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第12話 エピローグ

「今日はありがとうございました」

 松浦家の玄関前で、壮真は紗希に礼を言った。空は夕焼け色に染まっている。

「こちらこそ。来てくれてありがとう。それにしても……」

 紗希は持っていた蜜柑色のスマートフォンカバーを開き、挟んでいたシロツメクサの栞を取り出す。

「もう、光らないのかしら……」

「分かりません。でも、そんな予感がします」

 鞄から手帳を出し、壮真も四つ葉のクローバーの栞を摘んだ。

 ――小学五年生の時、道端に群生していたクローバーを見て、晴希は瞳をキラキラさせて言った。

『なあ、どっちが早く四つ葉を見つけられるか競争しようぜ!』

『もう小五だぜ? そんなガキっぽいこと出来ねえよ』

『小五はガキだろ。今のうちにやっとこうぜ!』

 壮真の答えを待たず、晴希はクローバーの前に座り込んだ。仕方なく付き合ったが、二人とも四つ葉は見つけられなかった。

『引き分けだな!』

 帰り道で笑う晴希は全く残念そうではなかったが、少しは悔しかったのだろうか。

(この場合、どっちの勝ちなんだろうな)

『本』から現れた栞は、きっと晴希がくれたものだ。手元に持っているのは壮真であるが、出したのは晴希であり――

(……引き分けか)

 引き分けだ。

「じゃあ……」

 軽く挨拶をして、背を向ける。だがそこで、「ねえ」と凛としていて、それでいて神妙な声が掛かる。紗希は真面目な面持ちをしていた。

「お父さんとお母さんに心から謝れたなら、神谷君にもちゃんと謝れるんじゃない?」

「え……神谷、ですか?」

「図書館で……私には、あなたが本気で悪いと思っているようには見えなかったの」

「そんなことは……」

 無い、と思うが、紗希の目には適当な謝罪に映ったということか。

「壮真君のやったことって、そうね……例えば、ずっとベンチの選手に、『あいつずっとベンチなんだぜ』って多数に言いふらすようなものなのよ」

「あ……」

 初めて壮真は慧の気持ちが具体的に理解出来た。そんなことを言われたら、自分もいつまでも忘れないだろう。

「そう。そうですね……」

 やっと腑に落ちた。そして、あの時の謝罪がいかに適当だったかにも気が付いた。相手の傷の意味も解らないでの謝罪など、何の意味も成さないのだ。


  □■□■


 その日の授業が終わり、自転車を引いて校門を出ると、桜ヶ丘実業高校の制服を着た壮真の姿があった。公立と私立の違いはあれど、授業が終わる時刻に大きな差は無いだろう。普通に考えれば、この時間、この場所に壮真が居る筈はない。

「……神谷」

 通り過ぎようかとも思ったが、声を掛けられたのなら仕方ない。

「学校はどうしたんだ?」

「フケた」

 予想通りの答えだった。壮真は、妙に畏まった顔をしている。何か嫌な予感がして、先に話題を出そうと口を開――

「今日は、謝りに来たんだ」

 開きそびれた。

「……もう終わりだって言っただろ」

「それは、気が済んだからじゃないだろ。切り捨てただけだろ」

「…………」

 何故そこまで正しく受け止めているのか。あの時は殆ど話が通じていなかった筈だ――と思っていると、壮真が突然、腰から体を九十度に曲げて謝ってきた。

「中学の時は、悪かった」

「え、いや、ちょっと……目立つから……」

「そ、そうか」

 下校中の生徒達の目が痛い。壮真は姿勢を戻し、真っ直ぐな視線を向けてきた。

「俺が何をしたのか、やっと解ったんだ。ずっとベンチの奴にあいつはベンチだと言いふらすようなことをしてたんだってな」

「それは……」

 レギュラーになれないレベルの人形を作っているとは思っていないが、当時、クラスではベンチのような立場だったから間違いとも言えないのかもしれない。

 そうして、気が付いた。サッカーに例えれば、壮真とも『話』が出来るのだ。

「実力は有るのに問題児で試合に出れないベンチに、あいつはベンチだと言いふらす……の方が近いな」

 ――自分で実力が有ると言ってしまった。

「な、なるほどな。と、とにかく、それなら俺も一生ムカついて忘れられないと思って……だから、謝りに来た。本当に悪かった」

「……もう、いいよ」

 今度は、心から許せる気がした。あの日から放置している、作りかけの人形を思い出す。

「いや、本当に……」

「俺も今日からは、すっきりした気分で人形を作れそうだから」

 帰宅したら作業机に向かってみよう。彼女、になる予定の首も待っているだろう。

「そうか!」

 壮真は喜色満面になった。一息吐いてテンションを元に戻し、明るく言う。

「晴希のこと、マジでありがとうな。あの図書館に行かなかったら、俺は駄目になってたと思う。椎名さんも」

 片手を上げる壮真の視線を追って振り返ると、澪央と直斗、雫が歩いてきている。

「じゃあな」

 憂いが吹き飛んだ笑顔で、壮真は校門から離れていった。


「藤原君、来てたのね」

「ああ、あの……昔のことを謝りに来た」

 直斗達の手前、具体的な部分はぼかして答える。澪央は少し俯いて「……そう」と言った。

「でも、神谷君、今日は良い表情かおしてる。ちゃんと話せたのね」

 顔を上げた彼女は控え目に微笑んでいる。何となく、言いたいことを遠慮しているように感じられて気になった。

「何? あの男と何かあったの?」

「あっ、ちょ、ちょっと、雫さん!」

 片眉を上げた雫が訊いてきて、直斗があたふたと両腕を上下させる。しかし、雫に気にする様子は無い。どうやら怒っているようだ。

「直斗君とのことを反省してから、私、いじめとかハブとか、無視しないことにしたの。あいつ、明らかにガキ大将タイプじゃない。知らないところで友達が何かされてたら嫌だし、私がガツンと言ってやってもいいし」

「…………」

 何故いじめやハブに遭っていたのが前提なのだろうか。間違ってはいないが。

「いや、過去に失礼なこと言われたんだけど、もう解決したから」

「そう? また何かあったら教えてよね」

 雫はまだ顰め面をしている。確かに、彼女は少し逞しくなったようだ。

「……まあ、もう会わないと思うから」

 もしかしたら、墓地で顔を合わせる機会はあるかもしれない。

「うん、その方が良いよ」

 直斗が励ますように、普段より元気に同意した。

「和解したからって、何も気にしないで付き合えるかは別の話だと思うし……雫さんみたいに、誤解が無くなって仲良くなれることもあるけどね」

 そして、えへへと照れ笑いを浮かべる。

「あ、今日の夜、良かったらみんなでゲームしない? 明日は休みだし」

「うん、いいわね。私もちょっと上手になってきた気がするし」

 僅かに目を眇め、どこか羨望の眼差しで直斗を見ていた澪央が、賛成する。それから、四人はゲームや授業の話をして歩いた。


 途中で直斗達二人と別れ、帰路を歩く。何を思っているのか、澪央は口を閉ざしたままだ。若干落ち着かない気分のまま、慧は住宅街に続く道の前で立ち止まる。

「じゃあ、また」

「神谷君」

 そこで、やっと呼び掛けられた。澪央の声に、いつもとは違う力が入っている。

「今言っても、本気にして貰えないかもしれないけど……」

 どこか思い詰めたような、それでいて何かを決意したような――そんな彼女を前にして、慧は息を飲み、言葉を返せなかった。

「私は、神谷君の作る人形、綺麗だと思った」

「人形……?」

 心臓がどくんと脈打つ。それは、澪央に訊くのが恐ろしかった問いの答えだ。

「藤原君とのことを知った私が言っても、慰めだと思われるかもしれない。でも、違うの。私はあの時……神谷君の作る人形に見惚れていたの」

 彼女は一生懸命に話してくれるが、信じる信じないの前に、思考がついていっていない。

「穏やかで、神谷君の優しい人柄が出ていて、惹き付けられたの。だから、藤原君が言ったという台詞を聞いて、びっくりしたわ……でも、あれはイメージだったんでしょ?」

「ああ……」

 中学の時点では店の前を通ったことがないということだった。

「図書館では、想像していたのと違ったって話してたし……藤原君も、実物を見たら気味悪いなんて感じなかったんじゃないかな」

 それはどうか分からないが。

「私は、綺麗だと思ったから、伝えておきたくて」

「…………」

 澪央の瞳に曇りは無い。きっと、彼女の話は慰めなんかでは無い。そう思われるのも覚悟の上で話してくれたのだ。

「椎名の言葉を本気にしないわけないだろ」

 安堵と共に応えると、澪央はほっとしたように笑った。

「……良かった。私、神谷君の人形、好きよ」


  □■□■


「死者からの、栞……」

 白い世界で、アレクシスは椅子に座り、開いた白い本――晴希の本を膝に乗せていた。

「選ばれた者が本を読んだ時だけ、栞が現れ、生者にメッセージが送れる……」

 彼には、栞を手にした紗希と壮真に何が起きていたのか全てが見えていた。

「栞から聞こえた声は、君が話せる内容の範疇を超えていた。実際、君は喋っていなかった。あの声は……誰だ?」

「さあ、おれにも判らない。おれが判るのは、あくまでも本の中の『事実』だけだよ」

 アレクシスの前に立つ、晴希の本の幻影が話す。キオク図書館の管理者は『本』の持ち主の幻影と会話が可能だった。それは、死者に限らない。生者の幻影も現れる。

「でも、あの『栞』は本物だと思うよ。本物の、松浦晴希だ。おれは偽物だけど、栞のおれは……魂、というか」

「魂、か……」

 無限に続く本棚をアレクシスは見遣る。何にしろ、栞について書かれたノートが無いのだから、真実は分かりようがない。

 それこそ、栞本人に訊かないことには。

「栞、本人……死者の、魂……」

 ――思い出す。

 ふわりとした笑顔が印象的な、あの人を。


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