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第6話 消えた平穏

 ――アレクシスと依織にとって、前触れもない突然のことだった。桂花はこの世から姿を消した――


            □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 時計の秒針が進む音が、やけに大きく聞こえる。依織と二人で過ごす時間がここまで重く、息詰まるものになったのは初めてだった。

 食卓を挟んで座る依織は、下を向いて黙っている。彼女の笑顔が消えてから、どのくらい経っただろうか。

 携帯電話を見ても、何の連絡も来ていない。時刻は二十三時を回ろうとしている。

「…………」

 席から立ち上がると、依織が「どこ行くの?」と硬い声を出した。

「……調べたいことがあってな」

 視線を寄越さずに「ふぅん……」とだけ少女は言う。アレクシスの答えは、何らかの理由でその場から離れたい人が使う常套句だ。信じてもらえたかは定かではないが、詳しくも話せない。

 自室に入って後ろ手に鍵を閉め、室内全体をその目に映す。五年前に段ボールとガラクタだらけだった場所は、必要最低限の家具だけが置かれた落ち着いた部屋になっている。

 恥ずかしさで座り込み、小さい依織に『溶けちゃった』と例えられた桂花の姿を、楽しそうに段ボールを潰す依織の姿を思い出す。

(あの幸せは、もう戻らないのか?)

 不吉な予感と共にそう考え、首を振って自室のドアに向き直り、押し開けた。

 移動する時間が惜しく、その場で星宮 桂花の『本』を出現させる。本を開いて――絶句した。

「…………。…………桂花が、ここに……」

 桂花は、この図書館を訪れていた。アレクシスが、容姿が変化しないということを深刻に悩んでいると看破していた彼女は、何とかストレスを軽減出来ないかと――『助けられないか』と、眉間に皺を作ったまま二階へ行く彼を追い掛けたのだ。

「……しかし、私は一度部屋に入り、ドアを開け直して図書館へ来ている。追って入るなど……いや」

 周囲に誰も居ないと確信出来る時は、そんな面倒なことはしないで直接異空間に入っていた。その時に、彼女は――

『本』には、ドアを開けたら図書館に繋がっていたと書かれている。

「きちんと閉めなかったのか……?」

 疑問が残る気もするが、それ以外には考えられない。しかし、図書館に入ったのなら、出なければいけない筈だ。

「まさか、迷ったのか? まだ、図書館に……」

 それなら、連絡出来なかったのも頷ける。周囲を見回し、耳を澄ますが人の気配はどこにも無い。

 急いで先の記述を確認する。桂花は積み上げた『本』を読み耽るアレクシスを見つけ、何をしているのかと棚の陰で見守っていた。本棚の『背表紙に人の名前が書かれている本』も何冊か出し、開こうと試みて失敗している。そして、どこまでも続く異空間の中で、ここは普通の場所じゃないと考える。

 ――普通じゃない。この場所に出入りできるアレクシスは……?

 彼女は、アレクシスがなぜそこまで見た目を気にするのか、その理由を――察した。

「桂花……」

 強い衝撃で、床に座り込む。絶対に守らなければいけなかった秘密を、知られてしまった。桂花はその後、図書館を出る自分を追い掛けて外に出ている。無限の広さを持つこの空間には残っていない。

 そうだ。そもそも、今朝は彼女と顔を合わせている。閉じ込められているわけがない。

 安堵と焦りが襲ってくる。それなら、桂花はどこに居るのか。最後の方のページを、急いで捲る。

「これは……」

 アレクシスは本を閉じ、足元のスイッチを押した。ドアが出てくるまでの時間がもどかしい。荒々しくドアを開け、『月と金木犀』二階の廊下に出て階段を下りる。驚いた依織の声が追ってくる。

「アレクシス!?」

「家で待っていろ」

 庭に停めているバイクを道路に出して跨ると、「私も行く……!」と走ってくる。距離が縮み切る前に、アレクシスは出発した。


 桂花の本には、彼女が一人で死に場所を探している様子が記されつつあった。同行者は居ないようだった。

『誰にも迷惑が掛からないところじゃないと……。でも、私と遺書がちゃんと見つかるように……』

 間違いなく、桂花本人の言葉であり、意志に見えた。誰かに指示されたという記述は何処にも無い。

 ――どんな方法であっても、人に迷惑を掛けない自死は難しい。遺書を残したければ尚更、『人に発見されなければいけない』から難しい――

 その考えに基づいて様々な方法を消去していった結果として、桂花は深夜の飛び降りを選択したらしい。

「どうしたというんだ。桂花……」

 いくらなんでも突然すぎる。桂花が彷徨っている記述部分には本には動機らしいことも書かれていなかった。それ自体も不自然な気がするが――彼女に自死をする理由は何も無い、とアレクシスは確信していた。

 本の最終ページでは、建設中のビルの階段を上っていく彼女の様子が書かれていた。場所は比較的目印の多い場所で、バイクを飛ばせば、まだ間に合うかもしれない。

「あそこか」

 作業用の足場に囲まれた、まだ無骨な状態のビルが見えてくる。速度を緩め、停車しようとした時だった。

 星も光らない真っ暗な空から、人が落ちてきた。


     ****


 彼女の遺書と荷物は、ビルの床の上で発見された。遺書には『誰にも迷惑をかけなさそうな場所を選びました。新作小説の依頼をもらいましたが、もう書けないです。ごめんなさい』とだけ記してあった。


     ****


「ありえないよ……。お母さんが、そんなことで自殺するわけない。あんなにやる気もあったのに……」

 警察署の廊下のベンチで、依織は遺書を広げて悔しそうに涙を流した。

「きっと、全然違う何かがあったんだよ。もしかしたら、誰かが……」

「しかし、彼女は恨まれるような人ではないし、誰かと揉めてもいなかっただろう」

 否定しながらも、アレクシスも同じ違和感を抱いていた。遺書の筆跡は確かに桂花のもので、彼女が書いたことは間違いないのだろう。だが、納得は出来ない。

 裏で全く別の何かがあったのではないかと疑うのは無理からぬことだ。

 否が応でも、美咲のことを思い出す。顔も知らない、不可解な交通事故で死んだ桂花の親友を。

(美咲の事故の真犯人は判っていない。まさか……)

 桂花の死には、美咲の死と同じ匂いがする。二件は関係しているのだろうか。

「そんなの、分からないよ……。ずっと一緒にはいなかったもん……」

「それはそうだ。だが……」

 だが……? と、自分に問い掛ける。だが、何だというのか。何故、遺書の内容を肯定する発言をしようとしているのだろうか。

(私は、五年前と同じことをしようとしている……)

 人の命が失われているというのに、裏に何かありそうだという気がしているのに、無かったことにしようとしている。

 深追いしてほしくないという、それだけの動機で。

「……彼女は、恨まれて殺されたのではない。それこそ、そんなことは有り得ない。本当の理由は解らないが……」

 恐らく、今日一日の間に何かがあったのだろうが、それを告げるつもりはない。

「桂花は、自分の意志で死を選んだ。それだけはきっと真実だ。誰にも迷惑をかけないようにしたかったというのは、桂花らしい言葉だろう」

「…………」

 遺書を持つ依織の手に力が入る。涙が流れ落ち、紙の上に染みを作った。

「う、うわああああああん!!」

 アレクシスは、声を上げて泣く少女の頭をそっと撫で、落ち着かせることしか出来なかった。


  □■□■


 遺品を受け取って帰宅し、二階に上がると、テーブルに冷めたハンバーグが置きっ放しになっている。

「…………」

 アレクシスは少し考え、荷物をソファの上に置くと椅子に座った。フォークとナイフを取り、食事を始める。

「……食べるの?」

「依織が作った食事だからな」

「悪くなってるよ?」

「大丈夫だ」

「…………」

 自室に戻りかけていた依織が、テーブルまで来て席に着く。ハンバーグを切り分け、口に運ぶ。

「悪くなってるぞ」

「大丈夫なんでしょ?」

 ずっと放置されて冷え切ってはいるが、変な臭いはしていない。しかし、多少は消化時に問題が起こるリスクはある。アレクシスは未だ嘗て腹を壊したことが無いから大丈夫なだけだ。

「う、ううーーー……」

 依織から呻き声がする。駄目だったか。

「無理する……な……」

 少女はまた、泣いていた。堪え切れなかった涙が、溢れていた。


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