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第10話 認識の乖離

 図書館に、沈黙が落ちている。高みの見物的な笑みを浮かべていたり、俯いて体を固くしていたり、驚いたりという空気の中、澪央が隣で戸惑っている。

「中学の同級生って言ってたけど……」

「…………」

 彼女と紗希に視線を向けられ、慧は居心地の悪さを感じる。アレクシスに諭されると同時に何かを焚き付けられ、壮真にも内心を知られてしまった。後で話をする必要があるとは考えていたが、晴希の本からこんな展開になるとは思わなかった。

「……これが、俺を嫌いな理由なのか?」

 テーブルの木目を見るような姿勢で、壮真が絞り出すように声を出した。

「嫌いっていうのは、アレクシスが言っただけだ」

「でも、嫌いなんだろ?」

「…………」

 どうして自分が詰められているのか。理不尽な気分になっていると、紗希が上目遣いで壮真を睨む。

「何であなたが責める側になってるの?」

「え、いや、それは……」

 分かりやすく狼狽する彼を前に、紗希は溜息を吐いた。一度目を閉じ、開いた時、彼女の雰囲気は『晴希の姉』ではなく、学校でいつも見ていた『教師』のものになっていた。

「あなた、神谷君の人形が気持ち悪いって言ったの?」

「ち、違います。気味悪いです!」

「そこは問題じゃないでしょう」

 その通りだが、何だか、この場のイニシアチブを慧ではなく紗希が握ってしまっているのが釈然としない。

「あ、あの、先生、俺は……」

 皆の前ではあまり話題にしたくないのでその辺でと申し出たくて、口を挟む。

「神谷君は……? ……あ」

 紗希はそこで、突然殊勝な顔になって立ち上がった。しっかりと腰を曲げて頭を下げる。

「晴希が失礼なことを言って、ごめんなさい」

「い、いえ、俺は……」

 気にしていませんとは続けられず、慧は言葉に詰まる。余った椅子に座っているアレクシスが、彼女の方を見て、声を殺して笑っている。一瞬腹が立ったが、抗議する前に紗希は呟く。

「でも、この状況って……」

 彼女は晴希の本をテーブルから取り上げ、前の方のページを繰り出した。内容を確認するその顔が、徐々に険しくなってくる。それを気にしながら、壮真が席を立ってベッドの方に近付いてくる。

「俺も、さっき、俺の本を読んで、もしかしてこれかもとは思ったんだ。他には心当たりも無いし。だけど、本当に『気味悪い』って言ったのが理由なのか?」

 神谷の口から直接聞きたい、と彼は言った。ここまで来たら、慧としても会話を拒否出来なかった。渋々と答える。

「……そうだよ」

「そうか……」

 壮真はどこか苦し気な表情をしていた。以前なら悪びれることもなかっただろうと思うと、彼も少しは変わったのだろうか。だとしても、心無い言葉を投げた過去は変わらない。

 そして、晴希が死ぬ遠因を作った事実を無かったことにも出来ない。

 だからこそ、壮真はそれで苦しんでいる。

「あれは……聞いた時に重石が落ちてきたような気がしたんだ。今も、そこまでではないにしろ、ずっと覚えてはいる。人形を作ってる時に思い出したりもするし……」

 正直会いたくなかったし、墓地で顔を合わせた時も関わりを避けたいと思っていた、と慧は言った。

「で、でも、人形に対する感想なんて人それぞれだろ? しょうがねえ……あ、いや……違うか」

 壮真の声が途切れる。顔の下半分に片手を当て、何かを考えているようだった。

「……俺は、神谷の作っていた人形を見たことがなかった。外国風の人形だって聞いて、ホラーでよく使われるようなギョロ目の二頭身の人形だと考えてて……今日見たら、目はそこまででかくなかったな」

「…………」

 注文を受ければギョロ目の二頭身の人形も作るが、それは心の内に留めておいた。

「見てないのにイメージで思い込んでたな。それは、悪かった」

 素直に謝られると、どんな顔をすべきか分からなくなる。

「そうじゃなくて……」

 それに、少しポイントがずれている。

「……間違っててもどう思っててもいいんだよ。クラス全体に聞こえるように言ったのが……」

「あ、ああ、そういうことか」

 壮真が慌てる。

「気持ち悪いとか皆に言うのは、営業妨害だもんな」

「…………」

 慧は頭を抱えたい気分になった。

「そりゃあ苦手にもなるよなあ。なるほどな」

 ただでさえ話し難いというのに、なかなか真意が通じない。だからこそ、慧は気付いた。彼とは考え方の根本こんぽんが違うのだ。細かいことを気にしないからこそ軽率な発言もあるが、恐らく、芯から悪い奴というわけではない。

「……あれには、人を笑い者にする意図があっただろ。それが刺さったというか……」

「壮真君、神谷君が孤立していたからそんな事を言ったんでしょう? しかも、そこには更に孤立させようという意図があった」

 厳しい口調で紗希が割り込んでくる。

「そんなことはないです。俺はただ……」

「そんなことあるでしょう。晴希の本にも、その空気に気付きながらも便乗したと書いてあるわ。つい、合わせちゃったって……」

「そ、それは……」

 壮真は俯き、しばらくしてから「はい……」と認めた。

「確かに、そうだったかもしれません……あの頃は、調子に乗っていて……皆も関わろうとしてなかったから、そういう扱いをしてもいい相手だって、無意識に……」

 彼から出る言葉は、全て想像通りのものだった。だが、やっと自覚だけは出来たらしい。慧は小さく溜息を吐き、昔の同級生に告げた。

「俺の中からあの言葉は消えない。だけど、これ以上責める気もない。そもそも、最初から何も言う気は無かったんだ。……だから、もうこの話は終わりだ」

「終わり……」

 壮真は下を向いて、歯噛みしていた。


  □■□■


「えっ……」

 そこで、晴希の本を持っていた紗希が小さく声を漏らした。本を少し自分から遠ざけるようにして、僅かに背を反らしている。

 ページが、勝手にパラパラと捲られていく。

「な、何これ……」

 誰にも触れられていないのに、まるで自分の意思を持ったようだった。当惑する紗希を中心に慧と澪央、壮真が本を見詰める。

(アレクシス……?)

 その中で、管理者だけが平然と、口元に笑みを浮かべていた。


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