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第9話 北海道行きの決意

(伊瀬さん……伊瀬さんのお母さんは、何を考えて彼女を突き放してるんだろう……)

 明日香が『本』を読んでいる。随分と前の方のページから捲っている。彼女は、比較的あっさりとキオク図書館を受け入れた。直斗が初めて図書館に入った時と同様に自身の『本』を渡され、軽く中を確かめると「ママの『本』を出して」と言った。父は、母に逆らえないだけだからと。

 アレクシスの手元に出現した『本』の色は蛍光マーカーを思い出すピンクだった。明日香は面食らったように瞬きをし、『本』を受け取った後は無言で読み続けている。

(僕のお母さんは、ゲーム業界に行きたいって言っても反対しなかった。やりたいことが見つかって良かったねって……)

 その背景には、直斗が学校という場を嫌っていたということもあるだろう。ずっと、自分は誰にも話しかけられない――必要とされない空気のような存在――むしろ空気にさえなれない異物だと思っていた。学校も、高校を出れば最低限の世間体――人権は保てるだろうと、進学する気も無かった。それが、雫という恋人と、慧と澪央という友人達が出来て少し前向きになったのだ。

 学生生活を高校で終わらせたいと母に話したことはない。けれど、そうなってもおかしくないとは思われていただろう。

 だから、進学する気になっただけで嬉しかったのかもしれない。

(でも、もし反対したとしても……)

 何らかの理由で希望する進路に賛成されなくても。

(ちゃんと話したら分かってくれると思う……それは、伊瀬さんの両親も同じ筈。でも、まずは何を考えてるかを知っておいたほうが、きっと良いんだ)

 身内の本はアレクシスが読む必要が無いことを忘れていて、『本』の中身が分からないことと、明日香が母の『本』のみを希望したことは予想外だったが、そこまでの問題じゃない。大丈夫。

 直斗は今日、明日香に言うべき台詞を決めていた。

 彼女が『本』を読み終わったら――

(なるべく自然に……なるべく自然に提案しよう……)

 緊張する直斗を余所に、他の四人は中身が有りそうで無さそうな雑談をしている。

「しかし君達は、息をするように授業をサボるようになったな」

「やむを得ずサボってるのよ。体調不良よ」

 アレクシスの軽口に、雫が開き直って適当な答えを返している。

「体調不良で休むのはサボるとは言わないのだが」

「そうなの? 知らなかったなー」

 後半の雫の声にはあからさまに抑揚が無い。所謂、棒だった。

「椎名君も最近サボりが嵩んでいるようだが」

「おい、当たり前に俺を抜かすな」

「…………」

 近くの慧の抗議が聞こえていないかのように、澪央は眉を寄せて何かを考えている。直斗が「椎名さん?」と声を掛けると、彼女は「あっ……」と顔を上げた。

「ごめんなさい。考え事をしてて……授業は途中から出るつもりだし、美月ちゃん達にノートを見せてもらうから」

「あ、そうなんだね」

 自然と出る返事がちゃんと優等生で、さすがだなと思う。澪央は優等生でいるのが苦痛だったと言っていたが、背伸びしていた分を差し引いても、真面目な学生としての素養と性格を持ち合わせているのだろう。

「流石、優等生だな」

 愉悦を感じるアレクシスの言葉に、澪央はむっとした顔をする。この管理者に対して、彼女は他より遠慮の無い態度を取っているように見える。

 明日香が母の『本』を閉じたのは、そんな時だった。


「伊瀬さん……どうだった?」

 直斗は明日香に近付き、彼女に対してまだ遠慮してしまう自分を自覚しつつ、話し掛けた。

「うん。……知らないことがいっぱい書いてあった」

 閉じた『本』を見詰めていた少女が、直斗の方を向いて笑う。明日香が初めて見せてくれた笑顔だったが、それは困り笑いに近いものだった。

「何か、家族っていうけどさ。家族って、お互いのことを全部知ってると思っちゃうんだけどさ。それは親側だけの話で……私は、私が生まれる前の両親のことは何も知らないんだなって」

 そんなの、考えたことも無かった、と彼女は言った。

「ママが何で私の夢を反対してるのかは解った。でも……だから、ママに言いたいことが沢山ある。私が感じたこと、全部ぶちまけたい。だけど……」

 明日香はスマートフォンを出して画面に目を落とし、黙ってしまう。

「伊瀬さん……! 北海道に行こうよ!」

「え……?」

 突然の直斗の大声に、少女だけではなく皆がこちらに注目する。

「スマホで連絡が取れないなら会いに行けばいいんだよ! ご両親の住所は判ってるよね? 判んなくてもこの図書館からなら行けるから!」

「北海道に……?」

 目を見開き、明日香は明らかに驚いていた。考えてもみなかったという顔だ。

「住所なら知ってるよ……」

「じゃあ行こう! 普通に飛行機で行ってもいいし! 東京の子供からしたら北海道は外国みたいに思えるかもしれないけど、日本だから!」

 多分、人生の中で一番声を張っているのではないだろうか。女の子達をナンパしていた時より、心臓の鼓動が激しく、早い。

 最初に同意してくれたのは、雫だった。

「そうだよ、明日香。ご両親に会いに行こうよ。このままじゃ駄目だよ」

「……そうよね。前から、何か喉に引っ掛かってる気がしてたの。簡単な対話方法があるんじゃないかって……私達が出向けば良いんだわ」

 先程よりもすっきりした表情で、澪央も言う。明日香が、驚いた顔のまま訊き返してきた。

「え……私達?」

「あ、ええ。ご迷惑じゃなければ……」

「明日香! 私も行くよ! あんたのお母さんに二度と美容院行くな自分で髪切れって言ってあげるから!」

「え、う、うん……」

 少女は突然の展開に戸惑っていたようだったが、暫くしてから頷いた。

「分かった。行くなら、飛行機かな……。図書館を使うとか、まだよく分からないし……」

「よし、じゃあ今週末に行くわよ。授業はサボれないから」

 雫の決定は、アレクシスとした会話を気にした結果かもしれない。

「……準備しておく」

 明日香は素直で、そして嬉しそうでもあった。そこで、慧が軽く手を上げて申し訳なさそうに告げる。

「俺は図書館から行くから。飛行機は苦手なんだよな」

「あ……」

 嘗て、電車を利用した慧が多過ぎる『負』を受けて辛そうにしていたことが、脳裏に浮かぶ。

「密閉されてるし、空だし、『負』が多くても逃げられないもんね」

「私も、神谷君は図書館を使った方がいいと思う」

「うん、うん! それがいいよ」

 心配そうな澪央に続き、雫も激しく頷いている。彼女も直斗と同じ場面を思い出したのだろう。


     ****


「ありがとう」

 苦笑いを浮かべて礼を言いながら、慧は思った。

(『準備しておく』と言った時、伊瀬から確かに『負』を感じた。何を考えたんだ……?)


  □■□■


「北海道か……」

 同日夜、電気を消した自室のベッドの中で、雫は呟いた。その方法が脳裏を掠めたこともあったが、東京から北海道は学生が気軽に行ける距離ではないと思って自己却下していた。それを言えてしまった直斗は――

「やっぱり、直斗さんは凄いよね……」

 他人の為に、迷わず力を貸せる。動くことが出来る。雫は彼のそんなところに惹かれたのだ。

 床に置いたトランクに目を遣る。会いに行ったとして、明日香の両親は対話してくれるだろうか。部屋に入れてくれるだろうか。

「…………」

 落ち着かない気持ちになってきて、雫はベッドから起き上がった。二階にある部屋を出て階段を下り、台所に入る。カウンターキッチンの向こうに、晩酌をしている父の背中があった。冷蔵庫を開けて牛乳を出し、マグカップに注いで電子レンジに入れる。温まるのを待っている間に、父が椅子の背もたれに片腕を乗せて振り返る。

「どうした、眠れないのか?」

「友達のことで、ちょっと……」

 レンジから音がしてマグカップを取り出し、蜂蜜を入れて軽くかき混ぜる。それを持って、父の向かいに座った。

「ねえ、もし私が大学じゃなくて専門学校に行きたいって言ったらどうする?」

「ん? 行けばいいんじゃないのか?」

「そんな、あっさり……」

 日常会話をする時と同じ声音で、父がこの話題に特別感を持っていないことが分かる。

「何だ、そんなことで悩んでるのか? 好きにすればいいだろ」

 父は呆れたようだった。全く重みが無い調子で言って、缶ビールを飲む。

「でも皆、大学に行くし……就職も大卒が前提だったりするし……大学って、行くのが普通みたいになってるし……」

 話している内に、明日香のことではなく自分の中にある靄々を吐き出しているだけだと気付く。ホットミルクに口を付けると、早くもぬるくなり始めていた。蜂蜜の甘さだけが後に残る。

「雫は誰かの為に進路を決めるのか?」

「え?」

「皆が行くからとか、行くのが普通だとか、行かないと変だからとか、他人の目を気にして未来を決めるのか? 俺はそんなの御免だな」

 そうか、と雫は気付いた。誰かの為とか考えたことは無かった。自分の為だと思っていた。『皆に合わせる』のは自分の為なのだと。

 それも間違っていない筈だ。皆に合わせていれば大人へのレールから外れることはない。最も安全な『自分の為』のルートだ。

 けれど――そういう考え方もあるのか。

「でも、実際大卒じゃないと……」

「大学でも学部は色々で、皆が行くから行ってるように見えて、結構ちゃんと選んでるもんだよ。想定するゴールに向けて『行く必要がある』から行くわけだ」

 父は皿に盛ったソーセージを箸で摘み、半分齧る。雫は、ゲーム関係の仕事をしたいからIT関係の大学を考えているという直斗の言葉を思い出す。

「……それって、夢が無いと駄目ってこと?」

「そうは言ってないが……」

 袋のまま出されていたキャンディチーズを幾つか取り出し、父は雫の近くに置いた。目顔で食えと示され、素直に一つ目の包装を解く。

「夢なんてものが無くても良い。自分の将来を盤石にする為に大学に行きたいと思うなら、それは自分の為で皆の為じゃない。ただ、流されて進路を決めるのは止めた方が良いって話だ」

「…………」

 何となく屁理屈に聞こえるような、納得がいくような、複雑な気分だ。

「でも、専門学校に行きたいんだろ? やりたいことが見つかったなら、俺はむしろ嬉しいけどな」

「あ、そ、それは……」

 機嫌良くビールを飲む父を前にすると今更非常に言い難かったが、雫は明日香の話を切り出した。

「あのね、わ、私の話じゃなくて…………」

 説明している間に、父は顔を顰めていく。娘の進路の話の時は居酒屋の雑談みたいだったのに、明日香の話で表情が変わるのは何だかしっくりこない。

「そのお母さんは、余程大学に行ってほしいんだな。相当ショックだったんだろう」

「だからって、学費を払わないとかメッセをブロックするとか、酷くない?」

「酷い。酷いが……親もただの人だからなあ……」

 父は更に悩まし気な顔になる。雫は唇を尖らせたくなる。

「だから、北海道まで会いに行こうってことになったの。だけど……そこまでしても玄関を開けてもらえるとは限らないよね……?」

「いや、開けるだろ」

「え?」

 予想外に、あっさりと答えが返ってくる。何故、そこで突然軽くなるのか。

「子供に情があればドアは開けるさ。そこを心配することはないだろ」

「そうかな……」

 半信半疑で冷めた牛乳を飲んでいると、父は立ち上がって冷蔵庫に向かった。新しいビールを出してプルトップを開ける。

「友達の退学を止められればいいな」

「……絶対、止める」

 雫は牛乳を飲み干した。度が過ぎた干渉だと思われようと、明日香に退学はさせない――

 北海道への決意を新たにし、彼女はその日の眠りについた。

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