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第6話 『招待』の条件

 時間が止まってしまったように、紗希はファイルの束を抱えて動かない。壮真も棒立ちになっている。

「……まさか、私に会いに来たの?」

 先に硬直が解けたのは、紗希だった。その顔にはあからさまな嫌悪が浮かんでいる。

「違う。これは偶然で……」

 狼狽えた声を出した壮真が慧の方を振り返る。助けを求めるような顔だったが、一瞬後、それは疑いの目になった。

「……もしかして、図書館に行くっていうのは嘘で、俺を紗希さんに会わせる為に……いや」

 彼は激しく首を振った。抱きかけていた何かが抜けると共に、脱力する。

「椎名さんもいるのに、そんなこと出来ないか……今日は土曜日だしな」

 先刻に慧が言った台詞を自分で呟く。出勤している確証が持てないのに、妙な画策は出来ない。壮真は紗希に向き直ると、下向き加減になって覇気の無い調子で言った。

「違います。俺も、会う気は無かったです。神谷達に連れてこられて……」

 こちらを伺うように束の間だけ慧達を見て、目を戻す。

「晴希について分かるって、あの……」

 そこで、言葉は尻すぼみになった。もう一度振り向いた彼は困り切っているようだった。まだ完全に信じられない異空間の話をするのは抵抗がある、と顔に書いてある。

「何が分かるっていうの? 晴希は栞高校と無縁だったわ。去年だって文化祭は見に来るって言ってたのに……」

 悔しさを滲ませ、紗希は言う。抑えていた怒りが今にも決壊しそうに思えた。

「そ、それは……」

 壮真は未だに言い淀んでいる。慧は溜息を飲み込んだ。彼女は晴希の姉であり、今回の件の関係者だ。このまま誤魔化していい相手ではない。

「屋上から、キオク図書館という場所に行けます。そこの本には、一人一人の経験が全て書かれています。つまり、死者の記憶も読めるということです」

「死者の記憶……?」

 紗希は思い切り眉を顰めた。直斗と出会う日の授業中、彼女に指名された時のことを思い出す。

『友達が出来たのは祝福すべきことよ。でも、授業中にスマホは程々にね』

 少し妖艶に、そして少しお茶目に、彼女は囁いてくれた。その時の面影は消え失せている。

「俺はそこの管理者と連絡が取れるので、案内してもらうように頼みました。屋上で待ち合わせをしています」

「屋上に図書館……?」

「本当です。私も何度も入っています。白い空間に本棚がどこまでも並んでいて、人の名前がタイトルになった本があるんです」

 澪央も一緒に説得してくれる。慧に向けて小さく頷き、更に言った。

「亡くなった方の本もあります。それを読めば……」

「……晴希が何を考えていたのか、分かるかもしれない……」

 難しい顔をして紗希はそのまま黙り込み、次に口を開くまでに数十秒の時間が掛かった。

「屋上が、その変な場所に繋がってるのね?」

「というか……管理者が、屋上からキオク図書館に通じるドアを開けてくれるんです」

「そう。じゃあ、私も行くわ」

 慧が答えると、紗希は同行を申し出た。

「信じてくれたんですか?」

 一応訊いてみると、彼女は苦笑いを返してくる。

「階段を上るだけだから、確認に手間は掛からないでしょ。それを見逃す愚を犯す気は無いの」


 屋上への道すがらにアレクシスにメッセージを送ると、これから行くという返答が来た。

「まだ来てないの? 待ち合わせてたんでしょう」

 内心は穏やかではないだろうが、紗希は普段と同じように振舞っている。

「その人は、図書館を通って屋上に来れるんです。もう待っていると思いますよ」

 他にどう説明して良いか分からなかった。紗希は、どこか引きつる声で「そ、そう……」とだけ言う。だが、気を取り直すのも早かった。

「そうだ、あなた達、何で私服なの? 休みの日でも、学校に来る時はちゃんと制服に着替えてね?」

「す、すみません……。元々は登校の予定が無くて……」

 澪央は素直に謝るが、慧は一言物申したくなった。

「先生だって私服じゃないですか」

「教師には制服が無いから良いのよ」

「それにしたって、派手……」

 屋上のドア前まで辿り着き、先頭の慧がそれを開ける。

「随分と遅かったな」

「色々あったんだよ」

 ふてぶてしい笑顔で迎えたアレクシスに渋面を作る。全員が階段を上りきってコンクリートの上に立つと、彼は早速仕切り始めた。

「私は今回、ここに至るまでの事情を何も知らないのだが……」

 喫茶店で連絡してから、相当の時間が経っている。暇だったのか、彼はしっかりと身支度をしていた。茶色のスリーピースのスーツを着こなしている。中のベストはベージュのチェック模様で、澪央の服装と色合いの類似が多い。ふと彼女を見ると、自分の格好をあちこちと見直し、嫌そうな顔をしている。

「慧は、死者の本音を知りたいという、この二人の助けになりたいと思ったわけだな。松浦晴希の人生伝を読むことで、藤原君達が救われればいいと」

「それは……そうだな」

 確かに、慧は壮真の心にある引っ掛かりを解消出来ればと考えていた。事故後の晴希の本音が『負』なのか『正』なのかは分からない。だが、それを知ることで壮真が前に進めるような気がしたのだ。

「そう、思ってる」

 同時に――例えれば、煙草を吸っている未成年を庇っているような感覚を抱いてもいた。過去の自分を裏切っているような、そんな――

「それなら問題無い」

 慧の答えを聞き、アレクシスは何か知らないが満足そうだ。

「さて。私は今回このドアを開けない。その役割は慧に譲ろう」

「な……俺がやっても、図書館に通じるかどうか分からないだろ」

 この男は何を考えているのか。彼の笑みから読み取れるものは無い。

「それを実験するわけだ。さあ、やってみろ」

「…………」

 仕方なくドアの前に立つ。この金髪男は何を考えているのか、澪央の時も直斗の時も、慧は図書館に“招かれた”のだろうと言っていた。招かれる基準は判っていない。

 ノブを握って回し、ドアを引き開ける。その先には――キオク図書館が広がっていた。

「え、階段は……?」

 紗希が唖然とした声を出した。小走りに近付いてきて、パンプスを履いた足が図書館の地を踏む。

「壁が見当たらない空間……沢山の本棚……本当に……」

 彼女は、寸分の隙間も無く収納されている本の背表紙をなぞっていく。

「人の、名前……ここに、晴希が居るの……?」

「さて、入るか」

「そうね、ほら、行きましょう」

 アレクシスに続き、澪央も壮真を促して中に入っていく。驚き過ぎたのか常になく呆けた状態のまま、中学までの同級生は彼女を追う。

 最後に慧が進入し、背後のドアが消えると管理者は言った。

「慧への『招待』は、慧が誰かを『助けたい』と思い、それに図書館が同意した時に発動する――私はそう考えている」

「……図書館が俺の考えを肯定してるって言いたいのか? アレクシス、お前……読んだな?」

 気が付いて、つい恨めし気な目になってしまう。喫茶店で彼に連絡した時、壮真の名字も松浦晴希の名も出さなかった。慧の本を読んだからこそ、知っている。そして、慧が自身の行動に何を思っているのかも把握している。

「図書館は慧の助けたいという考えを『正』だと判断した」

 直接的には何も答えず、アレクシスは笑みを深めた。忌々しくもあったが、その通りだろうとも思ってしまう。

「苦手な……ここは敢えて『嫌い』と言おうか。嫌いな相手に手を差し伸べてはいけないというルールは無い」

 そこは、敢えて言う必要はあるのだろうか。

「苦手、嫌い……?」

 話を耳にし、呆けた状態から復帰した壮真が怪訝そうにする。想像もしていなかったという顔だ。

「つまり、助けたいという本音を否定する必要は無い、ということだ」


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