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第3話 開いた扉

 衝撃の報告に、「えっ!?」と大きな反応をしたのは直斗だった。彼は、明日香に対しては恋愛感情が無いのに文化祭の吸血鬼カフェで店員と客が見ている前で告白し、振られ、許され、後日には多数の告白のフォローをしてもらったという負い目や恩を持っている。

 彼女が高校を辞めると聞けば、他人事ではいられないだろう。

「な、何があったの……? 夢があるって、さっき言ってたよね?」

「分かんない。あとは何も書いてない」

 雫は難しい顔をして画面を見詰めている。

(まさか……)

 慧の記憶と今の状況が結びつき、一つの可能性を想起させる。

「……実は、今朝、E組の前を通ったら、強い『負』に当たったんだ」

 進路希望調査が配られたことでC組内の『負』が増加し、教室を出たこと。その時にE組から激しい痛みに襲われたと皆に話す。

「追い詰められたような痛みだった。でも一時限目が終わった後に戻ったら、もう何も感じなかったんだ」

 眉を寄せて話を聞いていた雫が、そのままの表情で口を開く。

「……最初の休み時間なら、明日香は教室に居なかったよ。二時限目が始まる直前に戻ってきたの」

「じゃあやっぱり、神谷君が感じた『負』は伊瀬さんのだったんじゃ……」

 澪央が心配そうに言う間に、雫は手早く机の上を片付けて鞄に仕舞う。

「話聞いてみる!」

「そ、そうだね」

 直斗も空になっていた弁当箱を布で慌てて包み、後に続く。廊下に出ると、澪央が雫に掌を出した。

「鍵は私が返しておくね。雫さんは早く行って」

「うん、ありがとう!」

 澪央と別れ、雫と直斗は速足でE組に向かう。慧も二人の後を追った。

(椎名、いつから望月を名前で呼ぶようになったんだ……?)

 と、そんなことを思いながら。


 E組の近くまで行くと、体に鋭い痛みが走った。朝に感じた痛みよりも、裂傷を負った時のような熱い痛みがある。これは、怒り、そして――悔しさだ。

 前方の出入口の前に、髪先の色だけ抜いた栗色短髪の少女が立っている。E組の担任近藤と一緒だった。

「明日香! さっきのメッセって……」

「望月かー。悪いけど、これから伊瀬と話があるんだ。後でもいいかな」

 近藤は困った面持ちで頭を掻く。痩せていて、人懐っこそうな印象がある先生だ。昼休みはそろそろ終わりそうだが、今から話すのだろうか。

「話……退学の件ですか?」

 雫が単刀直入に訊くと、近藤は「ん?」と片眉を上げた。明日香が明らかに焦った表情になる。

「雫、それは……」

「あ、あれ?」

 二人の反応に、雫は早まったことに気付いたようだ。流石に慌てて顔をきょろきょろさせる。

「まあいいや。それも含めて話をしよう。五時限目は倫理だったよな。教科担任には私から言っておくよ」

「……はい」

 視線を俯かせ、明日香は答える。そこに、雫が勢い込んで言った。

「わ……私も!」

「……望月、それは……」

 近藤がじとっとした目で雫を見る。具体的に何の話かは明かされていないものの、込み入りそうである中で同席しようというのは呆れられても仕方が無い。

「ファミレスに行くんじゃないんだから……そこは遠慮しようか」

「……いえ」

 そこで、明日香が硬い声を出す。その瞳には、強い意志が宿っている。

「雫には全部話すつもりだったし、一緒に聞いてもらいたいです」

「だから、それは……」

「……………………」

 瞬き一つしない明日香の眼力に気圧されたのか、近藤は一歩後退する。

「……わ、分かった。伊瀬が希望するなら良いよ」

「やった! ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 跳ねるような笑顔の雫とは対照的に、明日香は落ち着いた微笑を浮かべただけだった。雫のおかげか、『負』の痛みは若干収まっている。彼女が学校を辞めようとする程の問題とは何なのか――


「ね、ねえ、神谷君」

 近藤と少女二人がE組を離れていくと、直斗が小さい声で話し掛けてきた。

「僕も伊瀬さんのことは気になるんだ。それで……」


  □■□■


 澪央が職員室に鍵を返しに行くと、「椎名さん」と紗希が声を掛けてきた。

「どうだった?」

「はい。落ち着けてストーブもあって、皆喜んでいました。助かりました」

「図書館仲間として助けになれたなら良かったわ。図書館……あそこに入れればお昼問題も解決するのにね。どうせ本は読めないんでしょ?」

 周りに他の教師が居るのに堂々とそんな話をされ、澪央は慌てた。

「せ、先生、ここでは、その……」

「どうせ分かんないわよ」

 紗希はけろりとしている。あの日と違い、平日の服装は大人しめのスーツだ。もっとも、色は暖色系だが。

「あの、さっき少し話していたこと……図書館を使った方が良いような状態なんですか」

 自身はまだ、キオク図書館に招待されたことはない。だが、アレクシスが言っていた――誰かを『助けたい』と思い、それに図書館が同意した時に発動する――という招待の条件は慧に限られた話なのだろうか。紗希の生徒に大きな気掛かりがあるというなら、あそこで流してしまって良かったのだろうか。

「そうね。本人が何を考えてるかも分かりにくいんだけど……何より、両親が普通じゃないのよね。親としての存在感が無いのよ。今回も、三者面談に来ないって、親じゃなくて生徒側に言付けさせてる」

「存在感……両親は遠くに住んでるとか?」

「それが……」


 話を聞いて、澪央は紗希と一緒に屋上へ行った。五時限目はサボった。

 昼休みに紗希がしていたように、出たばかりのドアに向き直って、ノブを握る。思い切って引くと、そこには――

 白い空間が広がり、無限に続く本棚が見えた。


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