期を離す目的と、他の学校とバッティングしないようにという意図があった。あの頃はまだ、慧は一人だった。

「僕はあの時は楽しめなかったから……結果的にではあるけど、近いことができて嬉しいんだ」

「……そうだよな。黒崎も一人だったんだよな」

 雫とも恋人ではなく、明日香とは殆ど他人だったと言っていいだろう。

「神谷君は……慧君は、どうしてたの?」

 直斗は、僅かに恥ずかしそうに目を逸らす。名前で呼ばれたことに驚きはあったが、悪い気はしなかった。これが『友達』というものなのだ。

「俺はサボったよ」

「サボっ……!? 良いなあ。僕にはそんな度胸無かったよ……」

 少し悲し気な表情をして、直斗は俯く。

「あとちょっと早く友達になれてたら、修学旅行も一緒に回れたのにね」

「そうだな。でも、今楽しめてるんだから良いんじゃないか?」

「今……うん、僕、こんなの初めてで、本当に楽しいよ」

 顔を上げた直斗は、吹っ切れたのか子供みたいな笑みを浮かべた。


 女子達が鐘の音に満足した後、グッズを買ってから大通公園まで行き、さっぽろテレビ塔がなるべく枠に入るような位置で記念写真を撮る。時刻はもう夕方で、明日香がホテルと往復することを考えると展望台に上る時間は無さそうだった。

「明日のチケット、朝早くに取らなきゃよかった。そうしたらもう一日遊べたのに」

 唇を尖らせている雫に続き、澪央も残念そうにしている。

「そうね。遊ぶつもり無かったから……」

「アレクシスに連れてきてもらえばいいんじゃないかな。あれなら簡単でしょ?」

 明日香が言い、アレクシスがからかい口調でそれに返す。

「来れないことはないが、出口はあのマンションの1階か伊瀬家になるが構わないか?」

「え!? う、うちは、ちょっと……」

「では飛行機で来るしかないな」

「待てアレクシス、俺はどうすればいいんだ?」

 飛行機にはなるべく乗りたくない。皆がまた飛行機で来る時に残されるのも嫌だし、札幌味噌ラーメンを味わいたい。

「図書館を旅行に利用しようとするとは慧も意識が緩くなったものだな。飛行機で……」

「大通公園を目に焼き付けろ! 近くの店のドアを使えるようにしておけば……」

 慌てて言うと、アレクシスはにやりと笑った。

「それでは今日の夕飯は私に決めさせてもらおう。海鮮丼だ。海鮮丼だ」

 ……二回言った。


     □■□■


「そんな感じで、色々あったんだけど、最後は楽しく過ごせたんだ」

 東京に戻ってから数日して、明日香は北海道土産を持って隣の斎藤宅を訪ねていた。彼女の影響で一時的に憧れているだけじゃないか云々のくだりは恥ずかしさから省いたが、母がなぜ大学進学に拘っていたのかという話をする。

「そっか。それで北海道に……」

 艶のある黒髪を長く伸ばした彼女は、お土産のクッキーサンドのパッケージを開けながら、何かを考えているようだった。

「ということは、北海道の大学に通うの? 専門学校も……?」

「あ、ううん、東京の学校に行くことになった」

「……え?」

 意外そうに目を瞬かせる彼女に、明日香は説明する。

「今の友達と遠距離にならない方が良いだろうからって。私が一人暮らしは楽しくないって話したら、ママがこっちに戻ってくるって言うし……」

「そうなんだ! 良かったー……」

 彼女は安心した顔で紅茶を一口飲んだ。

「明日香が居なくなったら寂しくなるなと思ってたの。お母さん、アイドルしてたんだよね?」

「うん。Rainbow colorっていう……」

「Rainbow color!?」

 突然彼女は大声を上げ、そのテンションのまま身を乗り出してきた。

「えっ、名前……名前、トウカって……えっ」

「桃に花でトウカで、読み方を変えてモモカ……」

「モモカ!?」

 多少引き気味な明日香を気にもしない、黄色い声が室内に響く。

「モモカってあのモモカ!? センターの!? え、モモカが隣に住むの!?」

「…………」

 ぽかんとしながらも、明日香は考える。美容師の彼女は母のファンらしい。母は、娘を美容の道に引き込んだ彼女をどう思っているのだろう、仲良くできるだろうかとちょっと心配になった。

 大学にも行くと決めた以上、大丈夫だとは思うけれど。

「ママは失敗だって言ってたけど……」

「失敗なんかじゃないよ!」

 彼女は興奮して言い切った。そして、少し落ち着きを取り戻し、真面目な表情を作った。

「それに、人生に失敗したって良く聞くけどさ、悪い事をしていない限り、それは失敗じゃなくて経験じゃないのかなって思うんだ。そんなの関係なくモモカは失敗じゃないけどね!」

「経験……」

 随分と前向きな台詞で――とても彼女らしかった。いつも、この前向きさに力を貰うのだ。

「そっかー。でも、そっかー。明日香と初めて会ったような気がしなかったのはその所為かー」

 彼女は一人で何やら納得している。

(ママの活動は、ちゃんと人の心に残ってるんだね……)

 更に、以前は嫌だった母娘を指す言葉も嬉しくて、明日香はつい、くすりと笑った。


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