誰も居ないキオク図書館のテーブルの上に、沢山の『本』が積まれている。ベッド上にも何十冊という『本』が無造作に置かれていて、脇に座った管理者が一冊を膝の上で開いていた。背表紙にはアレクシスの名があるが、彼の『本』ではない。
この一冊だけではなく、出されている本の背表紙に書かれているファーストネームは全て『アレクシス』だ。だが、この中に彼本人の『本』は無い。
何故、そう言い切れるのか――
「まだ探すんだね」
彼の前に幻影が現れる。金髪だが、短髪で背が低い。
「ドコカニ本ガアルト、今デモ思ッテイルノデスカ? 本……イエ、人生伝ダッタカナ?」
スーツ姿の四角い顔をした幻影が言う。アレクシスを、何人もの容姿の違う『アレクシス』が囲んでいる。そこに、キオク図書館の管理者である彼と同じ容姿を持つ者は居ない。
アレクシスには、管理者になる前の記憶が無い。『本』を読んでも”それ”が『自分』の記憶なのか判断する術は無い。ただ、どの『本』にも、若くして図書館の管理人になったという人物が居ないのは確かだ。
そして、極めつけとして、幻影が答えがくれる。
俺達はお前じゃない、と。その姿で。
管理者に目覚めてからしばらくは、『本』を読んでいる内に記憶が蘇ってくるのではないかと思っていた。
しかし、今は――
どの『本』を読んでも無駄だと悟っている。
「あなたには、私の『本』が存在しないという確証があるのか?」
「イエ? ワタシハ 知リマセン」
幻影はおどけた調子で答える。瞬間的に頭に血が上って本を投げつけるが、当然ながら幻影をすり抜ける。
「大丈夫だよ」
「いつか自分の本が見つかるといいな」
他の幻影達が慰めてくれる。どこか空虚で、上辺だけの慰めだ。偽者だとしても、彼等は意志を持っている。彼等もまた、悟っている。管理者の本は無いということを。
「管理者……?」
幻影達が消えていく中で、ふと思いつく。キオク図書館の管理者は、自分が初めてなのだろうか。過去に別の管理人が居たのなら、彼もしくは彼女の本を読めば――
「……いや」
それが“誰”か不明である以上、『本』は探し出せない。自分と同様に『本』が在るかも判らない。
キオク図書館の管理人を任命されていても――私は、図書館について何も知らない。
サイドテーブルの引き出しから、古い大学ノートを取り出す。明らかに人が書き込んでいる、このノートに書かれている内容がアレクシスの知る全てだ。それは、かつて慧に説明したことと変わらない。
「慧……神谷慧……」
キオク図書館に招待された特別な少年。
彼は、アレクシスが自分の正体を知る鍵となるのだろうか。何処にも無いであろう『本』を探して欲しいと頼んだ彼は、何か別の手掛かりを掴んでくれるだろうか。
何故、管理者の『本』が無いのか、その理由を――
大学ノートを開くと、図書館についての説明が書かれている。そして、最後には――
□■□■
目覚めた時、〇〇は自分の名前を知らなかった。
ここが何処かも、知らなかった。
だが、人が成長していく上で学習する言語も、『本』や『本棚』等の物の名前も、実際に目にすれば脳裏に浮かんだ。
本棚の側面に背中を預け、脚を投げ出した状態の〇〇の側に、古い大学ノートとパスポートが落ちていた。ノートを開いてみると、これは図書館の取扱説明書に値するものだと分かった。
『・あなたは図書館の管理人です』
『・図書館にある本には人類全ての歴史が記録されている。一冊につき一人の人生が書かれている』
『・全ての本を閲覧可能なのは管理人だけである。本の場所は、人名が判明していれば自然と場所の啓示を受ける。本棚まで行かなくてもその手に出現させることが可能』
『・部外者は自分の本と、極めて近しい者の本しか読めない』
『・床にあるスイッチを押すとドアが出てくるが、管理人が行ったことのある場所にしか移動できない』
『・図書館内にある物の素材は劣化しない』
『・死者の本には完結の文字がある』
等々が書いてある。ノートを閉じ、パスポートを開くと在留カードと免許証が挟んであった。知らない金髪白人の写真の隣には『アレクシス・カミーユ』という名前がカタカナで印字されている。
「アレクシス・カミーユ……」
パスポートには『Alexis Camille』とあり、フランス籍ということだった。
鏡が無い為、自分の本来の顔は分からないが、髪は金色で共通している。〇〇は、自らの名前はアレクシスなのだと認識した。
「……全ての人間の本がここに在るというなら、私の本も在るということか」
本を読めば白紙の記憶も埋まるだろう。ノートに書いてあったことが本当ならと、彼は自分の本を出そうと試みた。
「……出ないな」
啓示とやらも、訪れない。
「……………………」
長く沈黙してから、他の人の本を出してみようと考えついた。何かやり方が間違っているのかもしれないが、とりあえず違う人の本を――
「……………………」
出現させようにも他の名前が分からない。
「いや、ノートの最後に……」
大学ノートを開く。そこには、目覚めたら
「星宮 桂花……」
名前を思い浮かべると同時に、本の場所が脳裏に浮かぶ。何となくで手を掲げると、黄色とオレンジの中間のような色の本が現れた。
「…………」
その場に座ったまま、アレクシスは本を読み始めた。