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第10話 味噌ラーメン、のち、対面

 羽田空港から新千歳空港に到着し、ホテルで荷物を置くと、四人の高校生は電車で明日香の家の最寄り駅まで行った。初めての土地に右往左往しつつ、何とかここまで辿り着けたことに安堵して市街を歩き始める。

 空気は冷たかったが想像していた程ではなく、東京よりも少し冷えるくらいだった。雪も積もっていなくて、そこが少し残念だ。来訪の理由を考えると、雪景色が見られなくて残念だとは言えないけれど。更に――

(空港に着いた時から思ってたけど……)

 雫は、これまでにも薄らと感じていた北海道への――主に北海道グルメへの――高揚を感じずにはいられなかった。それは直斗や澪央、そして明日香も同じようだった。飲食店の前を通り過ぎる度にそわそわしている。

「……皆」

 やがて、明日香が立ち止まった。

「腹が減っては戦ができぬって言うよね?」


「私だって北海道に来るのは初めてなんだから、そりゃ気になるよ。お腹も空いてたし……」

 卵にネギ、焼き豚にメンマが載った熱々の味噌ラーメンを食べながら明日香は言った。ふと、照れが見えていたその顔に陰が落ちる。

「家に行くの、ちょっと緊張してたし」

 雫は箸を止める。テーブルから麺を啜る音が消えて、静かになった。

「い、いきなり家に突撃するとか、無茶だったかな……」

 直斗が慌てたように言い、明日香は静かに首を振る。

「ううん、結局これが一番良かったんだと思う。……黒崎君がはっきり提案してくれて、助かった」

 その言葉は本心で、直斗に気を遣ってのものではなさそうだった。

「だけど、やっぱり緊張するよ……」

 心配そうに、澪央が訊く。

「……伊瀬さん、お母さんの本には何て? そんなに怒ってたの?」

「怒ってはいた。いたけど……その理由を知っちゃったら、私が怒りにくくなっちゃった。……でも、私は自分が決めたことを変えたくない……」

 その声には余裕が無く、慧が居たら痛みを感じてしまうのではと思う程に昏かった。

「大丈夫だよ。私が絶対に退学になんかさせない。直斗さんも澪央ちゃんも、神谷君もアレクシスもいるんだから」

「あの怪しい金髪の人も来るんだ……?」

 明日香から少し陰が薄れる。きょとんとする彼女に、雫は苦笑した。

「来るんじゃないかな」

 慧がキオク図書館のドアを通る予定である以上は、一緒に来る筈だ。


     ****


「遅いな……」

 休日に学校の屋上を使うのも気が引けた為、慧はアレクシスのマンションに来ていた。連絡があり次第、小部屋のドアからキオク図書館に行き、明日香の本を持った管理者が彼女達の近くのドアを開けることになっている。ちなみに、昼食はカップの味噌ラーメンだった。

「全員北海道は初めてだそうだからな。そうスムーズには行かないだろう」

 アレクシスは落ち着き払って紅茶を飲んでいる。テーブルには読みかけの本が置かれていて、『天の川の殺人 星川庵利』と書かれている。何か頭に引っ掛かるものを感じたが、それを引き出せないままに慧は話を続ける。

「だけど、椎名が居るんだし、道に迷うことはないだろ?」

「椎名君は方向音痴かもしれない」

「…………」

 その可能性も少しはあると認めざるを得ないが、そんなことは無いだろうとも本心では思う。

「何を不服そうにしている。慧は椎名君との出会いを忘れたのか? 彼女は優等生を『演じていた』だけだ」

「忘れてないし、分かってるよ」

 むっとして言い返すが、アレクシスはそれで良しとはしなかった。

「本当か? 黒崎君にもその傾向があるが、慧も未だに彼女を特別視しているように見えるが」

「そんなことは……」

 有る、のだろうか。今度の反論は尻すぼみに終わってしまう。

「椎名君の問題は全てが解決したわけではない。相変わらず彼女はモテていて、以前程ではないにしろ告白は受けている。その上で友人達から特別視されれば元の木阿弥だ」

 慧はテーブルに視線を落とす。それは的を射ている意見だった。澪央に対する考えを、改めて見詰め直す必要があるかもしれない。

「解決法が無くもないが……慧は彼女に異性としての興味は無いのか?」

「は? 何だよそれ」

 突然の質問に、少し動揺する。脳裏に浮かんだのは、人形店の前に立っていた澪央の姿だった。

「椎名君が異性との交際自体を望んでいないのなら別だが、彼女に明確な恋人が出来れば流石に告白も無くなるだろう」

「…………」

 確かに、男子達は諦めるだろう。しかし、澪央は恋人を求めているのだろうか。慧には、そうは思えなかった。印象に残っている澪央との思い出は幾つかある。惹かれたこともあるかもしれない。

 けれど――

「椎名を可愛いと思った瞬間はある。ただ、それが恋愛かどうかは分からない」

「……そうか」

 アレクシスは微かに笑い、テーブルから本を取り上げて読み始めた。タイトルからミステリー小説であるのは明白で、推理しつつ読むからなのか彼は難し気な顔をしていた。


     ****


 明日香の両親が住むマンションに近付くと共に、四人の口数は少なくなっていく。雫はふと、ここに慧が居たらどうなっていただろうかと考える。

(まあ、場を明るくしてくれることはないか)

 顰め面をして、皆と一緒に黙ってしまいそうだ。

「……そういえばさ、澪央ちゃんは神谷君のことどう思ってるの?」

 明日香が地図アプリを出したスマートフォン片手に歩く後ろで、雫は澪央に訊いてみる。二人の間には特別な信頼関係があるように見える。恋愛に発展するのではと感じなくもないが全然その気配が無くて、気になっていた。

「神谷君のこと?」

「うん、ほら、男の子としてどうなのかなー、とか」

「え? えーと……」

 俯き加減になった澪央の頬に、僅かに色がつく。

「そういうのはよく分からないけど、神谷君は多分、ただの友達じゃなくて……」

「と、友達じゃなくて!?」

 つい前のめりな気持ちで訊き返すと、彼女は顔を上げて微笑んだ。

「私には無い、特別な優しさを持ってる尊敬できる人だと思ってる」

 その笑顔には純粋で、どこまでも透明で、雫はそれを、恋愛を超えた何かのようにも感じた。


     ****


 目的のマンションに着き、澪央が慧に電話している。キオク図書館から来るとは聞いていたが、明日香はぴんと来ていなかった。どうするんだろうと思っていると、コートのポケットにスマートフォンを仕舞った澪央に呼ばれた。

「伊瀬さん、どの部屋でも良いから玄関の前に立っててって」

「玄関前……?」

 意味不明ではあったが、その通りにしてみる。少しの間の後に、目前のドアが開いて慧とアレクシスが出てきた。

「えっ……!」

 ドアの向こうには、一度だけ足を踏み入れたあの図書館が広がっている。

「遅かったな」

「ちょっと、札幌味噌ラーメンを……」

「札幌味噌ラーメン!?」

 慧と澪央の会話を耳に入れながら、明日香は呆然としたまま納得した。

 これなら飛行機要らないよね――と。


 ――伊瀬という表札の下に、黒いスピーカー付きのインターホンが付いている。

 間違いなく親の家なのに、間違いなく知らない人の家で、明日香はやるせなさを覚える。

 ――どうして私はここに来たことがないんだろう。

 ――どうして来ようとしなかったんだろう。

 距離を取っていたのは、両親より自分だったのかもしれない。

 友人達が見守る中、一度深呼吸して黒いボタンを押す。空いた方の手をコートのポケットに入れ、四つ折りにした紙を密かに掴む。視界の端で、慧が顔を歪めている。

『……明日香?』

 どうしたのかと思っていると、自分の目を疑っているような、母の訝し気な声がした。

「進路の話をしに来たの。……開けてくれる?」

 明日香だけではなく、友人達も堅い表情をしている。それが、玄関が開いた途端に驚きに変わった。

「まさか、家まで来るなんて……」

 二十代と言われても信じてしまいそうな美しさを持つ母が、そこに立っていた。


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