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第8話 人を救うこと、人に知られること 

 閉まったカーテンの隙間から、光が漏れている。

 毛布が捲れたダブルベッドの上で、小さい男の子が体を丸めている。

 薄暗い部屋に新たな光が入ってくる。ドアを開けた人影の呼びかけで身を起こし、歩き出したところで足が止まる。

 体が痛い。ピリピリとした痛みを感じ、助けを求めるように人影を見上げる。人影は笑顔を浮かべているが、男の子は怖くなって泣き出してしまう――


     ****


 慧が目覚めると、スマートフォンの通知ランプが光っていた。雫と直斗から個別にメッセージが届いている。

『昨日、あれから考えたんだけど、明日香に両親の本を読ませられないかな? 話し合うにしても、両親……お母さんが何を考えてるか知っておいた方が良くない?』

『あのさ、伊瀬さんを図書館に入れられないかな。お母さんの本を読んだ方が良いと思うんだ』

 別々に送ってきたのだから、相談したわけではなさそうだ。慧としても二人に異論は無かった。アレクシスに連絡しようと満月のアイコンをタップして、『慧が人を助けるのが一番の本探しだ』という一文に目を通してから、メッセージを打ち込む。

『キオク図書館で伊瀬に両親の本を読ませてもいいか?』

『良いだろう。しかし、本人はもう登校する気が無いようだが、どうやって連れてくる?』

 明日香の名前が書かれた退学届の写真が送られてくる。突然の新情報に、慧は自分の目を疑った。


  □■□■


 まさか、もう退学届を出しているとは思わなかった。慧から連絡を受けた雫は、明日香が住むマンションに急行して玄関の前まで辿り着いた。インターホンを連打すると、Tシャツに裾の長いルームパンツ姿の明日香が出てきた。短い髪は綺麗に整えられている。

「雫? 何?」

 顔をしかめる友人に、退学届の写真を表示したスマートフォンを突きつける。

「…………」

「……言っとくけど、これ受け付けられてないからね」

 バツが悪そうにしていた明日香の表情が変わる。

「え、なんで……」

「いいから制服着て! 着なかったら脱がすよ! 制服捨ててないでしょうね!?」

「ちょ、ちょっと……!」

 無理やり玄関内に押し入ると、焦った顔になった彼女は降参したのか声を上げた。

「わ、分かった! 分かったから! 中で待ってて!」

 部屋に入ると、リビングには立派なテーブルと椅子、大きなソファとテレビがある。家族三人で暮らしてきた名残だった。ソファの上にはヘアカタログが数冊と求人情報誌が置いてあった。

「サロンでバイトしてるって言ってなかった?」

「……平日は働けないし」

 顔を伏せた明日香が自室に入っていく。

(……そうだよね)

 尊敬しているらしい人に、高校を辞めましたなんて言えないだろう。

(まだ辞めてないし、辞めさせないけど)

 暇潰しにヘアカタログを捲っていると、制服姿の明日香が出てくる。

「よし、行くよ!」

 玄関を出て、つい隣の表札を見上げてしまう。隣人の美容師は悪い人ではないのだろう。けれど、苛立ちを感じずにはいられなかった。

 マンションの外まで出ると、直斗が小走りに近付いてきた。

「あっ、伊瀬さん……!」

「捕まえた!」

「さ、さすが雫さん……」

 ……感嘆するというより引かれている気がするのは、気のせいかな?


     ****


 明日香を連れてくるという雫のメッセージを信じ、慧は真っ直ぐに登校した。だが、行く先は教室ではなく屋上だ。コートとマフラーという冬武装をしたまま階段を上ると、オリーブ色のモッズコートをしっかりと着込んだアレクシスが階段を椅子代わりにして座っていた。

「外に出ないのか?」

「外は寒いからな。出たいのなら止めないが」

「…………」

 好んで寒風に晒されたくはなかった為、仕方なく数段下に座る。アレクシスはシルバーの水筒のフタに茶を注いで飲んでいる。

「……この前から気になってたんだ。俺が人を助けるのが一番の本探しだってどういうことだ?」

「そのままの意味だが」

 茶化すような調子で言われたのが気に入らず、慧は不服をそのまま顔に出した。だが、懸念は解消する必要がある。

「俺が誰かを連れてくる度に、キオク図書館を知る人数は増えていく。伊瀬を入れれば七人だ。それは……何か、危ないんじゃないか?」

「どうだろうな」

 その答えには先程よりも適当な感じが無く、むしろ神妙な響きがある。

「大丈夫なのか?」

「この行為が図書館の正しい使い方なのか、そうではないのか、私には判断出来ない。個人的には正しいと思っているが、慧が言うような矛盾が生まれる」

 声の重さに振り返ると、アレクシスは真面目な面持ちでこちらを見ていた。『自分の本を探してほしい』と初めて話した時のように。

「……管理者なのに分からないのか?」

「私はキオク図書館の全てを知らない。否……知らされていない。アルバイトのようなものだ」

 微かな笑みからはプラスではなくマイナスの感情が見える。だが、慧が『負』の痛みを感じることは無かった。

「……以前、図書館に入った者が死んだことがある」

「何だって?」

 物騒過ぎる言葉に、つい剣呑な声になる。一瞬浮かべた笑みを消し、アレクシスは話を続けた。

「図書館が死の理由と関係しているかは不明だが、命を絶ったのはそれから間もなくだった」

「関連は分かってないのか?」

 現実で判明しなくても、その人の『本』を読めば分かるのではないだろうか。『本』に記述されていないなんて、そんなことがあるのだろうか。

「勝手にその所為だと思っていたが、どうやら違っていたらしい。幻影にそう言われたからな」

 アレクシスは目を伏せて首を振る。

「幻影に……」

 幻影というのは、『本』が人型になった非物理の存在で、管理者以外には見えない、と澪央が言っていた。

 しかし、幻影とそこまで話していて、キオク図書館との関連は分からないのか。もし図書館に入ったことで死んだというなら、自分達が安全だと言い切れるのか――

「だが、前にも言ったと思うが、私は図書館の本来の役割を『人を救うこと』だと考えている。今の使い方が間違っているとは思えない」

「それは……そうだな」

 慧もそこに異論は無かった。恐らく、キオク図書館は『人を救う為に』存在する。

「慧の行動によって図書館の知らなかった部分が見えてきている。『招待』についても、栞についても私は無知だった」

「そうなのか……」

 つまり、他にもアレクシスが知らないことがあってもおかしくはないということか。

「無闇に人に知られるのはあまり歓迎すべきことではないのかもしれない。しかし、慧が信用できる人物であれば構わない。こちらでも人物像のチェックはしている」

「本を読むことでか?」

「そう。本を読むことでだ」

 アレクシスはそこで、やっといつも通りの笑みを口端に乗せた。


     ****


 明日香の腕を掴んだまま、雫は廊下を走っていた。後ろから直斗がついてくる。屋上に繋がる階段の近くの廊下を澪央が歩いていた。表情に陰りがある。

「どうしたの? 屋上はあっちだよね?」

「あ、う、うん……走ってきたの?」

 荒い息をしている三人を見て、澪央は何度か瞬きした。

「今は廊下を走っちゃいけませんとかナシだからね! 行こう!」

 階段を駆け上がると、アレクシスと慧が待っていた。片方は水筒から茶を注いで飲んでいる。準備が良すぎる。

「来たな。……では行くか」

 水筒を片付けて立ち上がった管理者が屋上へのドアを開ける。

「なにこれ……」

 冬の空ではなく、異空間に並ぶ本棚を前にして明日香が呆然と呟いた。


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