「え……え?」
直斗が混乱して慌てているのとは別に、公園内には間の抜けた空気が流れていた。自分の耳を疑う慧の近くで、澪央が大きな瞳を瞬かせてこちらを見ている。
「い、いや……確かに彼女から強い『負』を感じたんだ。嫌悪の種類の……」
「それは椎名君へ向けた嫌悪だろう」
アレクシスが口を挟み、得意気に語り始める。
「身近に居る私は告白されていないのに、椎名君は告白され、自分が好きな男を振っている。それが気に入らなかった」
「ど、どうしてそこまで……」
狼狽する雫には答えず、彼は更に話し続ける。
「椎名君だけではなく、黒崎君に告白された女子には似たような感情を持っていた。友人の伊瀬 明日香に対してすら」
「…………」
雫は唇を噛み、下を向いた。彼女から受ける『負』が強くなる。複数人の前で本心を晒されれば、無理も無いだろう。
「た、確かに僕は、伊瀬さんにも告白した……」
「……仕方ないよ。私の気持ちに気付いてなかったんだから」
「僕は、望月さんに嫌われてるって、思ってて……だから、告白する勇気が無くって……」
「嫌われてる?」
雫から感じる『負』が、一気に溶けるように消失した。純粋に疑問符だけが残った顔で、直斗を見返す。
「……? ああ、そうか。それで……」
何かを納得したらしき彼女の表情が、柔らかくなる。
「違うよ、私は黒崎君を嫌ってない。怒ってたんだよ。他の子にばかり告白して、私を選ぼうとしなかったから。……うん、今思うと、愛憎に近かった……憎しみも、あったのかもね」
「え、じゃ、じゃあ……今は?」
直斗は、不安そうに問い掛ける。おろおろとする彼に向け、雫は笑った。
「さっき言ったじゃん。好きって」
「す、す、す、好き……」
あまりの言葉に、直斗は体を震わせている。挙動が怪しいが、大丈夫だろうか。
「黒崎君の、自然と人に優しくできるところが、好き。誰にも相手にされなくても、誰も嫌わないところが、好き。ゲームではちょっと頼もしいところが、好き」
「そ、そんなに、いっぱい?」
こくんと、雫は頷いた。
「だから、黒崎君に、生きていて欲しい。こんな嫉妬深い私でも……本当に好きだと思ってくれるなら、彼女にして欲しい」
「す、好きだよ! 僕は……告白の時にちゃんと『好き』って言ったのは、望月さんにだけなんだ」
「……え?」
雫の目が、見開かれる。
「信じてもらえないかもしれないけど……」
「それなら心配することはない」
完全なる二人の世界に、アレクシスが割り込んだ。
「後でキオク図書館に入り、黒崎君の本を確認すれば良い。恋人同士になれば、お互いの本を開ける可能性が高まる」
「キオク図書館……」
直斗の呟きに、雫が「それ!」と声を上げた。
「何なの? あれ。聞いてるだけじゃ意味が分からなかった。ちゃんと説明してよ!」
「構わないが……」
「開き直ったな」
堂々とした物言いに、安堵半分呆れ半分で、慧はアレクシスの後を継いだ。管理者からキオク図書館の説明を聞いた雫は、複雑そうな顔をした。
「人のプライベートが全部読める本なんて……」
「プライバシーに関する情報は書かれていないぞ」
「そんなの、誤差みたいなものじゃない」
雫は少し不安気な様子で直斗を見た。
「本を、読む……」
「もちろん、読めるというだけで読むのは義務じゃない」
****
雫は思う。義務とか、義務じゃないとか、今は関係無い。
出来てしまう以上、今は――読んでもいいのかダメなのか、焦点はそこだけだ。
――私は、黒崎君になら私の本を読まれてもいい。
――私の全てを、知られてもいい。
でも、私の本を読みたいと言われても、私は頷くだろうか。それは、『好き』の証明になるだろうか。ならない――ただの好奇心じゃないとは、言い切れない。
『好きなんだ』
――本心なんだって。告白相手が居なくなったから仕方なくじゃないって、どうしたら私は信じられる?
直斗の本を読みたい、なんて言いたくない。
「望月さん。僕の本、読んでいいよ」
雫が何を考えているのか分かったのではないだろう。直斗が明確な意思を感じる声で、そう言った。
どきりとして彼と向き合う。決意の眼差しが、髪の合間を縫って見える。
「僕は望月さんの本は読まないから、僕の本だけ、読んでいいよ。一ページ目から、最後まで」
それは――
その言い方は――
「うん、私の本も、読んでいいよ。読んで……欲しい」
最大の、愛の告白ではないだろうか。
「黒崎君の本は読まないから」
「えっ、読んで欲しいよ! 僕の全部を読んでよ!」
直斗は大慌てで両手を忙しなく動かす。それが、何だか途轍もなく可愛く思えた。
「うん。じゃあ……直斗君の人生を、拝読させていただきます」
□■□■
ジオゲームズに寄って、雫の分の『OYVF』を受け取る。キオク図書館へは、人目が無いことを確認した上で近くの民家のドアを借りて入った。
慧と澪央が後方で見守る前で、アレクシスが黒い本を出して雫に渡し、薄い茶色の本を直斗に渡した。
「そこのテーブルで読むといい」
設置したのはこの時の為とでも言うように、管理者は鼻高々にテーブルを勧める。
二人はお互いに遠慮がちに隣同士の椅子に座った。言葉を交わさないまま――
本を、開いた。
雫が「あ……」と言う横で、直斗は本の見開きに目を落としたまま動かない。
「本当に、僕を、好きに……」
震え声を出す彼の手に、雫の手が触れる。
「……そう、言ったじゃん」
少女は頬を染めて、微笑んだ。