――話を聞きたい。
その想いに突き動かされ、電車から吐き出された人達に紛れて駅前を歩く。澪央が男子生徒に顔を近付けて話し掛け、ここからでも分かる程に直斗が慌てている。路地の奥を指差して歩き出した。
「こっちに公園があるから……」
声が僅かに聞こえた。ジオゲームズから出て来た時には茫としているように見えていた彼が、すっかり正気を取り戻した様子で足早に移動していく。
(どうしたんだろう……)
彼の言う公園は知っている。もし見失っても大丈夫だ。距離が取れるだけの時間を待って、追い掛ける。
路地の先には住宅が並んでいて、その先には木々が適度に植樹された公園があった。散歩をする人が右へ左へと通り過ぎていくが、広場は静かだ。ベンチから数メートル離れた場所には、男女別の公共トイレが建てられている。気は進まなかったが、雫はトイレの陰に身を潜めた。
「た、体調は大丈夫? ベンチに座った方が……」
直斗が男子生徒に声を掛ける。体調不良だったのか、と雫は納得した。彼らしいな、と思った。迷わず困っている人の手助けをしたり、図書室でも重い本の束を運ぶような大変な仕事をやってくれる。最近はちょっと、縮こまっていたけれど。
(黒崎君……私は、あなたのそういうところが……)
当たり前に人に優しく出来るところが、私は――
□■□■
「ここまで来れば大丈夫だ」
せっかくだからとベンチに座り、慧は一息吐いた。電車に乗る前から不特定多数の『負』を感じ、車内でも、中程度の電気を四方から流されているような痛みがあった。駅を出てからは収まっていたが、階段から沢山の乗客が降りてきて人の波が流れてくると、またビリビリとした痛みに襲われた。平然とはしていられずに、澪央に心配を掛けてしまった。
「電車に乗ってる時も、ずっと我慢してたよね? 誰か分かるなら、車両を移動出来たんじゃ……」
「人が沢山居ると、誰が『負』の持ち主かは分からない。一人じゃなさそうだったし、他の車両に行っても同じだったよ」
「そんなにストレスを抱えてる人が多いなんて……」
澪央は沈痛な面持ちで俯いた。一方で、アレクシスは珍しくもないという顔をしている。
「『負』を持っているのは学生だけではなく、大人も同じだからな。深刻な悩みを抱えている大人は多い」
「あ、ええと……椎名さん達は何を話してるの? 誰かのストレス? が、何か関係あるの……?」
直斗が遠慮がちに、訊きにくそうに小さめの声を出す。彼には『負』を感じる体質については説明していなかった。
「ああ、実は……」
****
人の『負』の感情を、雷に触れた時のような痛みとして受け取る――
男子生徒が語った能力は、とても信じられないものだった。だが、雫は今日、不可思議な現象を目撃している。
(図書館……)
「図書館……」
黒崎家のドアで目撃した異空間を思い出していると、直斗が同時に同じ言葉を口にした。あんな非現実があるのなら、そういう能力も存在するのだろうか。存在――してもおかしくないのかもしれない。
****
慧の話を聞いた直斗は、ずっと下を向いていた。信じたのかどうかは、その様子からは判断出来ない。
「……人の『負』なんて、そこらじゅうにあるよ。人混みに行くと、いつもそうなるの?」
「必ずしも能力が出るわけじゃないけど……大体はそうだな」
無作為に発動するにも関わらず、人混みでは何かしらの『負』を受ける。直斗の言う通り、きっとそこらじゅうにあるのだろう。
「それなら……電車に乗ったらダメージがあるって分かってたんだよね? そこまでして、僕を追い掛けてくるなんて……。椎名さんだって、学校を休むのは平気になったの? 皆からどう思われるか、気にならないの?」
「私は……」
澪央は辛そうに顔を背けた。次の言葉が出るまでに、少し時間が掛かる。
「平気じゃ、ない……。だけど私は、皆を信じるって決めたし、神谷君みたいに痛みを感じはしないもの」
「でも、平気じゃないんだよね?」
直斗の声には、いつもとは違う強さがあった。感情を押し殺した上で、一音一音に力を入れた喋り方だ。
「そこまでして、何で……彼女に振られた今、僕はもうどうしようもないんだ。ずっと、一人きりで生きていくしかない。そんな、分かりきってることをわざわざ言いに来たの?」
「分かりきってるなんて、黒崎君……」
「生きていく……?」
彼の言葉を否定しようとしたのだろう澪央を遮る形で、慧は引っ掛かったその部分を口にしていた。『生きていく』から、予約したゲームを取りに来たのか――
何かに耐えているようだった直斗の顔から力が抜けた。口元に少し、諦念にも似た笑みが浮かぶ。
「振られて直ぐは、頭の中が真っ黒になって……僕は消えるしかない。僕の居場所は何処にも無いという考えだけでいっぱいだった。でも……ふと、君達の『足を引っ張ったから』って声を思い出したんだ。『足を引っ張ったから、生きてほしい』って……」
そうしたら、死ねなくなっちゃった。と直斗は笑った。
「あのね、僕が何人もの女の子に付き合ってって言ってるの、皆知ってるんだって。生きるとしても、もう学校にも行けないしどうすればいいんだろうって。ずっと、真っ暗な穴の中で座り込んでいるような感じで……そうしたら、あ、今日ゲームの発売日だって……そのくらいしかやることが思いつかなくて」
照れ笑いを浮かべる直斗は、寂しそうに見えた。
「黒崎」
慧は彼を真っ直ぐに見据える。
「俺達は知り合ったばかりだけど、黒崎には生きてほしいと思ってるし、あの時の言葉が少しでも心に残って、生きようと思ってくれたなら嬉しいよ」
「うん……。でも、僕は、もう……」
目の前の照れ笑いが、自嘲めいたものに変わる。これからは誰にも認められず、ゲームの世界で人形みたいに生きていくのだ、というように。
「人は生きていればそれでいいわけじゃない。屋上で会った時から、俺はずっと黒崎の『負』を解消出来ないかを考えていた。今もそうだ。黒崎を間違いなく必要だと思ってくれる女子と出会えたら良いと思ってる」
直斗は小さく首を振った。か細い声で「もう、いいよ……」と言う。
「だって僕は、女の子達から……」
「恋人にはなれないけど、友達にはなれるわ」
そこで、澪央が前に出た。切実な表情で訴える。
「私は、黒崎君に幸せになってほしいし、笑ってほしい。黒崎君はもう、私に必要とされている。友達として……じゃ、足りない? 認められてるとは、思えない……?」
「僕は……」
直斗の声が揺らぐ。迷っている、ような感じがした。
「友というのも、互いに認め合って成り立つものだ。そう考えれば、存在意義肯定のキープとして友になるのも悪くないのではないか?」
アレクシスがどこか偉そうに言う。まあ、優しくされても気持ち悪いのでいつも通りで良いのかもしれない。
「キープなんて、そんな……」
「じゃあ、本気で友達になってくれるか?」
慧も本気で直斗に向き合う。強い視線を送ったからか、彼は多少たじろぐ様子を見せた。
「俺は、黒崎と……と、と、友達になりたい」
人生で二回目の言葉は、いざとなると緊張して、またスムーズには言えなかった。どもってしまったのが恥ずかしくて目を逸らすと、直斗はきょとんとした顔で見返してくる。
そして、暫くして――
「うん、僕も神谷君と……椎名さんとも、友達になりたい。えーと……アレクシスさんは、ちょっと保留で」
そう言って、ただ、笑った。