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第2話 ぶつかり合い

「殺した……?」

 物騒が過ぎる言葉だった。そのままの意味なのか、何かの比喩なのか。どう捉えるべきなのか解らず、眉を顰めることしか出来ない慧に、壮真は皮肉気に笑った。

「安心しろよ。罪にはなってない……罪にならないのか、本来はなるべきなのか……」

「……何をしたんだ?」

 訊きたいと思ってしまった僅かな好奇心と、話を聞いてほしいのだろうという察知が重なった。問い掛けてしまった以上、もう彼に関わるしかない。

 恐怖や嫌悪は湧かなかった。抱いていたのは、過去に関係する忌避感だけだ。

『松浦家』の墓を一瞥してから、壮真は言った。

「長い話になる。場所を移すか」


「……ここか?」

 出来るだけ人が居ない場所が良いと聞き、『神谷ドール』の近所にある喫茶店に案内する。土曜日なのに客は二人しか居なかった。だが、店主と客に話を聞かれると思ったらしく、壮真は渋い表情をしている。

「ああ、そうだ」

 彼には構わずに中に入り、レジカウンターの前に立つ。店主が不愛想に「いらっしゃい」と言った。

「個室をお願いします」

「三号室が空いてるよ」

「個室があるのか」

 壮真は驚きと共に、安堵したようだった。飲み物を頼み、三号室に入る。小さな会議室のような部屋だ。

「同じ設備があるチェーン店より使用料が安くて予約も要らない。近所だからたまに来るんだ。普段は個室は使わないけどな」

「そうか……」

 説明を終えると、室内に静寂が落ちる。部屋を見回していた壮真は、世間話を振ってきた。

「神谷は何処の高校行ったんだっけ?」

「……栞高校だ。自転車で通えるし、学力にも合ってたから」

「ああ、栞か。楽しくやってんのか?」

「楽しい……かどうかは微妙だけど、まあ」

 ここ最近の毎日が『楽しい』かと言えば違うだろう。ただ、目の前の問題に出来得る限りに取り組んでいただけだ。それを『楽しい』とするのは澪央や直斗、雫に失礼だ。

 けれど、彼女達との会話や、慣れないながらも一緒にゲームをプレイするのは楽しいと感じた。

「へえ、良かったな。お前、中学では一人だったもんな」

「…………」

 嫌味とは違い、純粋に悪気の無い発言に聞こえた。慧は以前にSNSで見た投稿を思い出す。人を加害した側はそれを忘れ、自分らしく生きて幸せになる。加害された側は記憶を忘却することなく、その後の行動の殆どがその記憶に引き摺られる。というものだ。

 壮真は現在、幸せ――ではないようだ。加害者は加害の因果で不幸になる――なって欲しいという意見も存在する。

(俺は、こいつの不幸を……)

 人を殺して、何かを気に病んでいるらしい壮真の現状を喜んでいるだろうか。

 ――――――否。

(俺は、こいつの不幸を……喜んではいない)

 そう自覚すると、ほっとした。逆に――

 良かったなと言った壮真の声に、妬みや羨望が混じっている気がした。

「お待たせしました」

 個室のドアが開き、店主が入ってくる。銀の盆に載せた二つのカップとソーサーを慧と壮真の前に置き、ミルクピッチャーと角砂糖入れを二人の中央辺りに置き、静かに退室していった。

 コーヒーを自分好みの味にしている間、壮真は何も喋らなかった。カップに口をつけてソーサーに置き、息を吐く。

「栞高校か。公立の、普通の高校だな。部活も……。俺も、そこに入ってれば……」

 普通の高校と言っても、偏差値は高い方だし精力的な部活もある。しかし、それを言う必要は無いだろう。

「俺と晴希は、サッカーのスポーツ推薦で桜ヶ丘実業高校に入った。勿論、同じサッカー部で、俺はフォワード、晴希はキーパーだった」

 そうだ。中学の時も同じだった。攻めの壮真、守りの晴希と呼ばれていた。外見とは真逆のポジションであることも合わせて語られ、校内では目立つ存在だった。

 その二人に、高校で何が起こったのか――


  □■□■


 一年程前のある日――

「ポジションを変えるかもしれない?」

「ああ。監督に言われたんだ」

 放課後の練習前だった。壮真は晴希に、朝練の後に監督から話があったのだと告白した。

「今のチームはディフェンスが弱い。フォワードとしての能力が高い俺にはセンターバックに入ってディフェンスの補助と強化をして欲しい、だってよ」

「センターバックか……」

 遥か以前は“リベロ”と呼ばれていたポジションに近い。リベロと言えばバレーボールのイメージがあるが、サッカーにもそう呼ばれるポジションがあった。守備の時はディフェンスの補助をして強化する。だが、最前線で攻撃に加わることもある。グランドの上を臨機応変に、縦横無尽に動くのがリベロだ。センターバックは自陣ゴールの前で守備を担当するのが主となるが、攻撃可能な隙を見極めて攻撃に繋げていく能力が必要になる。

「チャンスがあればシュートも出来る。守備に徹さないといけないわけじゃねえ」

 真面目な顔で考え込む晴希を説得するように。同時に自分を説得する為に壮真は言った。本当は、フォワードを極めたい。

「守備が弱いのは認める。だけど、それを強化するのは監督の仕事だろ。ディフェンスの練習メニューを変えるとか」

 晴希は、奇しくも壮真の本音を代弁していた。オファーを受けた朝から、何度も考えたことだ。

「それじゃあ時間が掛かる。相手チームに抜かれないようにするには、てっとり早く強い奴を入れることだ。まだ一年の俺がその役に選ばれたのは光栄だと思ってる」

 前半は、監督に言われたことだった。脳裏で繰り返したその言葉は正論ではあり、壮真は反対意見を思い付かなかった。

「フォワードを辞めるのか?」

 下を向いて話を聞いていた晴希が、廊下を歩く生徒達が一瞬振り向くくらいの、強い怒りを含んだ声を出した。

「ああ。俺はセンターバックになる。ずっとコンビを組んできた晴希には、最初に報告したかったんだ」

 反対はされるだろうと思っていた。だが、もう決めたことだ。第一、監督に逆らえるわけもない。

「お前はオフェンスがしたいんじゃないのか? たくさんシュートを決めて、日本のヒーローになるのが夢なんじゃないのか?」

 壮真の胸倉を掴み、晴希は叫んだ。その通りだったから、何も言えない。

「本当にそれでいいのかよ!」

「良くないけどしょうがないだろ!」

 晴希の手を振りほどき、怒鳴る。息が荒くなった。

「おれが監督に言ってみる。別の方法でディフェンスの強化が出来ないかって」

「余計なことすんな!」

 先刻より大きな声を出すと、晴希が怯む。

「お前が外されるぞ。せっかく一年でレギュラーが

取れたのに。俺達は……俺達には、プロになれる実力があるんだ」

 壮真は彼に背を向けて、先に歩き出した。

「……たかが部活だ。我を通す程のもんじゃねえ」

 プロになりたいという夢と矛盾していたが、そう言うしかなかった。


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