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第8話 そして現在へ

 桂花の死は新聞やインターネットの記事にもなったが、葬儀は家族葬にして身内だけで済ませた。日が経つにつれて、生活は平穏を取り戻していく。

 依織は順調に学生生活を送り、アレクシスはBAR『月と金木犀』を引き継いだ。元々アルバイトだった為、マスターとなった後も『アルバイト』と自称した。今まで通り依織も手伝いに入ったが、彼女の本業は勉強である為、本物のアルバイトを雇うことになった。

「アルバイトのアレクシスだ。アルバイトの面接をする」

 と言うと、誰もが「へ?」という顔をした。採用の際には、応募者の『本』を熟読して人物像や性格、危険性を確認した。

 桂花という一人が欠けたまま、毎日は穏やかに過ぎ去っていく。依織は大学に進学し、成人し、『月と金木犀』を出て一人暮らしを始めた。

 二度と失敗を繰り返さないように、この店の中では図書館――最近は勝手にキオク図書館と呼ぶようになった――には入らないようにしている。異空間に入る為の部屋は別に借り、そこのドアを使っていた。別部屋の存在は依織には教えていない。

「ここも、あまり使わなくなるか……」

 依織が居ないのなら、プライベートの時間に二階を使う理由も無い。

 リビング全体を見渡してから、灯りを消した。


  □■□■


 そして、現在――

 晴希の幻影は、栞は本人であり、死者の魂じゃないかと言った。確信は無く、違うかもしれないが『栞』が特別な何かであることは間違いない。

 あの頃より家具が増え、人の気配が残るキオク図書館で、以前に使っていたクッションソファーを店から持ち込んで身を預ける。

『星宮桂花の本』を出してしばらく見詰め、本を開こうと表紙の左端に手を掛けたところで、動きが止まった。人が真っ暗な空から落ちてきた、あの時の光景が蘇る。

「私は、間に合わなかった……」

 年月が経つと共に、アレクシスは自覚していた。彼女の本を読むのを避けていたのは、ただ単に、凄惨な記憶を思い出すからではないと。

 あの日に自分が違う行動を取っていたら。

 もっと早くに『本』を確認していたら。バイクで移動するのではなく、『本』を持って図書館を出て、彼女の近くに移動していたら。

 その後悔と罪の意識が、真実を知ろうとする心に蓋をしていた。『本』にはパソコンのパスワードまで晒されていたのに、自死の動機は書いていなかった。明らかに不自然だったにも関わらず――

「栞、か」

 これまでに多数の完結本を開いてきたが、栞が出てきたことはない。あれは、相手を選ぶのだ。

「現れるとは限らないが……」

『本』を開くと、ページの中央から、最早見慣れた花の栞が浮き出てくる。指で摘むと光り、周囲に金木犀の香りが広がった。

“やっと開いてくれましたね”

 聞き間違えようのない、穏やかな声が聞こえる。

「桂花……」

“不思議なものですね。私自身はこの図書館について何も知らなかったのに、今はあなたよりも知っています”

 何も教えられなくても生き方を知っている小鳥みたいですね、と声は言った。

「では、私が何者なのかも……」

“それは知りません。私があなたに伝えられるのは、私に関することだけです。落下の途中、到着したあなたを見て、思ったのです。あなたと依織が気に病むことが無いようにと……。私の心残りはそれだけです”

 声が止んだ。栞はまだ光り続けている。

「私は、君をむざむざと死なせてしまった……」

“…………。……いいえ。飛び降りたのは私の意志です。アレクシスは関係ありません”

 目の前に桂花の幻影が現れる。珍しく悲しそうにしている彼女は、無言で首を振った。

「しかし、今の君なら分かるだろう。私はあの日、判断ミスをした。君の気持ちを受け止めることもしなかった」

“……ええと……”

 幻影はきょとんとして首を傾げた。彼女と声は同一ではない筈だが――

“……私は、あなたと結ばれたいとは思っていませんでしたよ?”

「しかし、小説は……」

“あれはフィクションです”

 いつかのように、柔らかく笑う。

“他人同士であっても、家族になることと、結ばれることは同義ではありません”

 そういうことだと思ってくださいと続けた声は、雑談をしているような自然な調子で続けた。幻影は立っているだけなのに、グラスの中身を混ぜる桂花が視えるようだった。

“そして、私はあの時、あなたが間に合わなくて良かったと思っています”

「! ……何故、そんなことを言う」

“自殺を試みる者が何を望んでいるのか、考えてもみてください。私は本懐を遂げられたのです。何を後悔する必要があるでしょうか”

「…………」

 確かに、自殺者側からすれば尤もな話だ。だが、それで納得出来るわけもない。

“だから、気にしないでください。私は幸せになれたのだと、そう、思って……”

 声が途切れる。幻影が消える。栞から放たれる光も消えていく。

「香りは、残るのか」

 栞を香ると、桂花の誕生日を祝った時に嗅いだ、少々人工的な花の匂いがした。


 どれだけの時間が経っただろうか。

 クッションソファーに沈み込んだまま、考える。栞の桂花は、アレクシスと依織に気に病んでほしくない。それが心残りだと言っていた。

 桂花が話したのは、自死出来たのは本懐だから気にする必要は無いということだった。死を引きずる相手には確かに多少の効果はあるかもしれない。

 だが――彼女らしくない。

 更に、『結ばれたいとは思っていなかった』というのは、アレクシスが考えていた自死理由の否定だ。

(だったら、飛び降りた理由は何だったのかということになる……)

 当時から、『小説を書けなくなった』という遺書の内容を懐疑的に思っていた。それを、彼女の恋愛感情を主とする付随事項だと自分を納得させた。

『本人』が違うというのなら――

(これは、ふり出しに戻ったのではないか……?)


 アレクシスとして目覚め、桂花と出会った当時、平穏の為に美咲の死を追うのを止めた。

 桂花が居なくなった時、自分が原因の傷心自殺だと思い込んだ。

 もう、そういう誤魔化しは、するべきではないのかもしれない。

 命を落とした、桂花の為にも。


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