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第6話 親の心子知らず、子の心親知らず

 皆が戻っていったキオク図書館で、澪央が両親の本を読んでいる。アレクシスは明日香の本を膝の上で広げ、彼女の両親と近藤の本を脇に置いていた。本棚が何処までも続く世界で、閲覧スペースにも似た場所で誰かと本を読んでいると、まるで『図書館を利用している』ような気分になる。

 しかし、ここは普通の図書館ではない。その証拠に――

『澪央は信じられない良い子に育った。もっと手が掛かっても良かったのにな』

『ええ。せめて学費は払ってあげたいわよね。今までずっと頑張ってきたんだから』

 少女の背後で、両親の幻影が会話をしている。二人の声は娘には聞こえていない。姿も、見えていない。

「もし家計に余裕が無くてもそう思えるのか?」

 つい口を挟んでしまい、澪央が「え?」と面を上げる。幻影達は『あらあら』と他人事の顔を向けてくる。だが、アレクシスは慌てなかった。

「ああ、椎名君の後ろで好き勝手に話している『本』の幻影に言っただけだ。君の両親の幻影だな」

「……!?」

 直ぐに澪央は振り返る。幻影達は反射的に慌てているが、その視界には整然と並ぶ本棚しか映っていないだろう。

「誰も居ないけど……」

 幻影達が、胸を撫で下ろしている。

「管理者の私にしか見えない非物理の存在だ。『本』の中身が人型になったと思えばいい」

 先程していた会話も、類する内容が『本』に記してあるだろう。

「幻影はこう言っていた。もっと世話を焼きたい。今まで頑張ってきた娘に学費くらい払ってやりたいと」

「そう。そうね。そう書いてあった……」

 幻影父がニュアンスが違う、言い方があるだろと抗議してくるが、澪央は沁々と本の片方を指でなぞっている。

「だがそれは収入が安定しているから言えることであり、生活が危なくても同様に思えるのかと訊いたわけだ。違う答えが出れば、真の本心ではないということになる」

「そんなの暴論よ。状況が変われば考えも変わるわ」

 澪央は反駁するが、幻影達が同意する様子は無い。

「親として出来ることは変わるだろうが、根底にある本心はどうだろうな。そして、幻影達は本に書かれている範囲の感情しか抱くことはないし、抱けない」

「…………」

 もう一度背後を振り返り、頷く幻影に気付くことなく、彼女は開いた本に目を落とした。

「私は……私のお金は進学に使わなくても良いって言われても、本当にそれで良いのかなって思ってたの。だから、両親が無理して言ってるのかどうかが知りたかった」

 澪央は本のとあるページを開く。

『俺達が初めて本音で話し合った日のページだな』

『私達が望むのはあなたの幸せだけ……やっと、伝えられたのよね』

 幻影達が微笑む中、彼等の娘は本を真剣に見詰めている。

「二人の本を読んで、無理はしていないって分かった。心から、私の幸せだけを願ってくれているんだって。でも……もし生活費に余裕が無くて、そこで違う答えが出るなら、この本の内容は上辺だけの本心だって、そういうことなの?」

『そうかもしれないわね。でも、私達は違うわ』

 幻影母はしっかりとした声で断言した。

『澪央の将来のお手伝いをしたいの。もし収入が少なくても、私達の気持ちは変わらないわ』

『ああ。好きにやればいいさ』

 幻影父が歯を見せて笑い、アレクシスがそれを伝えると、澪央は安心したように微笑んで本を閉じた。


 澪央を外に送り出し、一人になった図書館で改めて明日香の本を開く。最終ページ近くに目を通し、つい眉を顰めてしまう。

「……自己を確立しているように見えても、まだ子供だということか」


     ****


 屋上から出て、栞高校の事務室へ行き、窓口に声を掛ける。

「こんにちは。二年E組の伊瀬 明日香の親類なんですが、彼女が退学届を出したというので回収しにきました。ありますか?」

「親類……?」

 窓口の女性は訝し気にアレクシスを見上げる。

「あなた、たまに校舎をうろうろしている……」

「人違いでしょう」

 営業用執事なりきり笑顔を浮かべると、女性は胡乱気にしながらも一枚の紙を差し出してきた。

「これの提出を知っているのなら、関係者ではあるのでしょうね。何にしろ、これは受け付けられません。本人に返してください」

「ああ、保護者の氏名欄が偽造だからですね」

「そんなことまで……判もこれでは駄目です。朱肉をつけて押すタイプのちゃんとしたものじゃないと」

 退学届を見ると、百円ショップで手に入りそうな簡易判が押されていた。

「分かりました。伝えておきましょう」


  □■□■


「結局、明日香は授業に戻って来なかった。あの時別れたのが失敗だったのかな。でも、一人で考えたいって言われたら、ついてはいけないよね……」

 放課後、皆で歩く帰り道で、雫は言った。明らかに意気消沈している。

「大丈夫? ってメッセージ送ったら、『大丈夫だから心配しないで』って」

「もう、僕達に出来ることは無いのかな。こればっかりは、お金の問題だもんね……」

 直斗は顔を俯かせ、力無く歩いている。最近徐々に増えていた明るい空気が、すっかり萎んでしまっていた。

「ううん。お金の問題じゃないよ。家族の問題だと思う。進学先の話もそうだけど、お母さんと気持ちがすれ違ってるんじゃないかな……」

 進路指導室で話を聞いている時に、雫はそう感じたのだという。

「私もそう思ったわ。あの後、両親の本を読んでね……」

 澪央がキオク図書館で、アレクシスと幻影とした話をする。幻影については初耳だったが、隠している様子は無かったから、と彼女は言った。

「伊瀬さんのご両親……お母さんも、愛情はあって、心配してるだけだと思うの。ちゃんと話し合えれば……」

「でも、ブロックされてるって……」

 雫が言う。三人が黙ってしまうと、彼女は少しだけ話題の方向を変えた。

「ていうか、高校を辞めたら専門学校の入学資格も無くなるんじゃないの? 明日香は、どうするつもりなの?」

「そ、そうだよ! 伊瀬さんは分かってるのかな……?」

 おろおろする直斗の隣で、雫はスマートフォンを出し、「メッセしてみる!」と高速で指を動かし始める。数十秒後、彼女の手の中で筐体が震えた。

「……来た。高卒認定試験を受けるからいいって……全然考え直す気無いじゃん!」

 雫はスマートフォンに対して声を荒げる。そこで、ずっと黙っていた慧は口を開いた。

「こればっかりは、もっと大人の意見を聞いた方が良いんじゃないか。子供だけで解決策が思いつくものでもないだろう」

「そうかしら……意外に簡単な何かを見逃している気がするんだけど……」

 考え込んでしまい、澪央がその『何か』を言葉にする気配は無い。

「今日、夜にMMOにログインする予定だっただろう? そこで、彼女に相談してみないか?」

「彼女……ああ、ギルマスだね」

 直斗の表情が明るくなり、雫が少しむっとした顔をする。

「大学生だって言ってただろう。受験を経験したばかりだろうし、何か参考になる話が聞けるかもしれない」

 彼女は、試しに始めてみたMMORPGで、元々はソロで遊んでいた人だった。ボス戦の共闘者を探していて、それに四人が参加したのだ。気が合ったこともあり、五人はそのままギルドになった。彼女がギルマスなのは、単に一番年上だったからだ。

『高校二年かー。いろいろと忙しくなる時期だね。まあ、一応先輩だし、何かあったら相談してよ』

 改めて自己紹介をし合った時にそう言われたことを、慧は思い出していた――


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