キオク図書館に入ると、アレクシスは早速黒い本を出現させた。開いた面をテーブルに置いた為、覗き込んでみる。相変わらず、読める文字は一つも無い。
「何が書いてあるんだ?」
「……ゲームショップに向かうとあるな」
「ゲームショップ!?」
つい鸚鵡返しをしてしまった。そしてかなりの声量を出してしまった。
「ゲームショップとはアーケードゲームが置かれている店ではなく、ゲームソフトや本体、周辺機器の販売から中古売買、CDやDVDレンタルなど……」
「お店の説明を求めてるんじゃなくて……」
澪央が困惑気味の声を出す。慧が突っ込みたかったことを代わりに言ってくれた。
「ゲームを買いに行ってるのか? 思っていた程の心配はしなくていいのか……?」
「いや、彼の心の動きは無いに等しい。思考は停止していて、ひたすらにダッシュが続いている」
何を言っているのかと訝しんでいると、澪央が鞄からノートと筆記用具を出して『――――――――』と書いた。
「こんな感じかな」
「そんな感じだな。だが、ダッシュの中にたまに言語が混じる。『あ、今日はOYVFの発売日だ……』、『予約していたソフトを取りに行かなきゃ……』、『ジオゲームズに』と。つまり、行き先はジオゲームズだな。この辺りだと隣の駅周辺にある」
「ゲームの発売日……」
直斗の部屋のレイアウトは、ゲーマーのそれだった。ただの趣味を超えた――それこそ、部屋自体が彼自身を表現しているような印象があった。
「自分の正気を保つ為の、日常に則した行動と言えるだろうな。呆然自失としている時に日常を放棄すれば、落ちるのは簡単だ」
アレクシスの分析は、聞いていると何故か納得してしまう。そういうものか、と思ってしまった。だが、腑に落ちない部分もある。
「ゲームって、今は店まで行かなくても買えるんじゃないのか? ダウンロードで」
それなのに、直斗の心理状態でわざわざ店にまで出向くだろうか。
「OYVFというソフトは、購入方法や店によってDLC特典が違う。黒崎君はジオゲームズの特典が欲しかったんだな」
「……詳しい……? ゲーム好きなの?」
澪央が少し首を傾げる。慧も同じ思いだった。説明が早口だった。
「本に書いてあっただけだが」
それが何かと言うように、アレクシスは答えた。
(神谷君、大丈夫かな……)
最寄りの駅に来た頃から慧の様子がおかしく、澪央はそれが気掛かりだった。電車がホームに滑り込んで来た瞬間に身を震わせ、乗車してからは下を向いて黙り込んでいる。
つい、乗客一人一人の顔をチェックしてしまう。誰か、強いストレスを抱いているのかと探してしまう。
「椎名、一駅だけだから」
「でも……」
彼の言う通りだし、『負』の持ち主を見つけたところで何も出来ない。降りてくださいとも言えないのだから。
(こうなるって解ってて電車に乗ったのよね……)
そう思うと、何か、心臓がきゅっと縮む感じがした。
(神谷君は、どうして逃げないんだろう……)
もしかしたら逃げていた時もあるのかもしれない。けれど、今は学校にも来ているし、電車に乗ることも厭わない。
澪央はきっと、ここまで一生懸命にはなれない。今回は、直斗を振った罪悪感があるから少し前のめりになっているけれど。
(どうして……)
慧の『放っとけないんだ!』という言葉を思い出す。困っている人を――苦しんでいる人を放っておけない。
(それだけで、降りかかる苦痛を受け入れてしまうの……?)
そう思うと、心臓がまた締め付けられるような感じが、した。
□■□■
(ジオゲームズ……で、合ってるのかな)
隣駅の階段を降り、雫はバス停の近くできょろきょろする。来てみたものの、自信が無い。
スマートフォンに届いていた通知は、FPSゲーム『OYVF――Only You Victory fighter――』の入荷通知だった。直斗の悪い噂が流れる前――彼と普通に話していた頃に、同じDLCで揃えてプレイしようと約束したのだ。
『えっ、望月さん、ゲームやるの?』
『うん。よく意外って言われるけど、好きだよ』
『へ、へえ、そうなんだ。ジャンルは?』
『何でもやるけど、FPSが好きかな』
『本当に!? 僕も好きなんだ!』
休み時間に、直斗がスマートフォンでゲームの攻略記事を読んでいたのは知っていた。タイトルをチェックして、ソフトを買って練習したのが真相だった。最初は苦手なジャンルだと思ったが、慣れると上達していくのが面白くて、彼と話を合わせたいとかは関係無く、純粋に楽しむようになった。
(いつもなら受け取りに行く筈だけど……)
直斗はゲームにかなり熱を入れていた。撃ち合いに勝利すると、自分にも出来ることがあると感じるのだと言っていた。
だが、『OYVF』は最早『振られた相手と遊ぶ約束をしていたゲーム』だ。傷心中にそれを受け取りに来るだろうか。
「ジオゲームズはあそこか」
そう思っていたら、聞き覚えのある声がした。振り仰ぐと、階段の上から澪央達が降りてくる。今のは男子生徒の声だ。雫は慌てて近くのコンビニに入り、身を屈めた。雑誌棚の隙間から三人を注視する。
(椎名さん達もジオゲームズに……)
店舗は駅から視認出来る場所にあった。牛丼店とドラッグストアの先にある、青い二階建ての建物だ。コンビニから出なくても三人を見失わずに済む。
(本、とかいうので黒崎君の場所が判ったのかな……)
だとしたら、ここは正解ということだ。三人がジオゲームズに入っていった後を、緊張と共に見守り続ける。屈み続けるのも不自然だからと、立ち上がって雑誌を選ぶフリをした。本にはテープが貼られていて、立ち読みは出来ない。
もし、あそこから直斗が出てきたら――
(出てきたら、どうしよう……)
自分の所為で大変なことが起きているのかもしれない――その胸騒ぎだけでここまで来たが、今更、彼に合わせる顔なんてない。だが、命を絶つ危険があるかどうかだけは確認したい。
(あ……!)
ジオゲームズの自動ドアが開き、澪央達三人と――直斗が出てきた。紺色の袋を持っている。
(ソフト、受け取ったんだ……)
ここからだと表情が読み取れない。距離があるのもそうだが、あの長い前髪が邪魔だった。『その方が落ち着くから』と言って伸ばしている髪だ。表情を見られたくないということだったが、彼の表情は髪の間から垣間見える目や口の動き、仕草で結構分かる――近くにさえ居れば、ちゃんと分かる。
近くに、さえ居れば――
「…………」
そもそも、澪央達はどうして直斗を気にしているのだろうか。何を知っているのだろうか。
告白を断ったのは自分なのに、雫の方が部外者のようで何だか釈然としない。
直斗がショックを受けていたとしても。
気になってこうして追い掛けていても。
(私はもう、彼と付き合う気なんて無いのに……)
ただの自己満足の我儘だ、と思う。
「……!」
でも、やっぱり――
雫はコンビニから出て、足を速めた。