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第12話 エピローグ

 自室のパソコンで、慧は『OYVF』について調べていた。プラットフォームは据え置きゲーム機で、新規で購入する必要がある。発売当初はどの店にも無い幻のような存在だったが、現在は店頭販売もしているようだった。

 かなり手に入りやすくなったとはいえ、在庫がゼロの時もあるらしい。

「うーん……」

 画面を見詰めていた慧は、マウスを横にスライドさせた。


「あ、うん。お店だと売り切れの時もあるよね」

 翌日の朝、登校途中で澪央に会った時に話をしてみると、あっさりと相槌が返ってきた。

「だから、私はネットで買ったよ」

「持ってるのか」

 ゲームをするタイプには見えなかったから意外だった。彼女は斜め前方に目を反らし、中途半端な笑みを浮かべた。

「持っては、いないかな……まだ……。昨日、買ったから……」

「あ、ああ、そういうことか」

「…………」

 何となく気まずい空気が流れる。澪央はこちらを見ないまま、恥ずかしそうに言った。

「高額なものだし、友達と一緒にやりたいから買ったなんて、引く……?」

「い、いや、俺も買ったし! ネットで!」

「え……?」

「…………」

 澪央は顔を向けてくれたが、今度は慧が明後日の方角を見る番だった。ただ購入の報告をしようと思っただけだったのだが、確かに彼女の言う通り、度が過ぎていたのかもしれない。

「こういうのって、友達としては、引くのか……?」

 友達と遊ぶという経験が無い慧には、距離感が分からなかった。

「ソフト含めると六万円超えるから……気軽に誘えるものじゃないし、引くかも……」

「そ、そうか、引くのか……」

「私もここまで高額なのを買ったのは初めてで……」

 お互いに口を閉ざし、登校中の生徒達の声や街中の生活音だけが耳に届く。いつもよりも不特定多数の『負』の量が少ないように感じる。

「ソ、ソフトは買ったのか?」

「あ、ソフトは……」


  □■□■


 家を出る時間が近付き、直斗は制服で身を包んだ。規定のベストでは寒い時期になってきた為、黒のⅤネックの袖なしセーターの上からブレザーを着る。

 登校しても教室に入っても、皆の反応は表面上何も変わらないだろう。直斗が自分の噂について聞いているとは、誰も知らないのだから。

 それでも、高校へ行くと思うと緊張した。何となく、下腹部に痛みを感じる。

「直斗、大丈夫? 行きたくないなら無理しないでもいいのよ」

 スーツ姿の母が、気遣わしげに言う。外では出来る社会人として振舞っている彼女だが、家では慌てていたり遠慮がちだったりする。自分は母の子供なんだなと実感する。父も出社前に声を掛けてくれた。かなりの二枚目で、穏やかな性格をしている。

 ピンポン、と呼び鈴が鳴った。心臓を高鳴らせ、鞄を持って玄関へ向かう。

「直ちゃん」

 湯呑みを持った祖母が、目を細めている。

「友達が出来て良かったねえ」

「……うん」

 自然に浮かんだ笑みと共に、直斗は頷いた。


 ドアを開けると、制服姿の雫が立っていた。

「おはよう、直斗君」

「おはよう……雫さん」

 照れ笑いをし合いながら、横に並んで学校へ向かう。お互いの本を読んでも、相手を嫌いにはならなかった。知り合う前の雫がどんな子供時代を過ごしていたのか、小学、中学での様子や栞高校入学時に何を考えていたのか――彼女の初恋が自分であったことも、日々の中でどういう面を好きになってくれたのかも、知ることが出来た。

(僕に合わせてゲームを選んでくれてたのにはびっくりしたな……)

 それも、嘘だったのかと詰る気にはならず、嬉しさしかなかった。

 同時に、自分の行動がどれだけ彼女を憤らせていたのかも痛感した。

 ――僕は僕の為だけに、彼女や周りの人に酷いことをしていたんだ――

『……ごめんね、直斗君』

 キオク図書館で、黒い本を閉じた彼女は静かに涙を流していた。

『私はそんなに良い人じゃない。直斗君が孤立してても何もしなかったし……そういうものだと思ってた。それに、読んだでしょ? 椎名さんに私がどう答えたか……』

 確かに、仕事に必要だから話しているだけ、と言っていた。その場で聞いていたら傷ついていただろう。

『最低だよ。好きになってもらえるような人間じゃない』

 だが――

『僕はもう、この本を読んだから』

 薄い茶色の本を閉じて、泣き続ける彼女にハンカチを渡した。

『だから、雫さんの気持ちは分かってるよ』

 ――彼女が自己嫌悪に陥るような行動を取ったのは、僕の所為だ。僕は、罪を償わなくちゃいけない。そう思うと――

「直斗君」

 校門近くまで来た時、雫がそっと手を握ってきた。

「緊張する?」

「う、うん……」

 今は『本』を読んでいないのに、心の声が伝わっているような気がしてどきりとする。

「私も、ちょっと緊張する」

 強張った顔に笑みを浮かべ、雫は直斗の手を引くように歩き出した。

 二年E組に辿り着き、雫の後から教室に入る。たまたまと思ったのか、クラスメイト達はいつも通りに無関心だ。それでも、休む前と今とでは注がれる空気感が違う気がする。

 どこまでが気のせいで、どこまでが気のせいじゃないのか。

「あ、ねえ明日香。今日のお昼、屋上に行かない? 話したいことがあるんだ」

 告白した女子達に謝罪することにして、その一人目――伊瀬 明日香は友人である雫が呼び出すことになっていた。

「いいよ。私も訊きたいことあったから」

「え? あ……ああー……」

 物問いたげに据わった目をしている明日香を前に、雫は誤魔化すように頬を掻いた。

「うん。それについても話すよ」

 雫が意味あり気にこちらを見てくる。何のことか分からなかったが、直斗は小さく頷いた。


 気温が下がってきたからか、屋上には誰も居なかった。飛び降りようとした時を思い出す為、柵の近くは避けて中央付近で昼食を広げる。雫がまず、口火を切った。

「あのね、私達、付き合うことになったんだ」

「は!?」

 明日香が持つ箸から唐揚げが落ちた。幸いにも真っ直ぐに弁当箱に着地し、それを掴み直した彼女に雫が話し始める。

「ええとね、直斗君は……」

 彼女は、直斗が何人もの女子をナンパ――二人で話し合い、あれはナンパだったと結論付けた――していた理由と、雫に告白しなかった理由。加えて、雫が彼を振ってから起きたことを説明した。

「それで、直斗君が家に居なかったから、学校に行くかもと思って明日香にメールしたんだ。屋上から飛び降りようとしたのが直人君なら……また危ない事をするかもって。もしそうなったら、私の所為だし……」

 箸で挟んでいたブロッコリーを弁当箱に戻し、雫は俯いて両拳を膝に置いた。

「メール送りっぱなしで、その後連絡しなくて、ごめん」

「うん。それはもういいよ」

 明日香は雫の頭を慈しむようにぽんぽんと叩き、野次馬的な笑みを浮かべた。

「黒崎君を追いかける彼の友人達を追い掛けて……か。黒崎君、友達居たんだ」

「あ、ううん……僕がここから飛び降りようとした時に足を引っ張ってくれて……」

「は?」

 それは「は?」とも言いたくなるだろう。自分でも変な説明だなと思うが、直斗は慧達が文字通り足を引っ張ってくれたのだと全てを話し、頭を下げた。

「伊瀬さん……僕の軽率な行動で嫌な思いをさせてごめん。しかも、文化祭という日を台無しにしちゃって……」

「ホントだよ」

 明日香は弁当箱を片付けながら、怒ったような、呆れたような息を吐いた。

「だけど、そういうことなら、私にも責任があるね」

「え、伊瀬さんに? い、伊瀬さんには何の責任も……」

 直斗が慌てていると、屋上のドアが開く音がした。コンビニ袋を持った慧の姿が見える。声を掛ける前に、明日香が言う。

「私だって、黒崎君と関わろうとしてなかった。充分に責任はあると思うよ。だから、私も……」

「黒崎、望月、友達か?」

「皆に謝るの、手伝うよ。で……誰?」

 彼女は、近付いてくる慧の紹介を求めた。


  □■□■


「それで、休み時間を使って謝りに行くことになったんだ」

 慧が自転車を引く横で、直斗が澪央に報告している。その顔は、控え目ながら嬉しそうだった。心なしか口調も弾んでいる。

「でも、伊瀬さんには何の責任も無いのに、そう思わせちゃったのは申し訳なかったな……」

「明日香が責任を感じたなら、それは思い過ごしじゃないんだよ。あの子はそういう子なんだから」

 瞬く間に元気を失くす直斗に、雫が言う。確かに、慧からもそう見えた。伊瀬 明日香は、既に自己を確立させている。凛としたプライドを持ち、自分の感覚と判断を信じている。そんな魅力が有るからこそ、直斗も恋人候補に選んだのだろう。

「それで、今日は何処か行くの? 一緒に帰ろうって……」

「あ、ああ、実は……」

 雫が話を変えてきて、慧は澪央と目配せし合う。引かれないかと、少し身構えた。

「『OYVF』を買いに行こうと思って。俺も椎名も本体は買ったから、あの店にソフトを……特典も揃えた方が良い……」

「本体を買った!?」

「本体を買った!?」

 食い気味に、恋人二人の声がハモった。顔を見合わせて、口々に言う。

「え、だって、あれ、た、高いんだよ?」

 直斗はおろおろしている。ゲーミングPC所持者には言われたくない、と慧は思った。

「ろ、六万もするのに……」

 雫は引くよりも驚きが勝っているようだった。澪央が言い難そうに首を竦める。

「読者モデル時代の貯金が……」

「一応自営業だから……。やっぱり普通ここまでしないよな……」

「ううん、ありがとう!」

 つい目を反らしてしまったが、直斗は心から嬉しそうな声を出した。

「あ、でも、黒崎君は電車……」

「俺は自転車で行くから」

「そ、そうか、一駅だもんね!」

 曇りかけていた顔が、また明るくなる。

「じゃあジオゲームズで落ち合うとして……あのね、DLC特典で武器が揃えられるっていってもね、それは所謂スキンっていうやつで、武器自体は……」

「武器は作らないと手に入らないの。レシピの難易度は低いけどね」

 楽しそうに話す直斗の後を、雫が少しだけ補足する。二人の話は、どこまでも続きそうだった。


 アレクシスも『OYVF』を購入したと知ったのは、その数日後のことである。


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